EPI.30 ホーム・スウィート・ホーム
珠洲に案内された部屋は最上階にあった。
道中見かけた掠れた刻印を見間違えていなければ、おそらく六階にあたるだろう。
ユウタの後ろを見張るようについてきた女性は、一つ下のフロアで分かれており、今は珠洲と二人きりとなっている。
「入って」
豪奢な両開きの扉を手で押し開け、珠洲はユウタをエスコートする。
ユウタは、お邪魔しますと軽く頭を下げ、中へ足を踏み入れた。
ひとフロアを丸ごと部屋に使っているようで、かなり広い。
床も壁も天井も、目に映るものすべてが一目で上等と分かる調度品で埋め尽くされているのだが、全体的にレトロなデザインにまとまっているためか雰囲気は落ち着いているように感じた。
「どうして、大人しく着いてきたの?」
藪から棒に、珠洲が言う。
「なんのことですか?」
「あなた、頭のいい子でしょう?」
「叱られることも褒められることもない、平凡な学生ですよ」
「でも、自分がこれからどうなるかはちゃんと理解している」
「…………」
「弄ばれて、そのあとは騙されて売り飛ばされるか、あるいは拉致されて連れまわされると分かっていながら、どうして私について来ようと思ったの?」
「俺があの場であなたの手を取らなかったら、たぶん、誰かが傷つくだろうと思ったからです」
ふうん、と珠洲は口元に指をあてながら、言う。
「そうね。下でのびてる彼女のせいで私たちはもう引き返せない状況になってしまっていたし、政府の連中も押し切るしかできない状況だった。どちらも抜き差しならないなら、どちらかが倒れるまで意地の張り合いになったでしょうね」
「俺はそれが嫌だったから、その場を収める手段として、あなたについていくことを決めました」
「それだけ?」
「どういう意味ですか?」
「なんだか、やけっぱちになっているように見えたから」
そして、その指先をユウタの顎の下に移し、ついと弾くように撫でる。
「その選択が、自分を犠牲にするものだと分かっていて?」
「犠牲になるかどうかは分からないですよ。俺、まだ諦めていないですから」
ユウタがそう言うと、珠洲は両手で自分自身を抱くようにして身震いする。
「いいわね。すごくいい。私いま、少しゾクゾクしちゃった」
そして、おもむろに洋服を脱ぎだすと、やや乱暴にユウタの手を引きベッドへとなだれ込む。
柔らかなスプリングが軋み、ユウタに覆いかぶさるように、珠洲が上から見下ろしていた。豊かな身体が、薄い下着一枚を残してユウタの目の前で揺れている。
「私は汗かいちゃったからシャワー浴びてくるけど、一緒にどう?」
「遠慮しておきます。その、シャイなもので。それよりも、先にさっきの話を聞かせてもらえませんか」
「さっきの話?」
「車に轢かれそうになったとき、あなたとしていた話の続きです」
「何のお話だったからしら。ここでの暮らしのこと? それとも、あなたの未来のこと?」
「NGPの裏の仕事、ってやつについてです」
「ああ、そういえばそんな話だったわね。すっかり忘れていたわ。でも、ピンと来ていないということは、あなたはたぶん幸運なんでしょうね」
「どういうことですか?」
「あなたは、被害を受けていない、ということよ。“おつとめ”以外での性行為、――たとえば年寄り連中の変態趣味に付き合わされた記憶はないでしょう? こんなにかわいい顔をしているのに、あなたよほど運が良いのね」
「……ありません。そんなことが本当に?」
「うちに覗き見が趣味のいけない子がいるって話はもうしていたかしら? その子が暇つぶしでNGPの職員のPCを盗み見たことがあったのよ。そうしたら、さっき話したみたいなファウンダーの子との悪趣味な行為の記録が山ほど保存されていたのを見つけちゃってね。あとで弱みでも握るつもりだったのか、あるいは共犯者が裏切らないように足かせをつけたかったのか」
言い訳のしようもないほどの醜聞だ。政府によるNGPの私物化。それも、考えうる限りで最も悍ましい形のもの。
本来ファウンダーを守るべき組織が、ファウンダーを、――年端も行かぬ少年らを弄んでいた。
屈託なく笑っていた弟の顔がフラッシュバックする。
自分の尊厳まで踏みにじられたような、吐き気を催すほどの嫌悪感だった。
珠洲の口ぶりなどから、ある程度覚悟していた内容ではあった。だが、仮定の話であれば耐えられた内容でも、それが事実と確定すれば、受け止めるには感情の整理が必要になる。
いままで棚上げにしていたいくつかの違和感が、まとめて一本の線でつながったような気がした。
五十鈴らがダイスケたちの失踪を公表することなく、秘密裏に行方を探っていた理由。
ダイスケらが施設を抜け出し、ユウタや万鈴すら警戒してまでやらなければいけなかったこと。
彼女らは恐れている。ダイスケたちによるNGPの告発を。
「そのデータは、いまどこにあるんですか? さっき、別のひとが言っていましたよね? 山ほど証拠があるって」
「政府連中にイタズラでも仕掛けようかと思ってUSBメモリをアキラに持って来させたことがあったはずなんだけれど、そのあとベッドで盛り上がっちゃったのよね。どこかへしまったとは思うんだけれど、どこだったかしら」
であれば、きっとまだこの部屋のどこかに保管されているのだろう。
ユウタは改めてぐるりと辺りを見渡す。家具や雑貨が多く候補は無数にあるように思えた。
「さて、お話も終わったことだし、じゃあそろそろいいかしら?」
そう言って、珠洲は甚平の結び紐に指をかけ、ゆっくりとほどいていく。
「あの、ちょ」
「どうかした?」
太もものあたりで指先を滑らせている珠洲の手を取り、ユウタはゆっくりと身体を起こす。
「シャワーを浴びると言っていませんでしたか?」
「あら、うっかり。自分で言って忘れていたわ」
珠洲はベッドから足を投げ出すように立ち上がり、その場で下着に指をかける。
そして、まるでわざと足跡を残すように床に下着を一枚ずつ脱ぎ捨てていきながら、最後にヒールを脱いでシャワールームへと入っていった。
ユウタは、彼女の姿を目で追う。姿が完全に見えなくなってからも、視線を外さなかった。
「やっぱり一緒に入る気はない?」
珠洲がひょっこりと顔だけ出して、言う。
「もちろん、遠慮しておきます」
ユウタは口元に笑みを浮かべながら答えた。
「そう、残念。でも、せっかくのごちそうですもの、つまみ食いはもったいないわよね」
そう言い残し、珠洲が再びシャワールームの向こうへと姿を消した。
やがて水が流れる音が響く。
それを聞いてから、ユウタは、ゆっくりと音もなく立ち上がる。
この部屋に来るまでに通った道を思い出す。
フロアは六階。
エレベータは動いておらず、階段は傍らにあった一本のみ。
細い廊下、階段とは逆側の突き当りには非常ドアがあったようだが、途中に洋服や装飾品が堆く積み上げられており人が通れるようなスペースはなさそうだった。
外に出るためには昇ってきた階段を戻るしかなさそうだが、すぐ下のフロアには先ほど商店街でも会った女性の部屋の前を通ることになる。いかにも抜け目のなさそうな彼女のを目を盗み抜け出すことは骨が折れそうだ。
ならば、と入ってきた扉とは逆の方向に目を向ける。シャワールームとは対角になる位置に大きな窓がある。
あまり期待はしていなかったが、想像以上に高い。目の前を流れる川の向こう側に繁る木々と、ほぼ同じ高さだ。下を見ると先ほどまで乗っていた車がまるでおもちゃのようなサイズで川辺に停まっていた。
階下のフロアも似たような構造になっているようで、真下には等間隔に窓が設置されている。
かろうじて窓枠には爪先を乗せられるだけのスペースがありそうだが、それ以外に取っ掛かりがないため、素人がそこを頼みに降りていくのは自殺行為だろう。
ならば屋上はどうだろうと首を上に捻ったところで、ユウタは目を見開いた。
思わず声を上げそうになったが、その口は強い力で抑え込まれた。
呼吸が、出来ない。
広い部屋の中では、春の雨のような細やかな水音だけがずっと流れていた。




