借金取りから逃げ続けていたら追跡ギルドのトップに就任させられた件について
「死ぬ! マジで死ぬ!」
俺は全力で路地を駆け抜けた。
背後から響く重い足音。息も絶え絶えだが、止まれば捕まる。
捕まれば借金地獄の永久コース確定だ。
「待てぇリクト! 今月の返済はどうなってんだ!」
ガロスの怒声が耳をつんざく。
あの筋肉ダルマ…なんで追跡スキルまで持ってんだよ。不公平すぎる。
角を曲がり、木箱を蹴り倒し、洗濯物を引きちぎり——俺は生存本能だけで走り続けた。
逃げ続けて二年。おかげで逃走スキルだけは一流だ。それ以外他に何もないけど。
前方に立派な建物が見えた。扉が開いている。これはチャンス!
俺は躊躇なく飛び込んだ。
そして——床で盛大に滑った。
「うわああああああ!」
ツルッと足が浮き、体が宙を舞い、何かのテーブルに激突。
書類が舞い上がり、俺は椅子ごと転がった。
「……なにこれ」
冷たい女性の声が降ってきた。
顔を上げると、受付カウンターの向こうに黒髪ショートの女性が立っていた。
無表情。というか無感情。眼鏡の奥の瞳が完全に冷めている。
「あ、あの、すみません! ちょっと借金取りから逃げてまして!」
「ああ、面接の方ね」
「違います!」
「履歴書は?」
「だから違うって!」
そのとき、背後の扉が勢いよく開いた。
「リクトォォォ!」
ガロスだ。相変わらずの筋肉。相変わらずの身体からにじみ出る殺気。
俺は反射的にカウンターの影に隠れた。
受付の女性——名札には"メイシャ"とある——は眉ひとつ動かさなかった。
「何か御用ですか?」
「そこの借金野郎を出せ!」
「ここは《ハウンド・ラボ》追跡専門ギルドです。暴力行為は禁止されています」
「知るか!」
ガロスが突進してきた瞬間、メイシャが手元のボタンを押した。
次の瞬間、床からワイヤーが飛び出し、ガロスを縛り上げた。
「ぐあああああ!?」
「侵入者拘束完了。はい、次の方どうぞ」
メイシャは何事もなかったように書類に目を戻した。
俺は呆然とした。
「え、何これ…何が起きたんだ?」
「当ギルドのセキュリティシステムです。で、面接はどうします?」
「だから面接じゃないって!」
そこへ奥から声が響いた。
「メイシャ、今の動き見たか!?」
がたいのいい男が飛び出してきた。
五十代くらいか。傷だらけの顔に、鋭い眼光。
「ギルドマスター、今は面接中です」
「面接じゃねえ!」
俺の叫びは無視された。
「あの回避動作、あの判断速度!
追跡者の足音から距離を計算し、最短ルートで逃走! 素晴らしい!」
ギルドマスターは興奮した様子で俺の肩を掴んだ。
「君、名前は!?」
「り、リクト・アルバーですけど——」
「リクト君! 君を《ハウンド・ラボ》にスカウトする!」
「はあ!?」
「君は本能とその経験で逃げる者の心理を理解している。これは追跡者として最高の資質だ!」
「いやいやいや、俺ただ逃げてただけで——」
「謙遜するな! メイシャ、採用手続きを!」
「了解しました」
メイシャが即座に書類を取り出した。テンポが早い。早すぎる。
「ちょっと待って! 俺まだ何も——」
「初任給は銀貨五十枚。ボーナスあり。社員寮完備。借金返済支援制度もあります」
俺の動きが止まった。
「……借金、返済?」
「ええ。当ギルドでは社員の経済的問題もサポートします。ただし——」
メイシャが眼鏡を押し上げた。
「もちろん、それなりに働いてもらいますけど」
——三十分後、俺は正式にギルドの一員になっていた。
「で、初仕事なんですけど」
メイシャが地図を広げた。ここはギルドの会議室。
俺は未だに状況が飲み込めていない。
「この街の北区で逃走中のターゲットがいます。依頼主は商人ギルド。報酬は金貨三枚」
「いや待って。俺まだ追跡とか無理——」
「あ、ターゲットはこの人です」
メイシャが写真を差し出した。
そこには——ガロスが写っていた。
「……は?」
「さっきの侵入者ですね。実は彼、裏金融ギルドから借金を背負わされていて、逃亡していたそうです」
「ちょっと待て。じゃあガロスは俺を追いながら、自分も追われてたのか?」
「そういうことになりますね」
頭が痛い。
「それで、彼を捕まえるのが君の初仕事です。ちなみに、今は地下の拘束室にいます」
「もう捕まってんじゃん!」
「形式上、あなたが捕獲したことにします。ほら、ある程度実績が必要でしょう?」
メイシャの言葉は容赦がなかった。
地下の拘束室でガロスと対面した。
彼は縛られたまま、憮然とした表情で座っていた。
「……お前、追跡屋になったのか」
「なんか…成り行きで…」
「最悪だ」
「こっちのセリフだよ」
気まずい沈黙が流れる。
やがてガロスが口を開いた。
「なあ、リクト」
「何」
「俺の借金、回収してくれないか」
「は?」
「俺が追われてる理由、裏金融ギルド《ブラッドチェーン》なんだ。奴ら、借金を雪だるま式に増やして、街中に被害者を作ってる」
ガロスの目が真剣だった。
「俺は……元々、弟の治療費のために金を借りた。それが気づいたら十倍に膨れ上がって、他の奴らから取り立てる仕事を押し付けられた」
「それで俺を……」
「ああ。お前の借金も、元を辿れば《ブラッドチェーン》だ」
俺は息を呑んだ。
「だから頼む。お前の追跡スキルで、奴らを捕まえてくれ。正式に依頼する。報酬は——俺の全財産だ」
ガロスは本気だった。
俺は少し考えて、メイシャを呼んだ。
「つまり、借金の連鎖を辿って黒幕を捕まえる、と」
メイシャは淡々と状況を整理した。
「できるか?」
「やります」
俺は即答した。
借金から逃げ続けた二年間。あの恐怖、あの屈辱。
それを他の誰かが味わっているなら——止めたい。
「やる気ですね」
「ああ。それに——」
俺は拳を握った。
「俺の借金も消えるかもしれないし」
「本音が出ましたね」
メイシャが小さく笑った。初めて見る表情だった。
追跡はやってみると案外簡単だった。
「リクト、次は東の倉庫街」
メイシャの指示が耳のイヤリング型通信機から響く。
「了解」
俺は路地を駆け抜けた。
逃げるときと同じルート。同じ感覚。ただ、今度は追う側だ。
「ターゲット確認。赤いコート」
「それが《ブラッドチェーン》の中間管理職、ゼノです」
俺はゼノの動きを観察した。足取りが重い。左足を庇っている。
「左に旧市場の路地がある。そっちに誘導できる?」
「可能です。三番通りを封鎖します」
メイシャの手配は完璧だった。
ゼノは予想通り左へ逃げ、俺が先回りした路地へ飛び込んできた。
「!?」
「よう」
俺は笑って手を振った。
「追跡屋のリクトだ。大人しく来てもらおうか」
ゼノは一週間で捕まった。
そしてゼノから次のターゲットへ。次から次へ、黒幕へ近づく。
俺の"逃げる側"の経験は、完璧に"追う側"の武器になった。
二週間後、ついに黒幕のアジトへ辿り着いた。
廃工場。見るからに怪しい。
「ここが《ブラッドチェーン》の本拠地です」
メイシャの声。
「中には黒幕のボスと、護衛が五人。ちなみに全員、戦闘スキル持ちです」
「マジか」
「頑張ってください」
「他人事か!」
でも——やるしかない。
俺は深呼吸して、工場に飛び込んだ。
「誰だ!?」
護衛が飛びかかってきた。
俺は即座に横へ転がり、柱の影へ。護衛の拳が柱に突き刺さる。
「逃げるな!」
「逃げるのが得意なんで!」
俺は工場中を駆け回った。逃げて、逃げて、逃げまくる。
そして——護衛たちをメイシャが仕掛けたワイヤー罠へ誘導した。
「ぐあっ!」
「何だこれ!?」
次々と拘束されていく護衛たち。
最後に残ったのは、奥の椅子に座った男。
《ブラッドチェーン》のボス、ヴォルガだ。
「……面白い」
ヴォルガは不敵に笑った。
「逃げることで追い詰める。初めて見る戦法だ」
「褒めてくれてありがとう。でももう終わりだ」
俺は拘束用のロープを取り出した。
「お前の借金ビジネスはここで終わるんだ」
「終わり? 甘いな」
ヴォルガが立ち上がった瞬間、床が崩れた。
「!?」
俺の足元が抜ける。落とし穴!?
しかし——俺は咄嗟に横の梁へ飛びついた。
二年間の逃亡で鍛えた反射神経。
「リクト、上です!」
メイシャの警告と同時に、天井からヴォルガが飛び降りてきた。
だが——その声が聞こえる前に俺はもう動いていた。
梁を蹴り、ヴォルガの背後へ回り込み、ロープを首に巻きつける。
「がっ!?」
「悪いけど、俺は逃げのプロなんだ。罠も、奇襲も、全部読める」
ヴォルガが床に倒れ込んだ。
「というわけで、《ブラッドチェーン》壊滅です」
メイシャが報告書をまとめていた。
ギルド本部には街の役人たちも集まっていた。
「素晴らしい功績だ!」
「街の借金被害者が全員救われた!」
役人たちは大喜び。ガロスも晴れやかな顔で立っていた。
「リクト、ありがとな」
「どういたしまして。で、俺の借金は——」
「ああ、それなんですが」
メイシャが書類を差し出した。
「ヴォルガの資産を差し押さえた結果、被害者全員の借金が帳消しになりました」
「マジで!?」
「はい。あなたも、ガロスさんも」
俺は思わずガッツポーズした。
「やった! 自由だ!」
「ただし——」
メイシャが眼鏡を押し上げた。
「うちのギルドマスターが引退を表明しまして」
「え」
「後継者として、あなたが指名されました」
「ええええええ!?」
ギルドマスターが満面の笑みで近づいてきた。
「リクト君! 君こそ新しい《ハウンド・ラボ》のリーダーに相応しい!」
「いやいやいや無理無理!」
「大丈夫。メイシャが補佐する」
「丸投げじゃないですか!」
「それと」
メイシャが付け加えた。
「ガロスさんもギルドに就職が決まりました。よろしくお願いします、ギルドマスター」
「ちょっと待って! 俺まだ心の準備が——」
「リクト様、初のギルドマスター業務です。新人のガロスに訓辞を」
メイシャが容赦なく話を進める。
ガロスが直立不動で敬礼した。
「新人ガロス、配属されました!」
「お前も悪ノリするなよ!」
でも——まあ、悪くない。
借金もない。仲間もできた。やりがいのある仕事もある。
俺は観念して笑った。
「わかったよ。じゃあ、新生、よろしく頼む」
メイシャが珍しく微笑んだ。
「あなたは、追う側に向いてますよ」
「まさか逃げ続けた人生が役に立つとはな」
「人生、何が起こるかわかりませんね」
その後、《ハウンド・ラボ》は街一番の追跡ギルドへと成長した。
リーダーとなった俺は、逃亡者の心理を理解する追跡者として名を馳せた。
ガロスは真面目に働き、いつの間にか副リーダーに。
メイシャは相変わらず冷静沈着に、ギルドの頭脳として活躍している。
そして今日も——
「リクト様、新しい依頼です」
「おう、どんな案件だ?」
「逃亡中の詐欺師。手配書がこちら」
メイシャが写真を差し出した。
そこには——見覚えのある顔が。
「……これ、昔の知り合いなんだけど」
「あら、じゃあ追跡しやすいですね」
「そういう問題じゃない!」
俺は頭を抱えた。
まあ、それでも——悪くない日々だ。
借金から逃げ続けた男が、追跡ギルドのリーダーか。
人生、本当にわからないものだ。
俺は苦笑しながら、新しい依頼書にサインした。
【完】




