EPI.40 彼の理由、彼女の理由 後編
ラウンジにつくなり、エリサはユウタらに確認することなくアイスティーを3つ注文した。
ほどなくして、上品な琥珀色のドリンクが運ばれてくる。
高級感のある空間に居心地が悪そうにしているユウタらと対照的に、エリサは落ち着いた様子で細いグラスを手に取りストローに口を付けた。
「では、改めまして。芳野ユウタさん、東雲万鈴さん。まずは、お二人にお礼を言わせてください。ありがとうございました」
「お礼?」
「はい。おかげで、『エリサ=ライネ』が無事出国することができましたから」
ただ飛行機に乗るだけで大げさな話だ、とユウタは思う。というか、ユウタらは彼女の出国に関し何もしていないし、そもそもエリサは出国しておらず今も目の前にいるのだ。言葉の意味が、何一つ理解できない。
「いきなりお礼とか言われても、心当たりが全くないんだけれど。出国なんて、パスポートとチケットさえあれば、誰でもできることでしょ」
「パスポートも、航空チケットも、どちらも認められない人もいますから」
「パスポートが認められない?」
ユウタは、疑問符で溢れそうな頭の中をひとつひとつ整理する。
彼女の言葉の意味を、改めて考え直す。
パスポートの発行が認められないケース。知る限りでざっと挙げていけば、申請書と戸籍とに食い違いが確認された場合や、国際指名手配されている場合、そして、特例的に外務省に認証されない場合。
――外務省が、政府が認めない場合?
ユウタの心で、あちこちに散らばっていたパズルのピースが重なり合っていく。
緋梅会の事務所、その屋上で見た二人の姿。
まるで双子のようによく似た顔立ち。
腰のあたりまで伸びていたのに、うなじが見えるほどにばっさりと切り落されていたブロンドの髪。
そして、先ほど見送った、肩のあたりでブロンドの髪を揺らしていた人物。
「あっ」
ユウタは思わず声を上げる。
事態を飲み込めた様子を確認し、エリサは静かにグラスをコースターに戻した。
「――さっき俺たちが見送った子は、健太郎くんだったのか」
「はい。弟には私のパスポートとチケットで出国してもらっています」
真田健太郎。
先日、ダイスケとともに特管を抜け出していたファウンダーの子。
「そんな、それって違法なんじゃ……?」
「もちろん違法です。ですので、私も暑いのを我慢してこんな恰好をしているんですから」
「いや、さっきの子が健太郎くんだったってのは分かったんだけど、どうしてエリサさんがこんなことをしてまで健太郎くんを出国させる必要があったんだ?」
生存戦略特措法の罰則規定は比類ないほどに厳しいものだ。ファウンダーを国外へ送り出すなど、最低でも無期懲役は避けられないだろう。最悪極刑すらあり得るのではないか。
彼を出国させることが彼女にどのようなメリットを与えるにしろ、どう考えてもデメリットと釣り合わない気がした。
エリサはユウタの反応を予想していたように、落ち着いた声で話し始める。
「それをお話する前に、すこし、昔話をしましょうか。私たちの国、――ビフレシアで産まれた一人の男性の話です」
彼女の意図は分からなかったが、ユウタは素直に頷くことにした。おそらく、それが一番理解が早い予感がした。
「十数年前、欧州の片隅、――ビフレシアで暮らしていた旅行好きの男性が、日本へ観光に訪れました。そして、その際、彼は一人の女性と恋に落ちました。女性の名前は、真田音葉。――真田健太郎の母です」
ユウタは、先ほど健太郎少年と楽し気に話をしていた女性を思い出す。気の置けない家族特有の距離感だった。おそらく、彼女が健太郎少年の母だったのだろう。
「二人の蜜月は数か月続きましたが、男性は、ビザの刻限と残してきた仕事の両方に迫られる形で帰国を余儀なくされます。その際、彼は真田音葉と一つの約束をしました。『一年後、必ず君を迎えに来る。その時は神の名のもと家族となり、私の国でともに暮らそう』と。――しかし、結果として、その約束が果たされることはありませんでした」
その原因は、聞くまでもない。
「つまりは、大災害が起こった」
エリサは頷く。
「ビフレシアでも、例に漏れずほぼすべての男性が大災害で命を落としました。彼もまた、その一人で、愛する女性と交わした大切な約束を守ることなく亡くなってしまいました。まあ、ここまでであればよくある悲劇の一つなのですが、しかし、彼の死は、もう一つ特別な意味を持っていました」
「特別な意味?」
「はい。彼の国では王政が敷かれており、そのため、彼の死をきっかけにビフレシア王国は致命的な政治の空白状態が発生してしまいました」
「――えっ」
エリサの言葉が意味すること。理屈で考えれば明確なはずのその答えを口にすることに、小市民であるユウタの本能がブレーキをかけた。
「ちょ、ちょっと待って。その人が死んだことで王政を敷いていた国が無政府状態になっちゃったってことはつまり――」
「その男性の名は、エルヴィック=ビフトル27世。ビフレシアの27代国王です」
ユウタと万鈴は、口を開けたまま固まってしまう。
「……俺の記憶違いでなければ、エリサさんも健太郎くんと同じお父さんの子だったよね?」
「えっ、ってことは、エリちゃん、お姫様だったの?」
「国王の娘、という意味であればその通りです。王位継承権はないので、普通の貴族と大して変わりありませんが」
「いや、普通の貴族でも十分びっくりだよ。『普通の貴族』って日本語、絶対どこかおかしいよ」
「そのあたりは本筋ではないので一度話を戻しますね」
「……そうだね、ごめん続けて」
「大災害以前のビフレシア王国は、国民の幸福度も高く、歴史ある王室に肯定的で誇りを持つ者も多い国でした。ですが、無政府状態による混乱から次第に民心は離れ、ビフレシアでは王政派と革新派とが真っ二つになり反発しあうことになってしまいました。混乱の中、王政派がどうにか政権を立て直しギリギリのところで国としての機能を維持していますが、革新派の反発は今もなお激しく続いています」
内乱の続く国。
ニュースなどで海外情勢を耳にする機会はあった。そのため知識としては、いまだ混乱が続いている国が世界のあちこちにあるということは知っていた。
だが、所詮は対岸の火事だと思っていた。
「長年、泥沼の拮抗状態が続いていましたが、数か月前に事態が一変します。唯一、国王直系の血を継いでいた王妃が、何者かに暗殺されました。これにより、王政派と革新派の対立は、もはや全面戦争は避けられないものとなりました」
遠い異国の話だと、さして気にも止めていなかったような話が、実態と質量を持ったようにユウタの心にズシンと圧し掛かった。
当事者である彼女から聞く話は、言葉の重みがまるで違った。
「このままでは、間違いなく、多くの血が流れます。王政派にしろ、革新派にしろ、国民はそんなことを望んでいません。ですが、ここまで関係が悪化した国民の暴走を止めるためには、離れた民心を取り戻し、国をまとめ上げるための強大な象徴が必要でした」
ここまで話を聞けば、さすがに察しが付く。
「つまり、先代国王の血を継ぎ、しかも子を遺せる少年の登場は、国を再び一つにまとめ上げるのにまさに打ってつけというわけだ」
「はい」
エリサは静かに目を細める。ユウタらへの説明を終え、どこかの記憶に思いを馳せているようだった。
遥か極東の国に残された国王の落とし子。
政府施設で厳重に管理されているその子を、国外へ逃がす。
無論、簡単な話ではない。
綿密に、慎重に、計画を煉り、準備していたはずだ。
きっと、長い計画だったのだろう。ずっとずっと昔から、彼女の人生に組み込まれていた使命だったのだろう。
もしかしたら、彼女が日本で暮らすことになった理由すら、その計画の一端であった可能性もある。
「もっとも大きな難関は、健太郎さんを特管の施設から抜け出させることでした。そこで力を貸していただけたのが、あなたの弟、――ダイスケさんでした」
「だったら、やっぱり礼を言われるのはダイスケであって俺たちじゃない」
「そのダイスケさんから、言われたんですよ。『僕がケンの脱走に協力することを決心できたのは、兄ちゃんの後押しがあったからだ』って」
「そんな大それたこと、俺やったかな」
ユウタにはまるで心当たりがなかったが、エリサはそんな様子を気にも留めず、口元にほほえみをたたえて言う。
「というわけで改めて。ビフレシアの国民を代表し、お礼申し上げます」
「いやいやいや、頭を下げないでよ」
小市民であるユウタにとって、彼女が貴族と知ってしまったからには、とてもではないが対等に会話ができる気がしない。
ましてや、頭を下げられるなどもってのほかだ。
「だけど、本当に大変なのは、これからなんじゃないの? 健太郎くん、これからたった一人の王族としてビフレシアの国を立て直していくんでしょ?」
万鈴が、持ち前の無遠慮さで言う。
だが、ユウタもそれに同意する。エリサの前では口には出せないが、内心、暗殺にまで手を出す反対派がいるような場所の最前線で国民を導いていくなど、いったいどれほど危険なことだろうかと思う。
「そうですね。おそらく、困難の多い過酷な道でしょうね。ですが、私は信じていますから。彼の運命と、ビフレシアの国民を」
そう話すエリサの目は、強い光が灯っていた。
真っすぐで、決して虚勢や強がりなどではない、本物の輝きだった。
理屈ではないが、その様子を見て、ユウタは少しだけ救われたような気がした。
「僕たちをここへ呼んだのは、それを伝えるために?」
「はい。そして、不本意に巻き込んでしまっていたことについてのお詫びをしておきたかったので、こうしてお呼び立てさせていただきました」
「巻き込まれただなんて思っていないよ。俺たちが、勝手に首を突っ込んだんだ。だから、気にしないでほしい」
うんうん、と隣で万鈴も力強く頷く。
その様子を見て、エリサは満足そうに笑った。
「さて、最後の仕事も終わりましたし、お尋ね者としてはあまり長居も出来ませんから、私はそろそろ立ち去りますね」
「エリちゃんは、これからどうするの?」少し不安そうな顔を浮かべながら、万鈴が言う。「このまま、今まで通りの生活を続けることはできないの?」
「それは、できません。少なくとも、このまま丘塚学園の学生でいることはできないので、場所と名前を変えて、政府の目の届かないようなところで暮らすことになるんじゃないかなと思ってます」
「じゃあ、やっぱりビフレシアに?」
「パスポートを手放してしまった身としては、ビフレシアへ帰るにしても正規の手続きは踏めないので課題も多いんですよ。それに、いつか話したかもしれませんが、私日本語しか話せないですし。だから、少なくとも日本には居続けることになると思いますよ」
「……また、会えるかな?」
「父の失敗を反面教師にして安易な約束はしないようにしているので、はいとは言えません。ですが、きっと手紙を送ります。今度は、ちゃんと消印が押されている物を」
彼女が抑揚なくそう言うと、万鈴は感情を押し殺したようないびつな笑顔を浮かべ、「うん」と頷いた。
エリサは小さなバッグを手に取ると、ユウタと万鈴に背を向ける。
そして、「あ、そうだ」と何かを思い出したように、振り返る。
「最後に一言。健太郎さんからの伝言を預かっていました」
「伝言?」
ユウタはオウム返しで聞き返す。
「はい、健太郎さんからダイスケさんへの伝言です。頼まれていただけますか?」
「まあ、それくらいなら」
そして、エリサは、わざとらしくコホンと咳払いをして、
「『僕も頑張ってお前と同じくらいのスケコマシになって必ず国を立て直す。だから、お前も日本で立派なスケコマシになれよ』だそうです」
とんでもないことを言ってくる。
「それでは、確かにお伝えしましたのでよろしくお願いしますね」
「……ねえ、エリサさん。念のため聞くんだけれど、『スケコマシ』ってどういう意味か知ってる?」
「もちろんです」
それだけ言って、彼女は今度こそ本当に去っていった。
二人残されたユウタと万鈴はお互いに顔を見合わせる。
「これ、大丈夫かな? 侮辱罪とか国際問題とかで後で俺怒られたりとかしないよな?」
「私に聞かれても分かるわけないでしょ」
そっけなく言ってから、万鈴は我慢しきれなくなったように、お腹を押さえて笑い出す。
それにつられるように、ユウタも声を上げて笑った。




