覚醒の咆哮
獣の咆哮が、鼓膜を突き破る。
一体や二体ではない。数十…いや、それ以上か。ダンジョンの暗がりから現れたモンスターの群れは、完全に俺の退路を断っていた。
(……ここまで、か)
手には、半分に折れた剣。仲間たちは、もういない。
脳裏に浮かぶのは、俺をゴミのように見捨てたガウェインたちの冷たい目。そして、何もできなかった自分自身への、どうしようもない無力感だった。
「グルルルルァァァァッ!」
ひときわ巨大な、オークジェネラルとでも呼ぶべき個体が、岩をも砕くであろう巨大な棍棒を振り上げる。もう、終わりだ。全てを受け入れ、俺が固く目をつぶった、その刹那。
脳裏を、一つの疑問が雷のように貫いた。
《武装同化》…武具と、同化する…。
本当に、それだけか? 武具じゃなければ、ダメなのか?
このダンジョンの壁は? 床は? 転がっている、この瓦礫は――?
どうせ死ぬなら、試したっていいだろう!
「――ッ!」
俺は、とっさに床に転がる瓦礫の一つに、左手を叩きつけた。そして、ありったけの魔力を込めて叫ぶ。
「――《武装同化》ッ!」
ゴッ、と鈍い音がして、左腕の感覚が変わる。皮膚が、肉が、骨が、ダンジョンの壁と同じ『石』そのものへと変質していくのが分かった。
――直後。オークジェネラルの棍棒が、俺の頭上へと振り下ろされた。
――ガギィン!
甲高い金属音にも似た音が響き渡り、凄まじい衝撃が走る。
だが、砕け散ったのは、オークジェネラルの棍棒の方だった。いや、違う。衝撃に耐えきれず、その腕ごと、木っ端微塵に弾け飛んだのだ。
これは……なんだ?
岩と化した左腕から、膨大な情報が逆流してくる。このダンジョンが、どれだけの年月をここで過ごしてきたのか。どれだけの魔力をその身に蓄えてきたのか。物質が持つ、遥かなる『記憶』。
《武装同化》……そうか、俺のスキルは、単に武具の特性を真似るだけのものじゃない。対象とする物質の『本質』そのものと一体化し、その記憶と力を、我が物とする力だったんだ……!
理解は、確信へと変わる。ならば――!
俺は右手をダンジョンの壁に叩きつけた。「――同化!」皮膚が瞬時に鋼鉄の硬度を獲得する。続けて、足元に転がる微かな魔力を帯びた鉱石に触れる。「――同化!」指先が鋭利に尖り、ミスリルシルバーの輝きを放つ爪へと変貌した。
最後に、右手に握りしめたままの、折れた剣。それに、かつて見た黒曜石の、全てを切り裂く硝子のような鋭さをイメージして、魔力を注ぎ込む。
「――《武装同化》ッ!」
折れた切っ先が、ありえないほどの鋭利さを纏い、闇色の光を放った。
「グルルルァァァ!」
モンスターの群れが、俺の変化に気づき、一斉に襲いかかってくる。
だが、もう遅い。
「――来いよ」
最初に飛びかかってきたゴブリンの爪を、鋼鉄と化した腕で弾き返し、すれ違いざまにミスリルの爪で切り裂く。悲鳴を上げる間もなく、ゴブリンは二つの肉塊へと変わった。
オークの棍棒を、身じろぎもせずに受け止める。衝撃はない。逆に、棍棒の方がへし折れた。呆然とするオークの分厚い胸板を、黒曜石の鋭さを纏った折れた剣が、まるで紙のように貫いた。
もはや、それは戦闘ではなかった。
一方的な蹂躙。
俺の前に立つ全てのモンスターは、その命を刈り取られ、ただの死骸へと変わっていくだけだった。
どれほどの時間が経っただろうか。
やがて、最後のモンスターが絶叫と共に地に伏し、ダンジョンには、再び静寂が訪れた。俺の、荒い呼吸の音だけを除いて。
俺は、岩と化したままの左腕を、ゆっくりと持ち上げた。
それは、俺が今まで「役立たず」だと信じ込んでいた、スキルの力の証明。
「……俺は」
乾いた唇から、声が漏れる。
「弱くなんか、なかった」
そうだ。弱かったんじゃない。ただ、知らなかっただけだ。俺自身も、そして、俺を見捨てたあの連中も。
俺は、空っぽになったダンジョンを見渡した。もう、ここには何もない。
振り返るべき過去も、戻るべき場所も。
折れた剣を鞘に納め、俺はダンジョンの出口に向かって、一人、静かに歩き始めた。