EPI.28 裏切りの代償 後編
「なぜ、この子を殺そうとしたの?」
暴走自動車を運転していた女性と珠洲とが、小さなテーブルをはさんでソファに座り向かい合う。
両手こそ束線バンドで拘束されているが、ひどい尋問を受けるような様子はない。
事務所とは言っていたが、おそらく、もともとはホテルかなにかだったのだろう。今いるこの場所もおそらくはエントランスホールで、客間というにはあまりにも開放的な場所だ。
問いただしている珠洲の口調は、とても穏やかなものだった。表情も、まるで幼子のいたずらを諫めている親のように、感情を感じさせないものだ。
しかし、ユウタと一緒に少し離れたソファで様子を見ている構成員は緊張感に満ちた様子で、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……それは、正しい終末を迎えるためです。この子たちは、主の定めた終末を邪魔するために使わされた悪魔の子です。一刻も早く処分する必要があるのです」
「その話は、前に一度聞いたわね。でも、そのとき私は、『それはダメ』って言ったわよね? 覚えている?」
「はい、もちろん覚えています。とても衝撃的でしたので、はっきりと」
「だから、緋梅会を去ったの?」
「……珠洲様は、寄る辺のない私を受け入れてくださいました。そのことには感謝してもしきれないほどの恩を感じています。ですが、あなたは私の信仰までは、受け入れてくださらなかった」
「もちろんよ。私はあなたの神様なんて知らないもの」
「……私がどれだけ説いても、あなたにはご理解いただけなかった。とても、残念でした」
「そうね。私も、大切な約束を破られてとても残念だわ。それで、私との約束を破ったあなたがどうなるか、分かるかしら?」
「……もとより、覚悟はできています。それが私の信仰ですので」
そう言うと、女性は縛られたままの手で器用に十字を切り、祈るような仕草をした。
その先に言葉が続くのを待つように彼女の様子を眺めていた珠洲だったが、やがてため息をこぼすと、テーブルに置かれていた一丁の拳銃を手に取った。
「そんなに、あなたの主という人に会いたい?」
「会いたい、会いたくないという話ではありません。欲ではありません。信仰です」
話をしながら、珠洲は拳銃から弾倉を取り外す。傍らのケースから銃弾を抜き取り、二発、弾倉へ詰める。
手際よく弾倉を銃に戻すと、銃口を天井へ向けて、おもむろに引き金を引く。
激しい炸裂音とともに、天井の一部が砕けた。
パラパラと、剥がれ落ちたコンクリート片がテーブルをたたく。
そして、引き金に指をかけたまま、銃口を女性の顔へ向けた。
ピクリと、女性の肩が震えるのが見えた。
引き金にかかる珠洲の指がゆっくりと動く。ヘビが獲物を絞め殺すように、ゆっくりと、しかし確実に。
「――――いま、御霊となりて主のもとへ参ります」
女性が、おそらく幾度となく繰り返してきたであろう祈りの言葉を口にする。
対称的に、珠洲は何も喋らない。
その間も、銃口を向けられた女性は目を閉じたまま小さく震え続けている。
そして、不意に珠洲は引き金から指を外し、拳銃をテーブルの上へ置いた。
「――――?」
想定外の事態に、女性は思わず瞳を開ける。それが誤りだった。
開いた瞳の正面、珠洲と視線が重なった。
息をのむ。
「その拳銃を、手に取りなさい」
「…………」
なぜ、とは問い返すことができない。女性は底知れぬ不安に飲み込まれたように、顔を青ざめさせる。
「取りなさい」
そして、その意図を理解した瞬間に、女性は息をのみ、首を振る。小さく、何度も、何度も、硬直した筋肉で精一杯に何度も首を振る。
珠洲はただ、無言でその女性を見つめている。
女性は幼子の癇癪のように首を振り続けていたが、やがて見えない糸に操られるように、震えながら、拳銃を手に取る。
「許してください。どうか、お許しください」
か細い声。声帯を通さない、囁くような掠れた声だった。
かぶりを振りながら、女性は必死に訴えかけるが、珠洲はむしろ、その顔に一層穏やかな微笑みを浮かべて言う。
「どうすればいいか、もちろん、分かるわよね?」
「それだけは……。どうかそれだけは……」
「ただ、引き金を引くだけ。簡単でしょう?」
「どうか……」
「もちろん、あなたの信じる神様が自死を禁忌としていることは知っているわ。でもね、私には、そんなこと関係ないの。分かるでしょう?」
女性の瞳からは、ぽろぽろと涙が零れ落ちていた。
「あなたが従わなければいけないのは、誰?」
「あ、ああ……、ああああ……」
女性は、先ほどより一層大きく震えながら、ゆっくりと銃口を自分のこめかみへと向ける。
珠洲が女性の手を抑える。
「そこじゃダメ」
そう言って、珠洲は、歯の根が合わなくなったようにカタカタと震えている女性の口元へ、人差し指をあてる。
そして、震える女性の手から銃を抜き取り、前後逆へ持ち替えさせて再び握らせる。
「撃つ場所は、ここ」
涙に濡れた双眸が、自分へ向いた銃口をとらえる。まるで、奈落の底のように、昏い穴を。
「ひっ……!!」
震えながら、女性は銃口を自分へ向けて、口へ咥える。引き金に親指をかける。
珠洲は女性の後ろに回り、首に腕を回す。そして、耳元で囁くように言う。
「素敵ね。ああ、とってもセクシー。あなた、今までで一番魅力的よ。もし私が大蛇だったら、今すぐにあなたを丸呑みにしたいと思うくらい」
「ひや……、ひやああ……」
「それじゃあ、数えるわね」
「ひゃめ……、ほねがひ、ひまう……」
「3」
「すずしゃま」
「2」
「ひや」
「1」
「ひやああああああああああああああああ」
「――ゼロ」
珠洲のカウントダウンと同時に、部屋に激しい破裂音が鳴り響いた。
ユウタは思わず塞いでいた目を、恐る恐る開く。
女性は、あおむけの状態でソファにうなだれていた。
だらしなく開いた口と、右手の指に引っかかった銃の口からは、細い白煙がゆっくりと立ち上っていた。
しかし、想像していたような血の飛沫痕は、どこにも見られなかった。
彼女の頭部も、欠けているところはなさそうだ。
力なくうなだれていた女性の身体が大きく跳ね、咳き込んだ。それを引き金に、ひっきりなしに咳が続く。まともに呼吸ができておらずとても苦しそうだ。
珠洲はその様子を一瞥すると、すっと立ち上がりユウタへと向き直った。
「待たせてしまったわね。ゆっくり話の出来るところへ案内するわ」
何事もなかったかのような穏やかな表情で、珠洲はユウタに手を差し出す。
なにがどういう形で落着したのか、ユウタにはさっぱり分からなかった。
だが、この有様は、彼女にとっては日常の一部なのだろう。
あまりにも異質な精神性に、ユウタはゆっくりと唾を飲み込む。
指先が震えていることを悟られるのが嫌で、ユウタは珠洲の手を取らずに立ち上がる。
そんなユウタの様子に、珠洲は気を悪くするでもなくすんなりと手を引っ込めて、こっちよ、と言って歩きだした。
「あの人、どうなったんですか?」
半歩前を歩く珠洲に、ユウタは訊ねる。
「さあ? あなたは、どうなったと思う?」
「少なくとも、生きてはいると思いました」
「そうね。私もそう思うわ」
「最初から見逃すつもりだったんですか?」
「あの子に殺されそうになった身としては不服?」
「いえ。血は苦手ですので、どちらかというと安心しました」
ユウタが言うと、珠洲はふふっと笑う。
「意図なんてないわ。たまたま、よ」
「たまたま、ですか」
「こういう組織で管理職やってるとね、部下にけじめを付けさせなきゃいけないケースがままあるのよ。ああ、本当めんどうくさい」
「けじめ。――昔だったら、切腹のようなもの、ですか」
「あら、面白いたとえね。そうね、今度からはそうしてみようかしら。私、切腹ってまだ一度も見たことないし。介錯って素人でもできるのかしら」
そう言って、珠洲は少女のように無垢に笑う。
「私が銃に弾を二発込めていたのは見ていたかしら?」
「はい」
「あの弾丸ケースにはね、いくつか空砲を入れてあるの」
「空砲? なぜ?」
「それはもちろん、銃口を自分の頭以外に向ける不届きものに渡して、楽しむためよ」
珠洲は、ほほを紅潮させながら自分を抱くように身をよじる。
「破れかぶれの状況で私に引き金を引いて、それが空砲だった時の顔がね、たまらなく愛おしいのよ。私は」
「珠洲様、部外者に喋りすぎです」
「いいじゃない、環。部下以外の人間と、それも、男の子とお喋りするのとても久しぶりなんですもの。私、いまとても楽しいわ」
「さっきの人も、銃口を向けてくる人だと思ったってことですか? 結果的には、自分の頭に向けて引き金を引いていたようですが」
「いいえ。彼女の場合は十回同じ状況になれば、十回自分に引き金を引くだろうと思っていたわ」
「でも、弾は空砲でしたよね?」
ユウタは、頭が混乱する。珠洲の話すことは、何もかもがちぐはぐで理解できない。
「だから、たまたまよ。さっき込めた二発目の銃弾はね、どちらか確認せずに込めたから」
「実弾でも、空砲でも、どちらでも良かった、ということですか」
「そういうことかしらね」
そう言って笑う上司の言葉に、環が小さくため息をこぼす気配がした。
珠洲と話している間、ユウタの心臓の鼓動はずっと早いペースを刻んでいる。
法の外側で暮らす者たちの、命の軽さと、度量の大きさ。
物差しがまるで違う。
ユウタは思う。一刻も早くこんな魔窟から抜け出したい。
だが、その前に自分にはやらなければいけないことがある。




