京御前
〝闘奴〟に参加して勝ち進む人間は自ずと開催地である駿河に居着くこととなる。
野宿をする者、旅籠に泊まる者、知人の家に上がり込む者、女を買って共に一晩を過ごす者。
人それぞれであるが小兵衛のように長屋に入る人間も多くはないが存在していた。
刀食いとの立ち合いを経て、孤児となっていた刀子を引き取った彼はそれまでの旅籠暮らしを辞め、長屋を借りて彼女とひとつ屋根の下で暮らしていた。
この日は立ち合いに敗れた悪友を見舞っただけで立ち合いはなし。
稽古で身体を動かしたにせよそれは見舞いに行くより前の朝のうち。
それなのに気を張って帰ってきた小兵衛の様子に刀子は驚きを隠せずにいた。
「帰ったぞ」
興奮のせいか小兵衛の声は少し高い。
なまじ刀子も彼に剣を教わっている関係からか師匠の異変に敏感である。
「おかえりなさい。なにかあったのですか、先生」
刀子は小兵衛との取り決めの通り「先生」と彼を呼びながら尋ねた。
「帰ってきて早々……不躾に何を言う」
「仲松丸さんの見舞いに行っただけのはずなのに、気が立っているじゃないですか」
「それはおトウの思い過ごしであろう」
「いいや気の所為ではありません。今の先生は〝殺意を込めて相手を斬るとき〟と同じ目をしています」
「左様か?」
「はい」
刀子の指摘を最初こそ否定するのだが、少し顎に手を乗せてから小兵衛はハッとする。
過去の因縁を知らぬ娘の前では見せぬようにした興奮を隠せないほどに、自分の肌の粟立ちを隠せていなかったことに。
それほどあの男から向けられた殺意に自分は敏感だったのだろう。
こんなことなら誰かに連絡を頼んで、長屋に帰らず岡場所にでも行けばよかっただろうか。
どちらにせよ〝向けられた殺意に反応しすぎてしまった〟時点で、立ち会いならば命取りになりかねない失態である。
反省の意味も込めて刀子に経緯を語ることにした。
「どうやらワシもまだまだ未熟ということか。仔細はあとで語ろう。まずは飯にする」
夕食の雑炊鍋を準備して食事を終えると、先ほど〝あとで〟と延ばした仔細の話を聞くために背筋を伸ばす刀子の姿勢は綺麗である。
引き取った当初の復讐心に歪んだ姿はもうない。
だがこれから語るのは刀子にとっては苦いあじになりそうな復讐の話。
相手に感情移入してしまうかもしれないなと思いながら、小兵衛は10年前のことを語りだした。
「そろそろ明かそうか。まず、この話は関ヶ原の合戦の際───ワシが西軍に参加していたのは、前にも語ったよな?」
前置きの情報を確認する小兵衛の言葉に刀子は頷く。
「あの合戦では関ケ原での衝突前───前哨戦として東西両軍の衝突が起きておるのだが、その際にワシが打ち取った御首に〝京御前〟という女城主がおったんだ。ワシとしては周りを気に掛ける余裕なんてなかったし、打ち取れたことは相手の油断としか思っていない。だがクビを取られた側としては納得がいかないんだろうなあ。仲松丸が立ち合いで負けたという相手は御前の近衛武者だった男でな。仲松丸とはなにやら和気あいあいと話しておったのに、ワシの顔を見るやいなや、凄まじい殺気をぶつけてみた。ワシはそれであの男のことを思い出したよ。修行の旅路で東雲城に寄ったときには、欠片も思い出さなんだのに」
東雲京、またの名を〝京御前〟。
関東に東雲城を構えていた小領主で、女城主であるとともに薙刀の名手として一部で知られていた女武者だった。
自他ともに認める〝巴御前の再来〟と呼ばれた彼女は美貌にも優れており、近隣の城主からは求愛を受けていたともいう。
そんな彼女は武功を求めて東軍に参加したわけだが、その最終目的は東西合戦で得られた褒美で領土を拡大した暁には、その勢いを持って部下の一人を婿に取り、下心を含んだ他所の城主からの求愛を退けようという魂胆があった。
そんな中で東雲城軍に追い詰められて孤軍奮闘する、ひとりの男を見た彼女は、自ら薙刀を構えて彼に挑みかかる。
数の不利をものともせずに部下を斬る男に対して、これ以上部下を失ったら戦後の褒美がなくなるという打算であろうか。
それとも武芸者として、ひとりの男を取り囲んで大人数で殴る状況を恥じたのか。
理由は彼女の胸の内だが、部下を下がらせた彼女は男に薙刀の先を向けた。
この男は意識が朦朧としている。
目の前に入る殺気を斬るだけの人形のような状態。
そんな彼は相手が見目麗しい女性であることも気付かぬままに挑みかかると、紫電一閃で彼女の指を切り落とした。
怯んだ彼女の柔らかなそれが地面にポトリと落ちる。
痛みを前に金切り声が上がる。
そのまま間合いを詰めた男の切っ先が京御前の喉をかすめて身体が重なり合う瞬間、ふたりを大量の矢が襲いかかった。
到着した西の援軍が放った矢の雨である。
咄嗟の判断で京御前に抱きついた男は、地面を背にして身体を倒す。
京御前の身体を柔肌の盾にした男は女武者の血を浴びながらも矢の雨から生き延び、目覚めたときに自分が盾にした女武者の正体を知って大層驚いた。
その男こそが右腕を失う前、若き日の辻小兵衛。
そして仲松丸を破った杖の使い手こそ、あの場で京御前が死ぬ姿を見ていることしか出来なかった彼女の婚約者、若き日の東雲慎吾。
西軍の奇襲から生き延びたとはいえ、妻になる予定だった女を見捨てて逃げた彼には行き場などなし。
東軍という勝ち組の人間でありながら落ち武者となった彼は鬼気迫る小兵衛の剣に勝る流派として杖術に目をつけて、彼を殺すことを目標に独学で研鑽を続けていた。
慎吾が不殺を貫くのは小兵衛を確実に殺すため。
殺したい相手以外を殺さないことをひとつの縛りにすることで、慎吾は小兵衛を呪いながら牙を研いでいた。
「───そんなことが。ですがその男……部下の一人にしては、よく10年も先生を恨み続けられたものですね」
「忠義というものもある。京御前はよほど部下から慕われておったのであろう」
「それだけでしょうか。わたしとしてはむしろ、家族を失ったことへの恨みのように感じられます」
「お前のようにか?」
「はい」
同じ復讐者として駿河までたどり着いた経歴を持つ刀子だからこそ、小兵衛が語る断片的な情報から慎吾の真意にたどり着いていた。
そして翌日、胴元に詰め寄った慎吾の強い希望もあり、早くも小兵衛との立ち合いが組まれることとなった。
日取りは三日後。
ちょうどその日は京御前の月命日であった。




