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EPI.38 もう一つの約束

 

「キズ、大丈夫?」

「大丈夫だよ。きっと明日には治る」

 万鈴の問いかけに、ユウタは前を向いたまま、おどけた調子で答えた。

「治るわけないじゃん」

 弱々しい声が背中越しに伝わる。

 罪悪感から、馬の手綱を取る手に少しだけ力が入る。

 彼女の言葉に返す言葉が思い浮かばず、沈黙が続く。下手な冗談なんて言うんじゃなかったとユウタは後悔した。

 前方では、ミカンちゃんとヨーイチ、それにレンが同じペースで馬を歩かせながら、くつわを並べている。

 人の賑わいから離れた遠く離れた郊外。辺りの雑音は少なく、遠い足音だけでは無言の隙間を埋めるにはあまりにも不十分だった。

「五十鈴さんたちは、そろそろ病院に着いたころかな」

「…………」

「ダイスケが一緒に救急車に乗り込んだ時は、さすがにびっくりしたよね」

 万鈴からの反応は薄い。だが、沈黙の重圧から逃げるように、ユウタは一人で言葉をつなぐ。

 五十鈴らを乗せた救急車は、一足先に犬沢山の麓を出発していた。

 ダイスケから『僕も彼女たちに同行して一緒にNGPに戻るよ』と言われたときは少々面食らったが、逃げ出した張本人が自分で決めたことであれば、部外者であるユウタが口をはさむことではない。

 聞きたいことはまだまだたくさんあったが、弟の言葉を信じれば、いずれ近く分かる日が来るらしい。ならば、それを待つだけだ。

 ダイスケが特管へ戻る。

 これで騒動はひと段落、ということになるのだろう。

 五十鈴さんに、赤木さん。

 閑野さんに、鹿島さん。

 真田健太郎くん。

 それに、珠洲さん。

 数日前、突然降ってわいたように始まったダイスケに関連する騒動が、まるで波が引くように、一斉にユウタのもとから離れて行った。

 左腕に取り付けられていたVMDも、すでに赤木の手によって取り外されている。

 彼女たちとつながっていた接点は、もうどこにもない。

 いま歩んでいる丘塚の街へと戻るこの道は、ダイスケを取り巻いていた非日常から離れ、また、いつもの日常へとつながる道なのだろう。

「……どうして、こんな無茶したのさ」

 ユウタの独り言を遮るように、背後から声が聞こえた。

 その言葉は、そっけなく、トゲを含んでいた。

 ユウタは、少しだけ考えてから、

「たぶん、ダイスケの役に立ちたかったんだと思う」

 と言った。

 万鈴が、ユウタのシャツを握りしめたのが分かった。

「あいつの身に良くないことが起こっていて、それをどうにかできるかもしれないって珠洲さんから聞いたら、いてもたってもいられなくなった」

「だからって、こんな危険な事まですることないでしょ」

「ダイスケと違って、俺ができることなんて、たかが知れてるからさ。だったら、逆に出来ることはなんでもやらなきゃって思ったんだ」

「馬鹿じゃないの」

「うん。今ははっきり、馬鹿だったって思う。我ながら」

「もう、二度とこんなことしないでよ。絶対に」

 ユウタの背中に顔を押し付けるように、とても小さな声で、万鈴は言う。

「うん。もう、二度としない」

 コツコツと、蹄がアスファルトを叩く音が静かに響く。

「ダイスケくん、元気そうだったね」

「そうだな」

「相変わらず、陽気な感じで安心した」

「そうだな」

「背もすごく高くなってたね」

「成長期だからな」

「……ねえ、ユウタ」

「なに?」

「……わたし、だれかの赤ちゃんなんて産みたくない」

 消え入りそうな、声だった。

「…………」

「…………」

 ぐっと、背中が押される感覚があった。

 力いっぱいに、ユウタの背中に、万鈴が顔を押し付けたのが分かった。

「ユウタの、赤ちゃんが欲しい」

「――――」

 それが、どれだけ残酷な言葉か、分からない万鈴ではない。

 二重にも、三重にも、無茶なことを言っている。それが叶わぬ願いであることも、彼女は分かっている。

 それはつまり、人一倍強い少女の、ひび割れた心から漏れた声にならない悲鳴なのだろう。

 彼女をここまで追い込んだのは、ほかならぬ、自分だ。

 ――だから。

「俺が、支えるから」

 ユウタは、そう言った。

 ただ、そう言うことしかできない。

 だけど、だからこそ、精いっぱい力強く、言葉にする。

「……うん」

 いつか、ユウタを救ってくれた小さな手。

 今度は、自分がその手を引く番だ。

「いつまでも、一緒にいるから」

「……うん」

「ずっと、俺が万鈴のそばで、――いちばんそばで支え続ける。約束するよ」

「……うん。わかった。約束、だからね」

「ああ、約束だ」

「……ねえ、ユウタ」

「なに」


「―、――――――」


「――俺もだよ」

「……うん」

 馬の背に揺られ。

 ユウタは、日常へと戻る道を、ゆっくりと進んでいく。


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