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EPI.02 とある職員の一日

 

 お昼前にはオフィスへ戻るつもりであったのだが産婦人科学会との会合が想定の倍近く長引いた。

 結局、五十鈴杏子(いすずきょうこ)特別管理区画(トッカン)のオフィスへ戻ってこられたのは14時を少し過ぎたころだった。

 おなかの燃費はいいほうだし空腹への耐性には自信があったが、さすがにランチ抜きのコンディションで所長へのレポートを上げるのは精神的にキツい。五十鈴は紙袋をぶら下げながら中庭のテラス席を物色していた。

 ほどなく日陰のスペースを確保し、すきっ腹に味の薄いパスタサラダを野菜ジュースで流し込む。時折飛んでくる小虫を手で追い払いながら頭の中で今日のレポートの構成を組み立てる。

「おっ、五十鈴先輩だ。こんな時間に中庭にいるなんて珍しいですね。サボりっすか?」

 背後から気の抜けた声がかけられた。馴染みの声だ。

「私が仕事をサボっているのを見かけたら問答無用で119番して頂戴。気絶しているか、死んでいるかのどちらかだと思うから」

「笑えない冗談っすねー。厚労省の職員が過労死とかシャレにならないんですから働きすぎには気を付けてくださいよー」

 白衣の女性は五十鈴の重めのジョークにひるむことなく、対面の席に腰を下ろす。

 手に持っていたバッグからは書類の束が見える。おそらく、ファウンダーの定期検査データか、母体候補女性の心理検査データだろう。

 女性の名は赤木利奈(あかぎりな)という。五十鈴と同じ厚労省の職員で、トッカンに今年配属されたばかりの新人だ。業務内容は異なるが、配属時に施設の案内を五十鈴が行ったことがきかっかけで、しばしばこのような益体のない話をする仲になった。

 気の置けない間柄の同僚というのはありがたいもので、軽口をたたいているうちに気分も軽くなった気がした。

「なんでこんなクソ暑い日に外でごはん食べてるんですか? オフィスまで戻れば快適な冷房もあるし、サラダに飛んでくる虫もいないのに」

「それがそのまま答えよ。私がここで食事を摂る理由は、ここが冷房もなく、虫も来るような不便な場所だから」

「いわゆるマゾヒストっすか?」

「たわけ」

 五十鈴はしばしば意図的に中庭で食事を摂ることを習慣としていた。

 トッカンは今や日本の中枢施設だ。国中のあらゆる技術と資源が集約されている。

 そのため、かつての人類が享受していた利便性と遜色のない快適な空間が提供されている。

 五十鈴は、それが気にくわない。

 堅牢な文明の防壁に覆われたオフィスは人類の現状からかけ離れすぎていた。

「ずっとあそこにいると、危機感を失いそうになる」

「なんか、先輩って生きづらそうな性格っすよね」

「赤木さんって今年でいくつだっけ?」

「急っすね。来月で22です。お酒飲めます」

「じゃあ、大災害の時は8歳か」

「たぶんそれくらいでしたね。災害が起こった瞬間、あちこちでドッカンドッカンしていた記憶も、ニュースでも大騒ぎしていた記憶もありますよ。どっちかっていうと、その後しばらく続いた地獄みたいな後処理の記憶のほうが強いっすけど。子どもだったぶん下手に物覚えのいい時期に体験しちゃったもんだから、たぶん一生忘れられませんよ、あの死臭と腐臭」

 赤木はあっけらかんと言う。もう、彼女の中では折り合いのついた過去の話なのだろう。

 彼女の話を聞きながら、五十鈴は食後のチーズをかじり、遠い記憶に思いを馳せる。

「赤木さんと同じかそれ以降の世代の子は、たぶん物心ついた時から『人類絶滅の危機』と背中合わせっていう状況が当たり前になってるのかもしれない。だけど、私くらいの年代になるとうっかり昔の感覚に引っ張られることがあるのよ。絶滅なんてフィクションの中だけの話で、魔法や恐竜みたいに現実味のない話だと思っていたあの頃に」

「あー、まあ確かに。たまに上の年代の方と価値観が違うなって感じることあります」

「赤木さんみたいに自然体で今の状況を受け入れられているならそれが理想。だけど、過去の甘美な時代を知っている世代は、そうはいかない。私はそれが危険だと思ったからやっているだけだし、他人にそれを強要したいとも考えていない」

「先輩は確か今年32でしたよね。じゃあ、大災害の時18ですか。華の女子大生だ。うへー、不憫ー」

「後輩である赤木さんに、先輩として一つだけ忠告しておくわ」

「へ? 急になんです?」

「女性に歳の話をしてはいけません」

「わお」

 赤木は大げさなびっくり顔で五十鈴の顔を指さすが当人は知らんぷりである。

 五十鈴が大災害に遭ったのは、正しく彼女が18歳のころだった。

 古い記憶がよみがえり、思わず眉根が寄る。

 学生時代。勉強にはあまり興味はなかったのだが、無趣味と、なまじ要領がよかったことが災いして成績だけは無駄に伸びて行った。

 ちょっとしんどいなと思った時期もあったが、気が付いたころには周囲の期待は手に負えないほど大きくなってしまっており、結果、大人に勧められるまま無理して努力し、流されるままに東京の大学に進学した。

 勉強漬けの日常から解放された初めての一人暮らし。新しい環境や新しい人間関係にも慣れてきて、ようやく自由気ままな大学生生活を送ろうと期待に胸を膨らませたその矢先だった。

 その日も、今日と同じように梅雨の合間の晴れた日だった。

 学食のテラス席で友人とランチ中、パンパンと風船がはじけるような音があちこちで鳴り響いた。なんの音だろう、とあたりを見回していると、みるみる内にそこら中が高熱と爆風であふれかえっていった。

 食堂から飛んできたガラス片で顔を切っただけの五十鈴は運がいいほうだった。友人の多くは、ただたまたま男性の近くにいたというだけで、命を落としたか後遺症が遺るレベルの傷を負った。

 キャンパスの中庭を赤黒い血が川のように流れ、つぶれたトマトのようなピンク色の臓物が道や壁のあちこちに貼り付いていた。むせ返るような鉄と糞尿の臭いで頭がくらくらする中、時おりパンっと風船が破裂するような音。爆熱で焼けた喉から絞り出される悲鳴に混じって響くそれは、あまりにも現実感からかけ離れていた。

 世界は、何の前触れもなく地獄へとつながった。

 そして、人類の滅亡のカウントダウンが始まった。

 社会の立て直しは急務であったが、ほぼ無政府状態となった混乱の中、復興は遅々として進まなかった。

 どこもかしこも人材不足はすこぶるに深刻で、猫の手ですら借りたいという行政機関の悲鳴交じりの声に応える形で五十鈴は半ば強制的に厚労省へ招聘された。高校時代の青春を棒に振りあれほど努力して入った大学は、結局、ろくに講義を受けられないまま半年ほどで特殊休学することとなった。

 わずか19歳で入省すると、付け焼刃の研修期間を挟んでいきなり現場に投入された。

 省庁で働いていると、純度の高い情報に触れることが多い。中でも、厚生労働省に所属していた五十鈴のもとに届く報せは、過酷な現実を突きつけるものばかりであった。

 大災害の原因については、現在に至るまではっきりと特定されていない。

 公的には『突然変異した病原菌による爆発的な同時感染』という説を強引に押し通しているが、今でも異なる説を支持する者は多い。

 未知の自然現象によるものだとする比較的穏やかな主張に始まり、宗教的な解釈に結びつける者やオカルト的な呪いだと訴えるもの、あるいは地球外知的生命体による未知の攻撃と主張するものまで様々であった。

 それらの支持者はしばしば治安に悪影響を与えるため慢性的な悩みの種となっているが、政府が決定的な証拠をたたきつけられない現状、時間をかけてほとぼりが冷めるのを待つしかできない。

 ただ真実がどうであれ、その日、二〇二〇年六月四日、人類のオスの99%以上が死滅したことは揺るぎのない事実であった。

 被害の対象者は、生まれたばかりの乳幼児から100歳以上の高齢者に至るまで、睾丸を有していた者すべてであり、例外は一切なかった。世界中ですべての睾丸が爆発した。

 災害は出生前の胎児にまで及んでいた。

 妊娠中の女性が腹部から爆発し、母子ともども即死したという悲惨な報告を読んだ日は、五十鈴はあまりの忌まわしさに思わず吐き出しそうになった。

 爆発の威力は成人男性の場合およそ小型のトリニトロトルエン爆弾と同程度と推定されたが、睾丸の大小に比例してたようであり、睾丸のサイズが小さく、かつ身体的にある程度発達していた未就学児を中心に、ごく少数ではあるが一部の男性が一命をとりとめるケースはあった。

 それは絶望一色であった災害の被害報告の中で、唯一救いのある報告であった。だが、命を拾った者たちも、当然、睾丸は持っておらず生殖能力は失われてしまっていた。

 追い打ちをかけるように、科学者らから悪い知らせが届いた。

 人工授精に用いる冷凍精子サンプルの全滅。

 未曽有の大混乱の中、状況の重大性を早期に悟った科学者や政府関係者は各医療機関や民間企業で冷凍保存された精子の確保に奔走した。

 多くの施設で保管設備の崩壊や発電設備の停止などがあり精子の回収は困難であったが、どうにか一部を確保することができた。

 そのサンプルを確認した科学者のレポートは、悲痛な声がにじみ出るようだった。

 苦痛を訴える被災者の救命より優先してサンプルを確保したにもかかわらず、それらの精子は一匹残らず核が焼き切れていた。

 徹底的に人類を絶滅させようという底知れぬ悪意を感じさせるような災害であった。

 人類は繁殖の手段を失い、緩やかに絶滅することが確定した。

 だが、明るい兆しが全く見えない真っ暗闇の中でも、足掻くものは少なくなかった。

 生物学者たちはこぞって幹細胞の研究に没頭し、女性だけでの生殖の道を模索した。一部異端扱いもされたが、他種族との交配を真剣に研究した者たちもいた。

 人類はまだ諦めていなかった。

 そんな折、とある産婦人科病院から一本の連絡が厚労省に届いた。

 災害からおよそ九か月が過ぎたころである。

 ――睾丸を有した男児が誕生した。

 当時発足したばかりの生存戦略課の責任者が飛んでいき、それが事実であることが確認された。

 母親は、災害時に推定妊娠一週目の妊娠超初期だった女性だった。

 なぜ、この子たちは災害を免れられたのか。

 科学者たちが頭を悩ませる中、一つの仮説が立てられた。

 あの災害は、『すべての睾丸が破裂する現象』であり、『その瞬間』に細胞分裂の過程でまだ睾丸が形成されていなかった胎児は災害を免れ、成長とともに正常な睾丸を形成したのではないか、と。

 科学的な根拠は何もない。

 だが、その仮説は妙な説得力を持ち、今では最も一般的な説として受け入れられている。

 それからおよそ二週間。あちこちで同様の報告が上がった。

 極めて少数ではあるが、世界に睾丸を有した男性が復活した。

 わが国で生まれた正常男児、その数、およそ8000人。

 一億を越す人口を有した国を立て直すにはあまりにも心もとない数ではあったが、八方ふさがりが続いた状況では喉の奥まで干からびた状態で見つけたオアシスに等しい僥倖であった。

 さらに一年ほど経った頃。災害初期の混乱は落ち着き、主な業務が生存者のケアと繁殖手段の確立となっていた五十鈴のもとにとあるプロジェクトの立ち上げに加わるよう命じる辞令が下りた。

『男性器を有し生まれた男性を中心とした長期的な人口回復計画』

 のちにニュージェネレーションプロジェクトと呼ばれることになる計画の素案を五十鈴はまとめた。

 該当児童の幼少期の管理を目的とするフェーズⅠからはじまり、彼らの孫世代の人口コントロールまで想定したフェーズⅥまで分けられた、足掛け50年にも及ぶ超長期計画であった。

 すでに首に縄がかかったような状況の中、あまりにももどかしい計画が始まった。それは苦行であったといってもいい。

 二〇二一年 死亡数201万人 出生数0人

 二〇二二年 死亡数219万人 出生数0人

 二〇二三年 死亡数240万人 出生数0人

 ……

 …………

 ………………

 人口の統計調査報告をまとめるたびに、年々増えていく死亡者数と、ゼロのまま不変の出生数。

 人類滅亡を報せる砂時計の砂が落ちるのを眺めているような気分だった。

 減り続ける人口により社会的機能が徐々にマヒしていく中、子どもたちの成長はあまりにも遅く感じられた。

 彼らが生殖できるようになるのは早くて13歳ころ。そのころには、この国の人口は3000万人を割っているだろう。

 仮にそこから出生数が回復し始めたとしても、彼らの身体的なケアを考えれば年間でせいぜい100万人程度。死亡数を上回ることはない。

 人口が増加傾向に傾くには、生まれたばかりの新世代の子たちが成熟するまで待たなければならない。

 減り続ける労働人口と、断絶していく技術。今でこそなんとか稼働している大災害前のインフラ設備も、それまで維持できるかどうか。

 どれだけ楽観的に考えても、待ち受けているのは過酷な未来でしかないような気がした。

 そもそも、この子たちはきちんと生殖能力を持っているのか。滑稽にも、睾丸の形をしているだけで中身が空っぽの種を国を挙げて後生大事に育てているのではないか。

 そんなことを考えている間も、砂時計は決して止まることなく砂を落とし続けている。

 後ろ向きな想像と疑心暗鬼に眠れない日々が続いた。

 五十鈴の目元に消えないクマが痣のように残り、朝の胃薬を欠かせなくなったころ、奇跡の子と言われた児童たちは10歳の誕生日を迎えていた。

 男児たちは基本的に幼少期を生みの親のもとで過ごした。もちろん、公的な支援は最大限行われたが政府は育児には口をさしはさまない方針とした。

 当然、初期検討の段階では乳児のころから政府で管理するという方針も上がっていた。だが、最終的には五十鈴の素案の通り政府による集中管理は10歳から開始されることとなった。

 不慮の事故による損失、多様性の維持、受け入れ施設の準備期間、保護者の反発など様々な要因が考慮され、なにより幼少期から親元より引き離される児童の心的リスクを重要視した結果である。

 そして、10歳の誕生日、後にファウンダーと呼ばれることになる彼らは、サムライの時代より早い元服を迎えた。親元を離れ政府施設で暮らす日々の始まりである。

 全国で四か所に分かれて存在する特別管理区画と呼ばれる施設が稼働し始め、五十鈴もその中のひとつ、第一特別管理区画の管理者の一人となった。

 そこからの記憶は新しい。

 さらに二年後、成長の早い子から順に精通が確認され、科学者によって生殖の可能性が高いことが確認された。そして即日で女性に公募をかけNGPが仮発足する。

 記憶の旅から帰ってきた五十鈴は、素朴な疑問を赤木にぶつける。

「ねえ、赤木さんは、妊娠することに恐怖心は感じる?」

 そうですねえ、と赤木は口元に手を当てる。

「怖いか、怖くないか、の二択で選ぶなら、やっぱ怖いですかね。でも、やるしかないかなーって覚悟はしています」

「立派ね。こんなことを私が口にすべきではないのだろうけど、正直、私はとても怖い。特権で逃げてもいいと言われたら本当に逃げ出したくなるくらい」

「先輩が? 意外ですね」

「これもジェネレーションギャップのひとつかもしれないわね。大災害発生時の年齢が違えば、あの地獄に対する解像度も違ってくる。心に負った傷の大きさと言い換えてもいいかもしれない」

 凄惨な報告資料を読みすぎたせいもあるのかもしれない。

 五十鈴にとって、妊娠することは子を成すことという意味合いより、腹の中にいつ爆発するかわからない爆弾を抱え込むという認識のほうが強い。

 仕事のし過ぎで過労死することは全く怖くない。だが、自分の腹のなかから爆発が起きて死ぬという忌避感が、抗いようのない本能的な恐怖心を搔き立てる。

 公募でNGPの仮運用に参加してくれた二十人の女性。妊娠に対する恐怖心の多寡は個人差があるのだろうが、五十鈴は彼女たちの覚悟に最大級の敬意を払う。

 それと同時に、自分自身に対する嫌悪感がこみ上げる。

 その程度の覚悟もないようなヤツが、国の未来をかけたプロジェクトをやり遂げられるのか、と。

「ねえねえ、先輩。あの子、ずっと空を見上げてますね。何か飛んでるんでしょうか」

 言われて赤木の視線を追うと、聳え立つ隔壁のそばで上空を見上げる少年がいた。

「……外の世界を思い描いているのかもしれないわね」

 特別管理区画は全域が高さ4メートルの壁で囲われており、ただ一つの出入り口も24時間体制で警備員が配置され、二重のゲートで隔離されている。防衛省から派遣されている警備員の仕事は、名目上は部外者・危険者の排除だ。

 不審者や犯罪者からファウンダーを守るためという名目通り、設立以来、部外者由来のトラブルは一度も発生していない。

 だが、そのような立派なセキュリティも見るものよってはまた違うものに映る。

 たとえば、若干10歳からずっとこの狭い区画に隔離され、家族と引き離されている少年の瞳には、忌々しい檻のように映っているのかもしれない。

「隣の芝は青いってやつですかねー。外はここと違って足りないものばかりだっていうのに」

「物質的な豊かさが必ずしも心の豊かさにつながるとは限らないわ」

「まあ、そうですね。大人の物差しで測っちゃうのはよくない事ですね。反省」

 彼らがここで暮らし始めて、もう三年。

 10歳の誕生日、ただの紙切れ一枚に、彼らは人生の半分を奪われた。

 プロジェクトがひと段落するのは30年後。彼らが40歳になるころだ。それまで、彼らの世界はこの小さな設備の中がすべてとなる。

 不自由のない生活と大きな名誉の代償として、彼らは未来を奪われている。

「価値観は人それぞれよ。日本のファウンダーは8000人。この区画のなかだけでも2500人からのファウンダーの子たちがいる。十人いれば十人、百人いれば百人、それぞれ考えていることも、価値観も、悩みも違う」

「実際ストレスの値が高い子はちらほらといるんですよねえ」赤木はバッグの書類を引っ張り出しパラパラと書類をめくる。「カウンセリングのケアだけじゃやっぱり、不十分なんですしょうか。たしかに、先輩の言う通りそういうストレス値が高止まりしている子たちって、なかなか数値が改善しないんですよねえ。どうにかして環境から変えられないかなあ」

「ホームシックだとか、『お勤め』の疲れだとかもあるだろうけどね」

「トッカン間でのファウンダーのスワップとか、難しいですかね? 気分転換くらいにはなると思うんですけど」

「輸送時のリスクと、環境の変化を好ましく思わない子へのケアは必要になるかもしれないけれど検討してみてもいいかもね」

「ちょっと素案まとめてみます」

「なんにせよ彼らはまだ13歳。今が一番デリケートな時期よ。思春期の子たちの心のケアは可能な限り丁重にね」

「あっ、でもあの子。あの子は大丈夫ですよ。ホラ」

「あのね、あなたと私は部署こそ同じだけど業務内容は別なの。特級にデリケートな個人情報を気軽に共有しないで。コンプライアンスとか聞いたことないの?」

「知らない言葉です。受験勉強では覚えなかったですねえ」

「ネイティブカラミティ世代め……」

 赤木に手渡された書類の右隅に載っている小さな顔写真を見る。壁のそばで空を見上げている子に間違いなさそうだ。

「なるほど、確かに」

 この子はその心配はなさそうだ。

 管理ID:T01-0102255。芳野大輔。

 血中のLDLコレステロールも血糖値も安定。アンケートからの顕在ストレス・潜在ストレスともに微小傾向。職員に対する従順性も高く、過去のトラブル歴はゼロ。模範的な優等生だ。

「本当に、珍しい鳥でも見かけたのかもね」

「ドードーとか」

「ドードーは空を飛ばないでしょうに。……あなたもなかなかブラックなジョーク言うようになったわね」

「誰かさんに鍛えられていますから」

 赤木はフフンと得意げに鼻を鳴らす。

 五十鈴は空を見上げ、はるか昔、絶滅してしまった種族に思いを馳せる。

 もし仮に、赤木の言う通りドードーの亡霊のようなものがいて、今の人類の有様を眺めていたのだとしたら、さぞ気分が良い見物なのだろう。

 五十鈴は、口元をゆがめて笑う。

 勝手な妄想で、勝手に反骨精神に火が付いた。

 死んでも絶滅なぞするものか。


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