EPI.03 週末テトラ
あの日以来、放課後、定期的に女子生徒と会話に付き合うことがユウタの日課となっていた。だが、今日は話がどうも妙な方向に流れている。
つい先ほどまで並んで楽しくお喋りをしていたはずのクラス委員長の喜多と、ポニーテイルの女子生徒がユウタの前で火花を散らすように睨み合っていた。
「私たちは芳野さんの厚意でお話に付き合っていただいているのです。厚意に甘えるあまり、過度な要求を強いることは失礼です」
「喜多さんの言うことも正しいけど、でもさ、今は子孫を残すことっていうのがこの国に住む私たち共通の最優先事項じゃない? だったら芳野くんに多少の負荷を強いることになっちゃうとしても、それが必要なことであれば、個人の権利より優先されると思うんだよね」
「それとこれとは話が違います。あなたの理屈は大義名分の一側面だけを都合のいいように拡大解釈して自分の欲求を正当化させただけの詭弁です」
「確かに私の欲求かもしれないけどさあ、結果的にそれが子孫繁栄につながるなら、それは悪いことじゃないと思うんだけどなあ」
真剣にお説教モードに入っている喜多とは対照的に、ポニーテイルの女子生徒はわざとらしく唇を尖らせる。
飄々と喜多のお説教をあしらっている少女。個性的な子だったため印象に残っている。陸上部に所属している同じクラスの生徒で、名は確か南井和泉という。白いブラウスから長く伸びる肢体が一足先にうっすらと日に焼け始めており、服の合間から見える白い肌とのコントラストが生命力を感じさせる。
「なんや、またけったいな話になっとるようやのう」帰り支度を終えたヨーイチがひょっこりと顔をのぞかせた。「今度は何事や?」
遠慮なく最上段から放たれたヨーイチの声に、喜多はさっとユウタの背後に隠れ身を縮こませる。
「オオゴトです」喜多が悲鳴のような声を上げる。「この子が、芳野君とデートがしたいって言いだして。私は、今以上に芳野君の負担が増えることはよくないと説得をしている最中です」
「ほー、で、モテモテのユウタくんはどうなんや?」
「デートが何をするものなのかちゃんと理解できているわけじゃないから俺にそれが正しく務まるのかは分からないけれど、できることであれば協力はしたいと思う」
喜多が背後でぷるぷると震えながらユウタをにらみつける。
「ほら、本人の意思が一番尊重されるべきじゃない?」
「でしたら、私も一緒に行きます!!」
「えー、つまんないー。それじゃあデートにならないじゃんー」
「それが公平というものです。希望者みんなで仲良く一緒にデートしましょう。東雲さんも当然参加されますよね?」
「えっ、ヤダ」
「空気を読んでくださいよ」
「だって、今週末はやっと届いたアリの巣観察キットで遊ぶ予定だし」
「ね?」
「えーっ、や――」
何かを喋りかけた万鈴の頭を、顎ごと強引に閉じ頷かせる喜多。
「では、東雲さんの合意も取れたことですし、私は万鈴さんと二人で向かいます。日程は今週末。あまり遅くなってもご迷惑でしょうから、十時に駅前で集合ということにしましょう」
よほど頭に血が上っていたのだろう。普段の喜多らしからぬ強引な手口に舌を巻く。
「ところで、デートって具体的にどうするの?」
「えっと、それは……」
ユウタの当然の疑問に、その場にいた全員が言葉を濁す。
当然、マンガや映画などでデートのワンシーンを目にしたことはあるが、いざ何をするかと言われれば具体的なイメージを思い描けない。
「お前らホンマか……?」
ヨーイチが、あきれ顔で呟く。
「お前は知っているのか?」
「マンガはなんでも教えてくれる。ワシに知らんことはなんもない」
「でしたら、是非ご教授ください」
「古今東西老若男女、最初のデートの相場っちゅーたら――」短い髪を撫でつけるようにかき上げると、ヨーイチはビシッとユウタの顔めがけて人差し指を突きつける。「サテンで茶ァしばくに決まっとるやろがい」
そして週末。
いつもの自転車ではなく、巡回バスに乗りユウタは丘塚駅前に到着する。
駅前のロータリー。誰の趣味で、どこの芸術家が拵えたものなのか知る由もないが、まるで財布を落とし絶望したまま固まってしまったようなタヌキの銅像が立っている。その前に、見知った人影を見つけた。
予定の十五分前の到着だったが、案の定、彼女のほうが先着だったようだ。
「ごめん、待たせたかな」
手を振りながら歩いていくと、彼女は控えめな仕草で手を振り返した。
「いえ、大丈夫です。私が早すぎただけですから」
喜多ははにかむ様に笑って、落ち着かない様子で目を伏せる。
あまり目にすることのない私服姿の同級生と話をするというのは、不思議と新鮮な感覚だった。
薄手の白いブラウスに水色のひざ丈スカート。足元は丸くかわいらしいパンプスだ。色味に派手さはなくそのあたりは喜多らしいが、細腕がうっすらと透けて見える鮮やかなレースと、広く開いた首周りにきらりと光るネックレスは普段とは異なる印象を感じさせた。
「普段はそんな感じの洋服を着てるんだね」
「こ、これはお姉ちゃんに無理やり着せられただけで私の趣味というわけでは」
「似合ってると思うよ」
「は……、ぅ……」
ポンっと。喜多は顔を真っ赤にして固まってしまう。
「やっほ」と間を置かず背後から声をかけられる。「へー、喜多ちゃん普段はそんな感じなんだ。ちょっと意外」
サングラスを頭の上にくいっと上げ、南井は言う。
こちらは派手なプリントの黄色いTシャツに、ジーンズのホットパンツ。
目立つ色味である上にタイトなシャツはメリハリのついたボディラインを強調し否応なく視線を引き寄せさせる。臀部を覆うギリギリサイズの布地からスラっと伸びる引き締まった脚も相まって彫刻美術のような美しさを連想させる。
「ねえ、芳野くん。私は?」
「とても似合ってると思うよ」
「きゃー、わっかってるー!!」
と、妙なテンションでやたらと身体を密着させてくる。
フリーズした喜多を再起動させたり、いつも以上にはしゃぐ南井をステイさせたり、まだ集合前なのに始まる前から忙しい。
あとは万鈴の到着待ちなのだが、あまり乗り気でなかった彼女のことなので一抹の不安が残る。
少なくとも遅刻、最悪バックレまで想定していたが、予想外にもぴったり時刻のバスで到着した。
「みんな早いね。おまたせー」
「で、お前はそれなのな」
毎日袖を通しても傷まない頑丈な生地と、着る人を選ばない黒を基調にした折り目正しいデザイン。
手をひらひらと振りながら登場した万鈴の服装は、つまり、学校でよく見慣れた制服である。
「ん、なにが?」
と顔にハテナを浮かべていた万鈴だったが、喜多と南井の私服を見るや、さすがに気おくれを感じたのか少し顔を赤くする。
「仕方ないじゃん。購買棟で買える私服なんて軒並みクソださいのしか売ってないんだもん。寮住まいだとあまり買い物にも出かけられないし。これが一番かわいいの。あえてこれなの。っていうかそう言うユウタの恰好だってなんか全然地味じゃん」
「男物は、そもそも店がほとんどないんだよ」
「あの、すみません東雲さん。私、東雲さんのこと考えずにこんな格好で来てしまって、気が利かなくて……」
なぜか喜多が申し訳なさそうに頭を下げる。
「喜多ちゃんは真面目だなあ。服なんてただの布だよ。包んでいる女の子を魅力的に見せるだけのただの道具。言い換えれば、女の子が魅力的だったら服なんてなんだっていいのよ」
南井の言葉に、なるほど、と万鈴は手を打つ。そしてスカートの端をつまみ上げる。
「ねえねえユウタ、ほら、――ちらっ」
「キョウに聞いたお店は東の通り沿いなので向こうの道ですね。行きましょうか」
尻に良い蹴りが入る。
顔を青ざめさせる喜多と、けらけらと笑う南井。今日も騒がしい一日になりそうである。
キョウの案内に従い向かった先にあったのは、絵本の中から抜け出してきたような味のある店であった。
店構えは古い木組みで、それを覆うように点在する植物は小ぎれいに整えられており、まるでリスの家を連想させる。
決して広くはないが、店内を丸ごと見渡せる大きなガラス窓が据えられているため、窮屈な印象は感じない。
通り沿いに並ぶ他の店と比べると別の時代からうっかり紛れ込んでしまったような独特な雰囲気があった。
重いドアを押し開けると、ちりんと心地の良い音が鳴る。
中に入ると、少し冷たい空気と一緒に砂糖を焦がしたような甘い香りが出迎えてくれた。
「なんだか、不思議な雰囲気のお店ですね」
「私、喫茶店はケーキを食べによく友達と行ってるけど、そういうお店とはちょっと違うみたい。ちょっと、対象年齢層高めな感じ?」
カウンターでひとり本を読む女性。犬を抱きながら歓談する老婦人たち。
もとより小さなお店であるためお客の数も多くはない。落ち着いて会話を楽しむには打ってつけの場所のようだ。
向かい合わせのボックス席に座りメニューを眺める。
座る位置で若干揉めたが、ユウタの隣には万鈴が座ることで場は落ち着いた。
「あ、珍しい。このお店コーヒー頼めますよ」
「本当だ。私飲んだことないや」
「おいしいんですかね」
「個人の好みだとは思いますが、嗜好品としては人気があったらしいですからやっぱりおいしいんじゃないですかね」
「じゃ、せっかくだから私頼もーっと」
「あっ、私も」
「あの、では私も同じものを」
「決まりかな」
メニューを閉じ、ユウタはカウンターの向こうにいるエプロン姿の婦人に声をかける。
婦人は返事もなくメモを手にユウタたちのもとへ来る。
「えっと、コーヒー四つ」
「……ほかは?」
「以上で」
ユウタら四人の顔を順番に見てから、無言でカウンタの奥へ戻っていく。
「お店の人、不愛想だったね」
「若い子が珍しくて警戒しているのかもしれないですね。お店のイメージなどもあるでしょうし、あまり騒がないようにしましょう」
「じゃ、騒がしくない範囲で始めましょうか、デート☆」
「お手柔らかにお願いします」
よろしくお願いします、と四人同時に頭を下げる。よくわからないが、デートの始まりとはこういうものなのだろうか。
「ユウタくん、休日とかいつもなにしているの?」
あいさつ代わりに、とばかりに南井が問いかける。今まであまり触れてこなかったプライベートな部分に踏み込んできた。
「だいたいはヨーイチ、――ああ、小村ね、デカくてピアスしてるやつ、の手伝いでマンガの原稿を手伝っていることが多いかな。学校の部室に集まって、一緒に作業しているよ」
「やっぱり、こんな時代でも男の人は男の人同士で遊ぶんですね」
「気兼ねする必要がないからね。女性からしても俺らと遊ぶのは落ち着かないだろうし」
「小村君っていつもマンガ描いてますよね。どんなマンガ描いているんですか?」
「ラブコメばっかり描いてるよ。ベタ甘なやつ」
「え゛っ」
女性陣の脳裏に、背景に花を背負いながら優しく微笑む強面の男がよぎり、思考が止まる。
「私、バイオレンスアクションだと思ってました」
「私は絶対スプラッタホラーだと」
「不条理ギャグ……」
「……外観のイメージに引っ張られすぎだよ。あいつマンガに関してはかなり真面目だから、一度読んでみることをお勧めするよ。繊細な心理描写とか見事なものだと思うよ」
「人は見かけによらない、のお手本みたいな子なんだねえ」
「それ以外では? 自分の趣味とかはないんですか?」
「あと、たまにだけどキョウ、――このお店を紹介してくれたやつなんだけど、そいつの畑仕事を手伝ったり、あとはレンの保護活動に付き合ったりしている」
会話の邪魔にならないタイミングで注文していたコーヒーが届いた。一口をすすると、飲みなれない味に舌がピリピリとしびれた。ポットから砂糖を二袋開けてかき混ぜる。
その様子を見た南井は、少しはにかんでから、それまで何も入れずに飲んでいたコーヒーに砂糖を二袋とクリームを注いだ。
「キョウの所属している園芸部は、あいつ含めて部員が三人しかいなくてね。たまに男手が必要な時に手伝ったりしている」
「あの校舎裏にあるだだっ広い畑だよね? あれ、三人で管理してたんだ。すごいなあ」
なぜか南井はしきりに感心している。
「私も部長のユイさんにお願いされて何度か収穫のお手伝いをしたことがあるんですけど、とてもおいしいんですよね。あそこのお野菜」
「購買棟で売られている野菜の大半は学園内で収穫されたものだしね。寮で出てくる食事にも使われてるだろうから、東雲さんもたぶん口にしたことがあるはずだよ」
「知ってる。しいたけ以外はおいしかったよ」
「お前、まだしいたけ食えないのか……」
「いいじゃん。ほかの野菜で栄養はちゃんと摂ってるもん」
驚いた様子の南井がぽつりとつぶやく。
「へえー、ユウタくん、東雲さんの食生活まで詳しいんだ?」
「あー、うん、まあ小さいころからの付き合いだし」
「ずっと気になってたんだけどさ、東雲さんとユウタくんって、実際どういう関係なの? ご近所さんっていうには距離が近すぎる気がするんだけど?」
「えっと、それは――」
「私がユウタの家で一緒に暮らしてた時期があるんだよ」
あっけらかんと万鈴が言う。
「いいのか?」
「いいじゃん。知ってる人は知ってる話だし。最近のユウタの人気過剰っぷりを見てると、下手に隠してると、あとから大事になって変な噂になりかねないし」
「すごい、いつから一緒だったの?」
「大災害のちょっと後くらいから」
「一歳じゃん。すご」
「ん。だから、物心ついたころにはユウタと一緒に暮らしてた。男の子と一緒に暮らすのが当たり前だったんだよね」
「そりゃあ、私たちと比べて男性に対する経験値が違うわけだ」
「今は一緒に暮らしているわけではないんですよね?」
「うん、12歳で丘塚学園に進学したのをきっかけに寮で一人暮らし始めたから」
「どうして、家を出たのですか?」ずっとコーヒーに息を吹きかけていた喜多が、やっと一口飲む。「ほとんど家族みたいなものだったんじゃないですか?」
「愛花さん、――ユウタのお母さんにこれ以上迷惑かけたくなかったからだよ」
「何度も言ってるけど、母さんは迷惑だなんて思ってなかったよ」
「知ってる。でも、たとえそれが本心だとしても、甘えっぱなしでいていいってことにはならないよ。そこの線引きはきっちりしておかないと」
「……東雲さん、思ったより大人だ」
「えっ、私どう思われてたの?」
「えーと、それは、まあ」
南井は言葉を濁し、喜多はさっと顔をそむける。
その反応から何かを察し、万鈴はムスっとほほを膨らませる。
「ねえねえ、ユウタ、せっかくだし私のこと昔みたいに呼んでみてよ。昔みたいに」
やばい、目が座ってる。
「覚えてる? 覚えてない? 早く思い出さないと危ないよー。懐かしい思い出話とか始まっちゃうかもしれないよー。まだ一人称が『俺』じゃなくて『ゆうたくん』だったころの話とか、怖いテレビを見た夜に私の布団に――」
「……万鈴姉ちゃん」
「はい、よくできました」
万鈴がユウタの頭を雑に撫でまわす。そして正面の二人に笑顔で向き直る。
「私、ユウタのお姉ちゃんだから。誕生日三日早いの。お姉ちゃんだから」
「…………」
「えーっと、喜多さんや南井さんの休日はどんな感じなんですか?」
どうにかして話題を変えようと、ユウタは手探りのまま話を振る。
特に興味があったわけではないが、はずみで出た言葉にしては悪くない話題のような気がした。
「私は土曜日は母の病院の手伝いをしています。日曜日は午前中にお菓子を作って、午後からは学校の予習復習などのお勉強をしています」
「ほかには?」
「その、ほかにはあまり……。だいたい毎週同じ感じで。面白くない話ですよね……。すみません……」
「毎週末お勉強してるんだ。さすがインテリ」
「私、学校以外で勉強している人初めて見た。そんな人いるんだね」
そりゃあいるだろう。お前は宿題を何だと思ってるんだ。
「南井さんは?」
「私は平凡だよー。いいんちょと違って遊びっぱなし。部活っつっても体を動かすのが好きだからやっているだけで、何か目標があってやってるわけでもないし。休日は部活はお休み。だから、だいたいは友達とカフェでお喋りしたり、古着屋やアクセ屋を見て回ったりしている」
いいでしょ、とシャツの襟に引っかかっていたサングラスをドヤ顔でアピールする。きっと自慢の一品なのだろう。
「古着にアクセサリーか。やっぱり南井さんはおしゃれなんだね。古着屋に、アクセサリー屋、俺はどっちもも行ったことないよ」
「それはユウタがおしゃれに興味ないからだよ。小村くんとか、けっこうアクセにこだわってるし。植田くんはふわふわした感じだけど身だしなみはしっかり整えてる。まあ、松井君はよくわかんないけど……」
「お前、意外とちゃんと見てるのな」
「そういえば、あの人のピアスとかどこで買ってるんでしょうか」
「確かに言われてみればそうですね。お洋服も装飾品も、流通しているのは女性物しか見たことがありません。男性の方って、洋服などはどのようにして買っているのでしょう?」
「だいたいは定期的に送られてくるものを着ているよ」
「送られてくるんですか? どちらから?」
「政府から。男性物はほとんど需要がないから商売にはならないんだけど、技術を途切れさせないためにも作り続ける必要はあるらしくって、それで定期的に作られるサンプルを使わせてもらっているんだ」
「へえ、世の中知らないことも多いんですねえ」
「男性用の衣類を売ってるお店もあるにはあるから、そういうのが好きな人は好みの服を探したりしているんだろうけど、俺はそこまでこだわっていないから実際に買ったことはないかな」
「売ってるところ、あるんだ」
「あるよ。実はこの近くにも一件知ってる」
「ねえ、今日まだ時間あるでしょ? この後そのお店に行かない?」
「ん、それは、できれば次の機会にしたいかな」
「やった、次の機会って、要するに次のデートってことだよね?」
「そうなるね」
「らっきー。まさかユウタくんから提案されるとは思っていなかったから嬉しいな」
「も、もちろん私も一緒に行きますからね」
喜多が前のめりに顔を突き出してくる。
「でもどうして今日じゃなくて今度なの?」
「ちょっと準備が必要だからね」
「準備って、なんのですか?」
「喜多さんには悪いんだけど、そのお店があるの、Y-COMの区画内なんだ」
「はへぁ?」
その瞬間、南井はコーヒーを噴き出し、喜多の瞳からはハイライトが消えた。