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EPI.01 14年後 後編

 

 料理に自信があると言うだけのことはあり、喜多の弁当は見事だった。

 メインのハンバーグは油の少ない保存肉にも関わらずふっくら柔らかそうに仕上がっており、その周りを、きんぴらごぼう、小松菜のおひたし、卵焼き、プチトマトが囲む様に並び、女性らしく色鮮やかに彩られている。

 物欲しげな目で箸の先を追っていた万鈴は、喜多から一口分け与えられると満足そうに顔をほころばせていた。

「改めて、今日はありがとうございました、芳野さん」

「あんなのでよければいつでも付き合いますよ」

 ユウタはジャムサンドを齧りながらひらひらと手を振って軽く答える。

「それに、松井さんも。お話の途中でお邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした」

「僕のほうも気にしなくていいよ。どうせ僕らの話はいつだって意味のない与太話だ。むしろ、僕もNGPがらみの興味深い話がたくさん聞けて楽しかったし、こちらがお礼を言いたいくらいだからね」

 レンの軽口に、喜多は控えめにほほ笑む。まだいくらかの後ろめたさちはあるようだが、少しは緊張感が抜けて落ち着けるようになってきているのかもしれない。

「家族にも先生にも相談できず、みんな不安だったんです。私もそうですから」

「不安?」

 万鈴がオウム返しに聞き返す。お前はどちらかというとそっち側だろうに。

「人類の未来のため、NGPに協力したい気持ちは本当です。その……、子を作る行為も、産む痛みも、覚悟はできています。でも、意思とは裏腹に、どうしても心のどこかで怖気づいてしまうんです。ファウンダーの方と、きちんと向き合えるのかどうか」

 言って、喜多は身震いし、両手で自分身体を抱きしめる。

「NGPの話が出たとき、言い方はかなり乱暴かもしれませんが、私は昔話に出てくる生贄に選ばれるような気分でした」

「典型的な男性恐怖症、だね」

 レンの言葉に、喜多はこくりと頷く。

「なにそれ、男の人が怖いの?」

 万鈴が問い返すと、レンは珍しいことじゃないよ、と話す。

 14年前、地球上で40億人からの命を奪った動物は、ヒトの男性だ。

 被害者の大半は自分自身であり、阻止できるような類のものでなかったとしても、主要因であることは間違いない。

 大災害からすでに十年以上が経つ。

 調査が進み、睾丸を失った男性に再度爆発が生じる危険性がないことは、各国各研究機関の間で共通の見解となっている。

 政府主導で定期的な周知もされており、大災害直後に蔓延っていた偏見やオカルトもほぼ払拭された。

 加えて、ファウンダーとなる子たちに生殖能力があることが判明したいま、男性は、絶滅の一途をたどると思われていた人類に残された一握の希望であり、畏怖すべき対象でない。

 理屈の上ではみな理解している。

 だが、恐怖心とともに染みついた不信感はそう簡単に割り切れるものではない。

「男性恐怖症は、大災害を機に激増した心的な症状で、特に僕らの世代に多い」

「男性が怖いってことは、ユウタとかも怖いの? うそー。全然怖くないよ。ほらほら」

 言いながら万鈴はユウタのほほを引っ張る。げんこつの一つでもお返ししたいところだったが空気を読み、ユウタはほほを引っ張り返す程度で我慢する。

「恐怖症ってのは心理的な症状だからね。理屈じゃないんだ。やっぱり難しいよ」

「へえー、不思議」

 あっけらかんとした万鈴の言葉に恥じ入るように、喜多は目を伏せる。

「どうして俺たち世代に多いんだ?」

 ユウタはレンに聞いたつもりであったが、口を開いたのは喜多だった。

「たぶん私たちの世代の多くが、『男性』というものを知識でしか知らないからだと思います。実物を見たことがないのです。地元では同世代の男の子は一人もいませんでしたし、物心ついたころから家庭には母と姉しかおらず、兄や父親の記憶もありませんから。初めて男性を目にしたのは、二年前、この学園に来たときでした」

「私は小さいころからユウタがそばにいることが当たり前だったからあまり意識したことなかったけど、そういえばユウタとダイスケ君以外で男の人ってほとんど見たことなかったかも」

「芳野さんと東雲さんはご近所さんだったのですか?」

 喜多が万鈴に向き直る。

「えーと、まあ、うん、そんなところ」

 万鈴ははぐらかすように言うが、喜多は煮え切らない答えを気にする様子はない。

「私も、そんな環境で育っていたら、きっと、東雲さんみたいに自然と芳野さんともお話できていたのかな」

 うらやましい、と消え入りそうな声で喜多がつぶやく。このまま体ごと消えていってしまいそうな気がした。

 ユウタの中で、むずむずと何かがうずきだした。

「きっと大丈夫ですよ」

 ユウタの声に、びくりと跳ねるように喜多は顔を上げる。

「NGPがスタートしたからと言って、今日明日でいきなりファウンダーと引き合わされるわけじゃないんですから。高校卒業まであと四年近くあります。それまでに慣れればいいんです。俺で良ければいつでも相談に乗りますよ」

「お前はまたそうやって安請け合いして……」

 隣でレンが大げさに息を吐く。

「困ったときはお互いさまって言うだろ」

「そうやって、なんにでも首を突っ込んでると体がいくつあっても足りないぞ。いまでもヨーイチとキョウの手伝いで放課後代わる代わる時間を取られているだろうに」

「週に一日くらいなら何とかなる」

「……仕方ない、僕の用事を少し減らすよ」

「そういえば、前から少し気になっていたのですが松井さんは普段何をされているのですか? よく学校をサボタージュしているようですが」

「動物専門の何でも屋。基本的には市や団体からの依頼で動物の世話をしたり、保護をしたり、あるいは退治をしたりって感じかな。で、たまーに今日みたいに迷子の捜索とかもやったりする」

 レンは今日保護したばかりの猫をケージから取り出し抱き上げる。小一時間ほど前までは毛を逆立てるほど警戒していた仔猫も、すっかりで大人しく抱かれるようになっていた。

 何度見ても驚かされる。レンは異常なほどに動物になつかれやすい。本人は愛のなせる業だとか言っているが、少なくとも理屈に合わないのは確かなので納得せざるを得ない。

「あっ、この子オスだ」

 万鈴が尻尾を持ち上げてお尻を見ると、かわいらしい毛玉が二つ並んでいた。

 一瞬、鋭い爪が万鈴の手に伸びそうになるが、レンが頭を撫でると喉を鳴らしてひっこめた。

「猫でも、オスは怖い?」

「……どうでしょう」

「撫でてみる?」

 喜多は唾を飲み込みこくりと頷く。

「撫でるところは頭の上。少しかがんで、猫の目線より下から、ゆっくりと手を伸ばしてみて」

 震える手が猫の頭に伸びていく。レンの腕の中、三日月のような琥珀色の目がゆっくりとそれを追う。

「あっ」

 ふわりと、喜多の指先がやわらかい毛に触れた。ゆっくりと動かすと、猫は顔を揺らしながら気持ちよさそうに目を細める。

「触れ、ました」

「やったね。一歩成長だ」

 喜多は瞬きも忘れて猫の頭を撫で続ける。

「最初は猫でもいいよ。一歩ずつ進んで行けば、きっといつかはうまくいく」

「そう、ですね」

 喜多は自分の右手を眺める。その実感を確かめるように。そしてユウタに向き直り、顔をほころばせる。

 話しかけられてからずっと眉間に力が入っていた彼女だったが、今日、初めて笑顔を見た気がした。

「そういえば、この仔、三毛猫なんですね。ご存じですか? 三毛猫のオスって、すっごく珍しいんですよ。何万匹に一匹とかの割合でしかいないんです」

「へえ、そうなんですか」嘘が下手である自覚があるため、ユウタはそっと顔を逸らす。「だったら幸運を運んでくれるかもしれませんね。四葉のクローバーみたいに」

 コーンと、気の抜けた鐘の音が鳴った。昼休みの終了を告げる予鈴だ。その音をきっかけに生徒たちがぱらぱらと教室から出て行く。午後の授業は体育からだ。

「芳野さんと同じクラスだったのが、私の幸運かもしれません」

 少し緊張気味に言って、喜多は頭を下げてから周りの生徒に続き教室を後にした。

「ねえ、ユウタ」万鈴がジト目で睨んでいる。「さっきの何さ」

「何さって、何が?」

「三毛猫のオスが珍しいって、知ってたでしょ。むかし一緒によく猫探ししてたじゃん。探し出して一攫千金狙おうぜって」

「うん、知ってたよ。でも、わざわざ楽しいお喋りの輿を折る必要はないだろ。俺は彼女の笑顔を台無しにしたくなかっただけだよ」

「…………すけこまし」

 万鈴はそれだけ言い残し、ユウタの腕から残りのパンを袋ごとかっさらって、大股で小さな体をゆするように教室から出て行った。

 あっけにとられたユウタとレンは、ポカンと口を開けて顔を見合わせた。


 放課後、男二人きりの部室。

 約束通り、ユウタは懲役4時間の刑に服していた。

「なあ、ヨーイチ。『すけこまし』ってどういう意味か知っているか?」

 ヨーイチは普段はよく喋るタイプだが、ことマンガ制作になると無駄口を一切聞かない。しばらくカリカリペタペタと無機質な音が続いていたが、小一時間が経ちさすがに息がつまったユウタは息抜きをかねてヨーイチへ尋ねた。

「なんや、いきなり。気色悪いこと聞くな」

「今日、東雲さんに言われた」

「なるほど、大切な人材がストレスで脳みそパンクしたかと思て不安になったわ。でもそうか、キョウビあんま使わん言葉になったから知らんヤツは知らんか」

「お前は知っているのか」

 ヨーイチは得意げにニヤリと笑う。

「マンガはなんでも教えてくれる。人類の英知の集大成や」

 そう言って、椅子を反転させ二重棚の奥にしまわれていた本を数冊取り出し、差し出してきた。表紙に女の子がたくさん並んでいる。

「これが、『スケコマシ』や」

 パラパラとページをめくり読んでみる。

 いきなり話の途中から読み始めたため前後の脈絡や人物の背景などは不明であるが……。

「どう思う?」

「やたらと軽薄そうな男が女性の信頼を裏切り、敵意を込めて言い捨てられるような類の言葉だということは分かった」

 ユウタが答えると、ヨーイチはユウタの顔を指さしけらけらと笑う。

「苦笑いが嫌悪感に押しつぶされておもろい顔になっとるぞ」

「なあ、俺はこんな感じに見られているのかな」

「自分が周りからどう思われとるか気になるか?」

「そりゃまあ、少しは」

 ほおー、と感心したようにヨーイチは唇を尖らせる。そんなに変なことを言っただろうか。

「お前も、少しは形があったんやな」

「形?」

 一体何の話が始まったのだろうか。意味が理解できずオウム返しになってしまう。

「そう、形や。魂の形とでも言うんかな」

「いったい、何の話をしているんだ?」

「ユウタ。お前、自分がどんな人間か、お前自身の言葉で語れるか?」

 唐突にそんなことを言われ、ユウタは困惑する。

「そりゃあ当然――」

 と口を開きかけるが、そのあとが続かない。

 途端に頭が真っ白になり、それと同時に得体のしれない焦燥感が一気に押し寄せてきた。

 口を半分だけ開けたままフリーズしていると、ヨーイチは呆れ気味に息を吐きだし、言葉を続ける。

「ワシはできる。ワシはマンガ(こいつ)に命を懸けとる。人の心に余裕がなくなって廃れつつあるこの偉大な文化を守り、業界を復興させて新しい歴史を作るつもりや。ワシだけやのうで、たぶん、キョウやレンに同じ問いを投げかけてもノータイムで即答するで。キョウはうまい野菜の作り方について熱心に説明してくれるやろし、レンのアホは誰も興味ない言うてもチベットスナギツネの交尾なんかについて日が暮れるまで語り続けるやろ」

「……俺には、そういうものがない、と?」

「いや、ある。さっき言うてたやろ。人の目が気になるって。完全にないタイプやと思とったからちょっと意外やったんや」

「だったら――」

「せやけど、弱すぎや。芯が弱すぎて周りに押しつぶされとる」

 ユウタの言葉を遮るように、ヨーイチは言う。その口調は断言、というよりは、断罪という言葉が適切に思えるほど攻撃性をはらんでいるような気がした。

「まったくないタイプやったら、それはそれでええ。それも一つの生き方や。やけどな、あるって言うんやったら、話は変わる。ワシも、キョウも、レンも、多かれ少なかれ尖っとる。尖ることで、自分の形を維持しとる。ワシらはな、こんな世界で、こんなザマで生きてくんや。生きてかなアカンのや。自分の形をはっきりさせとかんと、しんどいぞ」

 周りに押しつぶされている――。

 じわじわと身体をよじ登ってくるような不安に、全身をまとわりつかれたような気がした。

 茫漠(ぼうばく)なほどに広く、数えきれないほどの人々が行き交う世界の中で、ぽつんと、自分一人だけが取り残されているような孤独感。

「なあ、ヨーイチ」

「ワシは聖人君子やない。なんも手助けできん。自分の形は、自分で見つけるしかない。そこまで長い付き合いでもないけど、お前の性分みたいなんは知っとるつもりや。その性格やと、自分を突っ張ることは簡単なことやないかもしれんけど、このままやと、いつか、ぐちゃっと潰れてまうで」

 自分の形。

 言葉にすれば、とても単純な問題のようだが、その答えは、どれだけ考えても漠然としていて、輪郭すらつかめない。

 ヨーイチにとっては、いつもの雑談の一つにすぎない。もしかしたら、明日になったら何の話をしていたのかすら忘れているかもしれない。

 だが、その言葉は、ユウタの心に言い知れぬ不安の種を植え付けたような、そんな気がした。



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