EPI.41 三毛猫に祝福の花束を
五十鈴と赤木は、成田空港に併設されている駐車場で二人並んで空を見上げていた。
長い滑走路の端で離陸した飛行機が、どんどん小さくなり、雲の向こうへ消えていく。
「あー。行っちゃいましたねー、先輩」
「行っちゃったわね」
二人が背中を預けているのはいつもの白い車。あの日の特攻で動かなくなってしまっていたが、つい先日修理が完了していた。移動に使う分には不便はないが、バンパーは大きくひしゃげたままで、砕け散ったフロントガラスはすべて取り払われていた。公用車として使用するには体裁が悪いということで、おしりにプリントされていた厚生労働省のロゴはペンキで塗りつぶされている。
「今すぐ管制室へ飛び込んで行って、特措法を振りかざしてパイロットに緊急帰還するように指示すればギリギリ間に合いますかね」
「機体もパイロットもビフレシア製よ。離陸した時点で日本の法律は適用されないわ」
「じゃあ、私たち犯罪者で確定っすねー」
「そうね。まさか公安から逃げることになる日が来るとは夢にも思わなかったわ」
五十鈴はつまらない冗談のようにそう言って、手にしていた缶コーヒーを飲みほした。
――もちろん、五十鈴も赤木も、警察から追われるようなことにはならなかった。
今回の一連の大騒動は、生存戦略特措法を始めとし、あちこちの法に触れていることは間違いないが、すべて『生存戦略課上層部の判断のもと超法規的措置につき不問』という形で落着している。
有体に言えば、五十鈴らは上司の指示に基づき任務を遂行しただけ、ということだ。
「ああー、ママになんて説明しようぅー」
救急車の中で芳野大輔から話を聞いたあの日、自分で決断したことであるはずなのに赤木は今更になって泣きそうな顔でぼやく。
今日は、その上層部の判断を赤木に伝えることも仕事の一つだったのだが、彼女の悩んでいる姿を見ているのが面白くなってしまい、ついここまで話しそびれてしまっていた。
「今更だけど、今回の件で私たちが法に問われることは何もないから安心していいわよ」
「はえ? なんでですか?」
「昨日の所長報告で私が掛け合ったの。結果、要望は全面的に認められているわ。私も、あなたも、一切お咎めナシよ」
「せんぱぁい……!!」
両目に涙を浮かべながら、赤木が抱き着いてきた。
若干鬱陶しいため、五十鈴は片手で彼女を引きはがす。
――決死の覚悟で臨んだ所長報告だった。
今回の大脱走と、その顛末の重大性は、NGPに初期から関与している身として誰よりも理解していた。
そのうえで、死んでも押し通さなければいけない決裁は、数えきれないほどあった。
報告に際し、駆け引きの切り札として手にしていたのは、救急車の中で赤木から手渡された一本のUSBメモリ。
五十鈴が気を失っている間に芳野優太から託されたというそのメモリの中には、特管施設内で行われていたと思われる痴態の数々が保存されていた。
五十鈴にとって、あくまでも悪いうわさでしかなかった醜聞の全貌が、そこには映されていた。
年端も行かぬファウンダー相手に過剰なスキンシップを取る者。愛玩動物のように膝の上に乗せ、ほほを擦りよせる者。見せつけるように目の前で自慰に耽る者。躊躇なく馬乗りになり、むさぼり喰らう者。
怒りよりも、おぞましさによる恐怖を覚える映像であった。
その醜聞と引き換えに、勝手な要求がどこまで通せるか。話の規模が大きくなりすぎているため五十鈴の持つ算盤ではどう転ぶか計算できずにいたが、結果としてはおつりが出たということになるのだろう。
五十鈴は、先日の記憶を思い起こす。
定刻に所長室を訪れた五十鈴は、ノックの後にそっけなく返ってきた「どうぞ」という声に従い、扉を開けた。
彼女が書類に目を落としたままこちらを見ないのはいつものことなので、五十鈴は彼女に目を合わせることもなく、そのUSBメモリを所長の机の上に置いた。
(これはなに?)
(ここに、特管でのファウンダーに対する不適切な性的接触の証拠映像があります)
(そう。要求は?)
(……中を確認しないんですか?)
(あなたがブラフを使えるような人間だとは思っていないわ。で、要求は?)
(USBに記録されているようなファウンダーへの不適切な性的接触の根絶。特管の管理体制の改善。ファウンダーの人権問題の再審議。管理IDT01-0100735:真田健太郎の施設脱走および国外渡航の不問。管理IDT01-0102255:芳野大輔の施設脱走およびファウンダー保護法違反、生存戦略特措法違反の不問。そして、赤木利奈が今回の特命任務中に芳野大輔より要望された母体候補の選定操作の承認、およびそれを含む不適切行為の不問です)
(芳野大輔の施設脱走の不問を除き、他の全てを認めます)
(……彼の処罰の内容は?)
(自室謹慎一週間。真田健太郎が不帰であることも踏まえ、これを看過することは特管の秩序を請け負う者として認められません)
(…………)
(心配しなくていいわ。あくまで体裁用の措置であり、懲罰的な制裁はありません。私も彼には期待していますから)
(……承知しました)
(……? どうしたの、まだ話があるの?)
(私の処分についてまだ伺っていません)
(今回の騒動について、あなたは最上の成果を上げています。すべてを内々に収め、世間の噂すら立たせずに事態を収めました。処罰する必要がありません)
(結果として、ファウンダーを一名失っています)
(無論、承知しています。ですが、無為に失ったのではなくメリットとデメリットを天秤にかけての判断の結果でしょう? 報告書は読んでいます。ファウンダー一名の損失と見合うだけの利益があるとあなたが判断したのであれば、私が口を出すことは何もありません。あなたの判断を尊重します)
(…………)
(まだ、なにか?)
(所長は、USBに記録されていたような醜聞に、どこまでかかわっていたのですか?)
(私が直接計画したことはありません。指示を出したことも。ですが、いつからかこういったことが行われていたということは承知していました。そして、NGPを円滑に運営するために必要な手段として黙認していました)
(それが、正しいことだと思っているんですか?)
(無論、正しいことだとは思っていません。ですが、政局が不安定だった当時は必要なことだったと思っています)
(…………)
(納得できない?)
(できません)
(それは、理屈的に? それとももっと別の側面かしら?)
(感情的な側面からです)
(つまりあなたは、私には、潔癖でいてほしかった。そういうこと?)
(……娘として、そう思うことはおかしなことですか?)
(否定はしないわ。むしろ、仕事を抜きにすれば誇らしいくらい)
(だったらどうして――)
(私は、この国の未来を最優先に考えます。それは、私個人の感情より優先されます。それだけです)
(あなたは、そのことに納得できているのですか?)
(無論です。ほかには?)
(……いえ、以上です。失礼します)
(待ちなさい。忘れものよ)
(これは、……どうしてこれを私に?)
(そのデータはあなたが持っていなさい)
(なぜ?)
(私も含め、NGPは色々無茶をやっています。いつか、そのひずみが限界を迎え、上層部の刷新を求められる日が必ず来ます。そうなった時に、悪あがきをしようとする連中の暴走を止めるための手綱になるでしょう)
(……いいのですか? 私が、あなたの考えに同調する保証はありませんよ)
(構いません)
(今すぐ、これを使って内部告発するかもしれませんよ?)
(構いません。これは強制ではありません。あなたは、あなたが思うようにやりなさい)
――自分のやりたいように、やりなさい。
まるで、何かの試験のように所長から突きつけられた言葉を、五十鈴は心の中で反芻する。
彼女の言葉は、一から十まですべて納得のできるものではなかった。
だが、彼女の矜持のようなものは、確かに感じられた。
それは、今まで遠くに感じていた彼女を、ようやく、手で触れられるほど近くに感じた言葉だった気がした。
「健太郎くん、これから大変ですね」
不安から解放された赤木は、どこかぼんやりとした表情で、遥か雲の彼方に飛んで行った少年に思いを馳せ、言う。
「そう、ね」
大変などという言葉でくくれるようなものではないだろう。
ひとつの国の、歴史と未来。13歳の少年が背負うにはあまりにも重い。
だが、それは、五十鈴が安易に口出しできるような問題ではない。
ありきたりな激励を口にすることすら無責任だ。
(僕と一緒に、この国を裏切ってもらえないかな?)
あの日、芳野大輔からなされた提案は、五十鈴にとってまさに裏切りへの誘いだった。
(ケンの国外出国を見逃してほしい)
あっけにとられていた五十鈴を前に、彼は計画の全貌を淡々と話した。
――大規模な内戦を止めるため、是が非でも彼をビフレシア王国へ送り届けなければならない。
――そのため、多くの協力者の助けを借りて出国する計画が進んでいる。
――基本的には気づかなかったふりをして看過さえしてもらえればそれでいい。だけど、もし万が一、どこかで偽装が露見した場合、政府職員としての立場を利用してフォローをしてほしい。
その時詳細を聞かされた彼らの計画は、緻密で完成度の高いものだった。わざわざ五十鈴らの協力に頼らずとも、成功していた可能性は高いだろう。
唯一リスクとなりえるのは出国審査くらいだが、国際的な交流も縮小している今の時代、外国人の顔の区別がつかない者も多い。
パスポートの本人確認など、ブロンドヘアを見ただけで素通りさせるようなザル認証に違いないだろう。
ならば、いくら五十鈴らが信用に足ると判断したからといって、その計画の一端を政府職員へ暴露するほうがよほどリスクが高いとすら言える。
にも拘らず、彼がその提案を五十鈴へした理由は――。
「まだまだ若いのに、しっかりした子たちですよね。ちゃんと私たちのための言い訳まで準備してくれていたんですから」
真田健太郎の国外出国が、政府公認であったというシナリオにするため。
つまりは、『ファウンダーの脱走』という政府の失態を、『国際的な平和外交』という大義名分へ変換するための布石だ。
ことがうまく運び真田健太郎が国の立て直しに成功した暁には、NGPの醜聞はなかったことになり、日本は国際社会での信用を得る。
加えて、その見返りとして日本が得るものは――。
「提案された対価は、ビフレシア王国が保有する海底油田の共同開発権。そこで日本に与えられる交渉権は、産油量に対して破格の30%。この提案を拒める人間なんてこの国のどこにもいないわ」
「ほとんど無政府状態で国交が断絶していた国から突然そんな通達が来たら、外務省の連中、泡吹いて倒れちゃいませんかね」
「あそこの職員も働きづめだし、しばらくベッドで休む機会になってちょうどいいんじゃない」
そのころには、今は身を隠すしかない彼らの協力者も、英雄へと立場を変えているだろう。
「相変わらず、冗談がブラックですねえ」
赤木が、懐かしい平穏を楽しむ様に、笑う。
それを見て、五十鈴も自然と口元がほころんだ。
時計の進みがゆっくりに感じるような、穏やかな時間だった。
芳野大輔らの脱走以来ずっとドタバタしていたため、このような時間の使い方を忘れてしまっていた。
五十鈴は肩から力を抜くように息を吐きだし、昨日からぼんやりと考えていたことを、そのまま口にした。
「ねえ、赤木さん。一つ、お願い事をしてもいいかしら?」
「なんですか、改まって。重大犯罪者になるはずだったところを救ってくれた恩人の頼みであれば、どんなことでも聞いてみせますよ」
どんとこいと。赤木は、サマにならない仕草で自分の胸を叩く。
「私、早ければ来年くらいから何年か仕事休むから、あとのことはよろしく頼むわね」
「……冗談ですよね?」
「本気よ」
「まさか転職ですか!? 抜け駆けですか!? 今回の件でこの仕事が嫌になっちゃいましたか!?」
「職場環境にうんざりすることは確かだけど、理由はそれじゃないわ」
「じゃあどうして」
「――産休よ。来月から特殊公務員特権のNGP母体候補除外申請取り下げる予定だから。それに合わせて、普段の仕事も少しずつ減らしていくわ」
赤木の顔が、花が咲いたようにぱっとほころんだ。
「なるほど。そういうタイプの心境の変化ですか。なるほど、なるほど」
「なによ。そんなニヤついた顔して」
「なぜですかね。自分でも分からないです。だけど、なんだかとっても嬉しい気分になっちゃって。わかりました、任せてください。五十鈴先輩が産休に入っている間、特管の平和も先輩の身体も私が守ります。安心して元気なお子さんを産んでください」
「仮に妊娠したとしても、あなたに診てもらうのはなんだか気分がよくないから、管理職権限でほかの特管に回してもらおうかしら」
「何でですか!! 私に診せてくださいよ!! 命に代えても母子の健康を守りますよ!! 何なら名付け親にだってなってあげますよ!!」
「いやだ。キモイ」
きゃーきゃーと、まるで十代の若者のようにじゃれ合う成年女性二人。
そのとき、不意になにかの気配を感じて振り返る。
今の時代、駐車場を利用する者など他にいないだろうと完全に油断していたため顔を引きつらせていたが、その気配の正体を知り、ほっと胸を撫でおろした。
「あ、猫ちゃんだ。かわいいー」
赤木の言葉に返事をするように、その三毛猫はにゃあと鳴いた。
そして、警戒心のない様子でその場に座り込み顔を洗い始める。
赤木は腰をかがめ、文字に起こせないような難解な猫なで声を出しながらそちらへ歩いていく。
「はい、捕まえたー。こんな簡単に捕まるってことは、キミは飼い猫なのかな?」
手慣れた手つきで片手に猫を抱えた彼女は、うりうりーと、首の後ろのあたりを揉む様に撫でる。
「あれ、君まえに丘塚の駅前あたりで会った子じゃない?」
「そんなわけないでしょ。ここから何十キロ離れてると思ってるのよ」
五十鈴は呆れたように言う。
「猫好きを舐めないでください。確かにちょっと常識外れですけど、私、猫を見る目は確かなんですよ。それに、この子オスですから。たぶん、間違いないです」
「オスだったからどうだっていうのよ。人類じゃないんだし、猫のオスなんて珍しいものじゃないでしょう」
「三毛猫のオスですよ? 先輩、知らないんですか? 三毛猫のオスって、すごくレアなんですよ」
言われてみれば、昔見たアニメかなにかでそういう話題を耳にしたことがあったかもしれない。
「……電車にでも乗ってきたのかしら」
「かもしれませんね」
赤木は、ちゃんと気を付けて帰るんだぞー、と飽きもせず撫で続けている。
「にしても、こんなところでオスの三毛猫、それも丘塚に住んでいる子に会うなんて、なんだか運命的なものを感じますね。もしかしてキミ、芳野優太くんを追いかけてきたのかな?」
赤木の言葉の意味を測りかね、五十鈴は首をかしげる。
「どういうこと?」
「さっき、三毛猫のオスがレアだって話したじゃないですか。じゃあ、どうしてレアなのかって話、知ってます?」
「知るわけないでしょ。そもそも、三毛猫のオスがレアだってことも、ついさっきまでほとんど認識がなかったんだから」
「猫の毛色を決めている遺伝子ってX染色体なんです。なので、ベースの白色に加えて二色の毛色を併せ持つにはXX染色体を持っているメスである必要があるんです。でも、オスが持つ染色体はXY染色体。つまり、X染色体がひとつしかない。だから、本来はオスの猫はベースの白色を合わせても二色までしか毛色を持てないんです」
「でも、現実としてオスの三毛猫もいるんでしょう?」
「この子たちの持っている遺伝子、XXY染色体なんです。何千匹に一匹程度と言われている染色体異常を持って生まれた子。それが、オスの三毛猫なんです」
「染色体異常って、それって健康上に問題があるんじゃ……」
「はい。ですので、この子たち、生殖能力がないんですよ。生まれながら」
「……そう」
得心がいった。
生殖能力のない男性。
五十鈴の脳裏に、少年たちの顔が浮かぶ。
彼らは、大災害で幼くして大切なものを失い、残酷な運命を背負わされた。
それでも、自分なりの道を探し、精いっぱいに、懸命に生きていた。
五十鈴は赤木のもとへ近寄り、腕に抱えられていた三毛猫の頭を優しく撫でる。
動物はどちらかといえば苦手なほうであったが、どうしても、そうしたい衝動を抑えられなかった。
猫は、ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らす。
自分たちは、無力だ。
国の未来を背負い、少なからず国を動かす力はあるとはいえ、彼らに対してできることは限られる。
そして、仮に権限を逸脱するような無茶をどれだけやったとしても、おそらく彼らの最も望むものを与えてあげることはできない。
だから、せめてと、五十鈴は祈る。
どうか、彼らに幸多からんことを。
どうか、
――彼らの未来に、祝福を。




