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EPI.36 混沌の行方 前編

 

 体力的にも精神的にも限界が近いところで、それは考えうる限り最悪の展開だった。

 ラウンジの二か所の出入口。その扉を塞ぐように、赤いスーツを着た構成員たちが並んでいた。

 そして、まるで真っ赤な壁のように並ぶ構成員の中、珠洲の傍らで逆に目立つ服装の人物が二名。黒いスーツを着た成年女性と、白いポロシャツを着た少年。つまりは、外で待機していたはずの赤木とレンが、手を後ろに回された状態でそこにいた。

 乱暴こそされていないようだが、完全に拘束されているようだ。

「ごきげんよう、珠洲さん」

 ユウタらに動揺と緊張が広がる中、ただひとり平静に、ミカンちゃんが言う。

「ちっともよくないわ」

 フンと、珠洲が鼻を鳴らす。

コミュニティ(あなたたち)ヤクザ者(わたしたち)は、お互い不可侵がお約束じゃなかったかしら?」

 首をかしげるようにして、珠洲は言う。気だるげに組まれた腕から伸びた手錠の鎖が、カチャリと揺れた。

 口調こそ穏やかだが、目が全く笑っていない。

「私はもうコミュニティの人間じゃないわ。ここに来る直前に退会しているの。今の私は、ただこの子たちの保護者としてここにいるのよ」

「ずいぶんと勝手な言い分ね」

「勝手も無理も承知の上。無理筋もスジよ」

「スジだかサシだか知らないけれど、そんなものは私にはちっとも関係ないの。あなた、不快よ」

 ピリっと空気が張り詰める。

 嵐の直前のような緊張感に、ユウタは思わず唾を飲み込む。

「それよりも、これはどういうことかしら?」珠洲は言って、視線をユウタに、そしてダイスケに向ける。「どうして、ファウンダーの子が二人に分裂しているの?」

「この辺りは森が近いですからね。タヌキでも紛れ込んでいるのかもしれませんよ」

 おどけた調子で、ダイスケが不敵に言う。弟ながら、このような空気の中でも飲まれずに軽口を叩けるメンタルには感嘆するが、あまりにも空気を読まない発言にユウタは胃が小さくなるのを感じた。

「なかなか愉快なことを言うのね、あなた。尻尾が出ていないか確認したいから、ちょっとおしりを見せてくれないかしら」

「さっき、散々見せたじゃないですか」

「そう。つまり、あなたがこのイタズラをした張本人ということね」

 珠洲は冷たい笑みを浮かべたまま左腕を掲げて見せる。

 手錠がつながったままの手首。そこから伸びる鎖に、おそらくベッドの一部だったであろう絢爛な彫刻が施された欠片がぷらぷらと揺れていた。

「どうでしょう。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません。僕、ベッドの上で起こった事はその日のうちに忘れることにしているんで」

 ダイスケの言葉に、珠洲はくすりと笑う。

「あなた、いい度胸をしているわね」

「それにしても、躊躇なくベッドを壊してくるなんて思い切ったことをしましたね。あれ、アンティークで結構値打ちものだったんじゃないんですか? 見たことないくらい丁寧な細工だったと思うんだけど」

「知らないわ、歴史的な価値なんて。ただ私は、お気に入りのベッドがおじゃんになってしまったことは、とても不愉快な気分よ」

「あまり考えすぎないことですよ。どんな物でもいずれは壊れてしまうんですから」

「酷い詭弁ね。たとえそれが真実だとしても、他人の手によるものだとしたら、到底、納得できるはずはないでしょう? 私、他人から何かを奪うのは好きだけれど、他人に何かを奪われるのって、とても嫌いなの」

「たまには別の立場になってみるのも、新鮮で楽しいんじゃありませんか?」

「度胸がある子は嫌いじゃないけど、あまり調子に乗っていると火傷するわよ」

 珠洲は、終始ゆったりとした雰囲気を身に纏ってはいるが、瞳が先ほどまでとは比べ物にならないほどにギラついていた。一片たりとも隙のようなものは感じられない。

「私にイタズラをした子があなただということは分かったわ。じゃあ、今日、駅前で私と会った子はどっち? そちらもあなた? それとも、こっちのあなたなのかしら?」

「…………」

 無言の返答に珠洲はため息をこぼす。

 そして、後ろに控えていた環に目線だけで合図を送ると、彼女はおもむろに内ポケットから銃を取り出し、拘束されていた赤木のほほにそれを押し付けた。

 赤木が、息をのむ声が聞こえた。

「……俺です」

 ユウタが答えると、珠洲は近寄り、顔を覗き込むようにじっと見つめる。細く長い指でユウタの頬を掴み、嘗め回すように見つめる。

 息がかかりそうな距離。視界いっぱいに、寒気がするような美貌が映る。

「……そう」

 そして、つまらなそうにそう呟いて、手を放す。

「私が部屋まで案内したところまではあなただったわよね? 私がシャワーを浴びている間に、こっちの子と入れ替わったの?」

「はい」

「ふぅん。こっちの子は、あなたの双子の弟?」

「弟ではありますが、双子ではないです」

「双子、じゃない……?」

 珠洲が怪訝そうに眉根を寄せる。そして、視線をユウタの下腹部へと移す。

「そう……。つまり、そういうことなのね……」

「…………」

「残念。……ええ、とても残念だわ」

 珠洲は、目に見えて肩を落としている。

「あなた、タマ無し(一般人)だったのね」

「はい。騙していて、すみません」

「あなた、私のプロポーズ覚えている? あれ、半分本気だったのよ? 一目見たとき、あなただったから『ほしい』って思ったの。あなたの、昏い感情を目いっぱいに湛えた深い色の瞳。とても、きれいだった。自分なんか、ゴミみたいな価値しかないんだって本気で考えている子の目だった。普通はね、どんなに卑屈な人間でもね、大抵はほんの少し、奇跡を期待するような微かな光が見えるものなの。だけれど、あの時のあなたにはそれすらなかった。あなたは、本気で、自分なんか死んでも一切構わないって考えてた。まるで、消極的な自殺志願者みたいに。どうしてファウンダーの子がそんな宇宙の果てみたいな深い色の目をしているんだろうって、本気でワクワクしていたのよ? これからそんな瞳をどんな風に私の色に染めてあげようかって考えるのがすごく楽しみで仕方がなかったのよ? だけれど、残念。本当に、残念だわ。いまはもう、そんな影がまったく無くなってしまっているし、そもそもあなたはファウンダーですらなかった。興味が失せてしまったわ」

 そして、珠洲はダイスケのほうへ視線を移す。

「そっちの度胸のあるキミ、弟クンね。繰り返しになるけれど、私とさっきまで一緒に楽しんでいたのがあなたでいいのよね?」

「そうですよ」

「まあ、この際仕方ないわね。ベッドの上ではとっても盛り上がったし、面白い子だから、良しとしましょう」

「どうしますか、珠洲様?」

 環が引き金に指を置いたまま珠洲に問いかける。

「どうもこうも、何も変わらないわよ」

 珠洲は、女王が下知を下すように言う。

「ファウンダーの子を置いてほかの連中は立ち去りなさい」

「……飲めるわけないわね」

 ミカンちゃんが前髪をかき上げながら言う。

「なぜ?」

「この子が、それを望まないからよ」

「あなたなら分かっていると思うけど、立ち去れというのは優しさよ? 去らないのであれば叩き出すだけ。ケガをしたり痛い思いをするのは嫌でしょう?」

 脅しではない。無論、彼女にはそれができるだけの実力があり、その言葉には実感を伴わせる魔力がある。

 じりと、赤いスーツを纏った構成員がユウタらに近づく。

「あ、あの……、ひとついいですか?」

 弱々しく震えた声が場に交じった。珠洲がそちらへ目を向けたのを見て、構成員も動きを止めた。

「なにかしら?」

 赤木だった。ぶるりと一度震えてから、再び口を開く。

「あなたたちは、どうしてファウンダーの子を(かどわ)かそうとするんですか? とてもリスクが大きくて割に合わない犯罪だと思うんですけれど」

 泣き出しそうな顔のまま、上擦った声で精いっぱいに言葉を紡ぐ。

「夢のためよ。私ね、子どものころからお母さんになるのが夢だったのよ。自分の子のために、毎朝、おいしい朝食を用意してあげて、毎晩、寝る前にぎゅって抱きしめてあげて、親子仲良く一緒に暮らすのが夢なの」

「それだったら、別にこの子たちを誘拐なんかしなくても叶うはずです。NGPは健康上の問題さえなければ35歳以下のすべての女性が対象です」

「あなた、自分がふざけたことを言っていると理解している? 私はね、私の愛した男との間に子を産みたいと思っているの。誰かの指示で、誰かのために子を産むなんてまっぴら。ましてや、政府の言いなりなんて虫唾が走るわ。気に入った男を見つけて、捕まえて、愛して、子を産んで、育てる。ささやかで素敵な夢でしょう?」

「今は、それが許されない時代なんです。それに、ファウンダーの子に危害を加えようとしただけで重罪なのに、拉致なんてしたらあなたは一級の重罪人になります。仮に今、この場を逃げおおせたとしても、政府はいずれ必ずあなたを捕まえます。そうなったら、子供と一緒に過ごす自由はありません」

「そうね。あなたたちは必ずそうするでしょうね」

「絶対に、分の悪い賭けです。考え直してください」

「私もそう思うわ。やっぱり拉致はやめようかしら」

「へぁ?」

 赤木は呆けたように口をあけたまま固まってしまった。

 無論、説得は冗談などではなかったのだが、予想外の珠洲の反応に彼女は困惑する。

 赤木に銃を突き付けていた環は、またか、といった顔で大きなため息を吐いた。

「えっ、あ、その、だったら、私たちを解放してくれませんか?」

「いやよ。拉致はやめてもいいかなって思ったけど、それとこれとは話は別。せっかくのチャンスなんですもの。交渉材料を無意味に手放するのはもったいないわ」

「……どういう意味ですか?」

「リスクを取らない選択肢もあるんじゃないかしらってこと。あなた、厚労省の職員でしょ?」

「……そうですけど」

役務(えきむ)は?」

「……ファウンダーの子たちを管理している特管の医療スタッフです」

「もっと具体的に」

「ファウンダーと母体候補女性の心身のケアと、交配効率の最適化です」

「あら、それはちょうどいいわね」

「はい?」

「あなた、交配効率最適化業務の一環で、年間を通しての各ファウンダーの交配のスケジュールの管理もしているでしょう?」

 赤木は目を見開く。

「どうして、それを……」

「その関連で、母体候補の選定も管轄のはずよね。公的には、母体候補の相手になるファウンダーは完全にランダムということになっているけれど、実情を正確に言えば、近親交配(インブリード)の予防と受胎の成功率を最大化させるための統計的なコントロールはしているはず。でしょう?」

 赤木は金魚のように口をぱくぱくとさせる。

 彼女の困惑は少しわかる。

 珠洲との会話は緩急が激しすぎて思考が揺さぶられるのだ。ふわふわと着地点の見えない与太話が続くと思っていたら、急旋回して核心へ飛び込んできたりする。

「だったら、あなたに()()()すれば、私の相手をするファウンダーの子が『都合よく私の好みになったりする』こともあるんじゃないかしら?」

「――なっ」

「たまたま、だったら当然私は何ら罪に問われることもないし、国家の犬どもにしつこく追い回されたりすることもないわよね?」

「それはできません。それは、国民に対する裏切りです」

 震える声で、赤木は言う。

「ご立派ね。職務に殉じて全てを失う覚悟があるの?」

 珠洲が言うと、環が、銃口を赤木の側頭部に押し付けた。

 赤木は息を飲む。耳のそばで、鉄の塊に骨をえぐられるような音が響き、本能的な恐怖が走る。

 テロリストとの交渉には応じない。

 子どもでも知っているような世界標準的な常識だが、いざ自分の身や大切な人の安全が天秤にかけられたときに、その信念を貫ける人物はどれほどいるというのか。

 赤木は、泣き出しそうな顔でダイスケを見る。そして、邪念を振り払うように、首を振り顔を伏せた。

「…………できません。犯罪者と交渉はできません」

 消え入りそうな声だった。やがて、スンスンと鼻をすする音が響く。

 誰も何も口に出さない空気の中、珠洲は嗜虐的な笑みを浮かべ赤木をみつめる。どうすれば、決裂した交渉を有利に運べるか思案しているようだった。

 ユウタはここに連れてこられた直後、自ら拳銃を咥えさせられた女性を思い出す。

 法の外側で暮らすものたちが考える交渉術など、考えるだけでも背筋が冷えるような気がした。

「だったらさ、逆に僕が彼女を指名したらどうなるかな?」

 突然放たれたダイスケの言葉に、ユウタは目を見開く。

 予想外の方面からのアプローチに、覚悟を決めていた赤木が思わず顔を上げる。

「いいのか?」

「いいよ。何の問題もない。僕からすればやることはいつもと何も変わらないわけだし、こんなきれいなお姉さんとまた会えるっていうのも、ある意味役得みたいなところもあるし、望むところって感じ」

「本気か?」

 ユウタは混乱する。

 そもそも、ダイスケが施設を抜け出したのは、彼らファウンダーがNGPでそういう愛玩的、政治的な道具として利用されたことを嫌悪してのことだと思っていた。

 苦痛に耐えきれずの脱走、もしくは、何らかの方法で政府を告発することすらありえるかもしれないと思っていた。

 だからこそ、ユウタもそれを後押しすべく、わざわざリスクを冒してまでこのようなところまでやってきたのだ。

 しかし、当の本人は、それをまるで意識している様子はないようだった。

「お前は、自分たちが道具みたいに利用されることが嫌じゃないのか?」

「全然。全く。ちっとも。なんだかんだでファウンダーとしての生活も長いしね。そのあたりは、とっくに割り切れているよ」

「ちょっと待て、だったらどうして脱走なんて」

「ああ、それは――」ダイスケは視線を逸らして、はぐらかす。「もうちょっと内緒。でも、じきに兄ちゃんにも分かるよ。もう仕上げが近いから」

「無駄話なら後にしてくれる? 今は私がお喋りしているの」

 珠洲はそう言って、話を赤木に戻す。

「で、どうなの? 彼はああ言っているんだけれど、それでもやっぱり私のささやかな願いは叶わないのかしら?」

 赤木は、垂らしていたはなをすすり、珠洲の後ろでとぼけた笑顔を張り付けてサムズアップしているダイスケの顔を見る。

 そして、顔の筋肉を精いっぱいに使って歯を食いしばってから、

「当然、ファウンダーからの要望でも母体候補の指定はできません」

「そうなの? ぼく、一度だけ相手を変えてもらったことがあるはずなんだけど。その日予定していた女性の顔が、万鈴姉ちゃんに似てたから勘弁して欲しいってことで」

「……たしかに、精神的または肉体的な負荷を理由に特定の母体候補を選択肢から排除している実例はあります。ですが、それは--」

「回りくどいわね。できるの? できないの?」

 予感を感じ、珠洲は口元の笑みを一層深くした。

 子どもであるユウタでもわかる。大輔の言葉は、屁理屈だ。あれこれと言葉を並べてはいるが、結局は、珠洲の要求を別の理由をつけて代弁しただけに過ぎない。本質は何一つ変わっていない。

 だが。

 たとえそれが屁理屈だとしても、無理を押し通す根拠になることもある。

「――可能です」

「そう、それは素敵だわ。あなたのこと、信用してもいいのよね? 口約束も契約よ?」

「五十鈴さんも閑野さんも意識がない以上、いまこの現場での最高責任者は私になります。五十鈴さんの裁量の範囲内であれば、私に責任と決定権があります」

「良かったわ。それと、ついでで申し訳ないのだけれど、一つ条件を加えてもいいかしら?」

「……なんでしょうか?」

「あの子の相手をするの、私だけじゃなくて、あなたの隣にいる環も追加してもらえるかしら?」

「すすす珠洲様? どうして私まで?」

 今まで一度も動じた様子を見せなかった環が、素っ頓狂な声を上げた。

「私だけじゃ、家族を増やせないでしょう? だから、あなたにも協力してもらわないと」

「協力って、いったい何を」

「私は男の子を産むわ。だから、あなたは女の子を産んでちょうだい?」

 珠洲がそう言うと、環はぽっと顔から火が出そうになるほど赤くなった。

「……かしこまりました」

「じゃあ、交渉成立でいいわね。あなたのこと信用しているわよ」

 珠洲の目配せで赤木が銃を下ろす。同時に、周りを囲んでいた構成員が一斉に離れて行った。

 赤木は、腰から崩れ落ちるように、その場に座り込んでしまう。

「赤木さん、大丈夫ですか?」

 ユウタが駆け寄ると、赤木は震えながら顔を上げる。

「はい、なんとか」

 そして、ダイスケの方へ視線を移し「本当に、大人として申し訳ありません」と頭を下げた。

「さっきも言ったけど、気にしなくていいよ。そもそも、大元を正せばこんな事態になったこと自体が僕の責任みたいなものだし」

 相変わらず今一つ緊張感に欠けるダイスケの物言いに、赤木は気が抜けたように少しだけ笑った。

「私からもお礼を言わせて頂戴」

 ミカンちゃんが、ヨーイチを引き連れて声をかける。そして、深々と頭を下げた。

「正直、刺し違えてすらどうにもならない状況だと思っていたわ。あなたは、この子の命の恩人よ」

「そんな。公務員として、当たり前のことをしただけですから」

「この恩は、いつか必ず返すわ」

「えーっと、あはは、じゃあ、その、早速で申し訳ないんですけれど、いま返してもらえますかね?」

 赤木がそう言うと、ミカンちゃんはキョトンとした顔で何かしら、と尋ねる。

「その、腰が、抜けちゃったみたいで……。すみません、おんぶしてもらえますか?」


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