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EPI.37 ささやかな頼み事

 小刻みに身体を揺さぶられる感覚の中、五十鈴は緩やかに意識を取り戻した。

 低い天井。

 視界はぼやけていたが、周囲の設備を一目見て、ここが救急車の中で、自分がいまどこかの病院へ搬送されている最中なのだと察した。

「どこか痛むところはありますか?」

 五十鈴の様子に気づいて、傍らのシートに腰掛けていた赤木が声をかける。

 意識を失う前の記憶との整合性はすぐに取れたため、一秒でも早く確認したいことはいくつもあった。だが、何を聞いても後回しにされることは目に見えているので、五十鈴は小さく頷いた。今は彼女の言葉に従うことが目的への最短だろう。

 不調な箇所を探るまでもなく、喉が焼けるように傷んだため、五十鈴は自分の喉を指さした。

「喉、ですね。喋れますか?」

「――ンッ。――んんっ。うん、なんとか、大丈夫そう。あと、耳鳴りがひどいわ」

「耳鳴り、ですね。――はい。では、寝たままで構いませんので、私の人差し指を、目線だけで追いかけてください。――はい。次は両腕を天井に上げて、ぐーぱーしてみてください。――はい」

 事務的な赤木の問いかけに、五十鈴は淡々と応える。

 延々と続く単純な質問に、五十鈴はむしろ安心感を抱く。マニュアル通りのバイタルチェックを手際よくこなしていく後輩の評価が上がる。

 一通りの確認を終えて赤木が書類をしまったタイミングで、五十鈴はストレッチャーから上体を起こした。

「優太くんたちはどうなった?」

「無事、保護できましたよ。まあその、ちょっと外傷はありましたけど、命に別状があるような程度ではありません」

「いまはどこに?」

「お友達と一緒に、自宅に帰っているところだと思います。あっ、でも心配しないでください。少なくとも、緋梅会の脅威はもうありませんので」

「緋梅会の脅威がもうないって、どういうこと? それに、ほかの子たちは? 子どもが三人いたはずよ。閑野はどうなったの?」

「みんな無事ですよ。閑野さんとか、あの短髪のクソガ……少年とかはそれなりに傷を負っちゃっていましたけれども。それでも、優太くん同様に大きなケガをした人は一人もいません」

「そう、よかったわ」

「あと、ファウンダーの芳野大輔くんを確保しました」

「どうも。今戻りました」

 赤木の後ろから、愛嬌のある笑顔で芳野少年が顔を出した。

 あまりに唐突な登場に思わず赤木は噴き出した。

 不調な喉に負荷がかかり、大きく咳き込む。

「なんッ、なんでっ!?」

「まあ、色々ありまして」

「色々ありましてじゃないわよ!! それで済むわけないでしょう、ちゃんと説明して!!」

「大声で叫んじゃだめですよ。喉痛めてるんでしょう」

「……真田くんは?」

「あー、そっちの子もちょっと前までは大輔くんと一緒に居たみたいだったんですが、私が現場に顔を出したころにはとっくに逃げられちゃった後だったみたいで。えーっと、すみません、さっぱり分かりません」

 五十鈴のこめかみがピクリと動いたのを見て、赤木はとっさにバインダーの後ろに顔を隠す。

「そのあたりの事情については、僕から話すよ。僕とケンが特管を脱走してから何をしていたのか。それと、五十鈴さんが気を失っている間に緋梅会の連中との間で何が起こったのかも含めてね」

 歯切れが悪くなっていた赤木の横から、芳野少年が口をさしはさむ。

「私がこういうことを言うのもおかしな話かもしれないけれど、特管から前代未聞の大脱走劇を演じてくれた割にはずいぶんと協力的なのね」

「あなたたちなら信頼できる。そう、判断したからだよ」

「そんなに信頼してもらえているのだったら、最初から脱走なんてしないでほしいんだけれど」

「そのころは、まだ五十鈴さんたちのことよく知らなかったからね」

 そんな風に親しみを込めて語る彼の言葉に、五十鈴は違和感を覚える。

「どういうこと? それはつまり、今は知っているということでしょう? 私と君と、話をしたのは今が初めてだと思うのだけれど」

「そうだね。だから、正確に言えば、あなたたちがどういう人物なのか知ったのは僕じゃない。僕のお姉ちゃん。東雲万鈴」

 五十鈴の脳裏に、芳野優太の奪還作戦に頑なに同行を主張した小柄な少女の姿が思い浮かぶ。

「彼女が?」

「救急車に一緒に乗り込む前に、万鈴姉ちゃんが言ってたんだ。五十鈴さんは、ファウンダー(僕たち)じゃなく、一般人の兄を助けるためだけに危険を承知で身を挺してくれたって」

「……大人として当然の責務よ。むしろ、こういう事態を招いてしまい、怪我までさせてしまったことは大失態だわ」

「その責任の発端は、そもそも僕らの脱走だ。だから、僕は心の底から感謝しているよ。本当にありがとうございました」

 芳野少年が深々と頭を下げる。

 大人として、13歳の少年の言葉に甘えることはできない。

 だが、彼の言葉を聞いた瞬間、複雑で、だけど確かに暖かな感情が否応なく胸にこみあげてきた。

「まあ、戻ってくれるのならそれでいいわ。時間はどれだけかかっても構いません。できる限り詳しく、話を聞かせてもらうわよ」

「もちろん」

 芳野少年は屈託のない声で言う。

「ただ、お話をする前に、僕から一つお願いがあるんだけどいいかな? ちょっと個人的な内容になるし、もしかしたら受け入れがたい話かもしれないから、もちろん断ってもらっても構わないんだけど」

「お願い?」

「うん。僕と一緒に、この国を裏切ってもらえないかな?」

 少年は、人好きのする笑顔ではにかんで、そう言った。


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