EPI.26 正解の無い二択 後編
想像だにしていなかった珠洲の言葉に、ユウタは目を丸くする。
それどころか、珠洲の左に控えていた女性も口をぽかんと開けて狼狽していた。
「珠洲様、話が違います」
「そうね。最初はただ世間知らずのファウンダーを口車に乗せて拉致して、三日三晩くらいかけてみんなで一通り楽しんだあと最後は物好きの金持ちに売り飛ばすって計画だったものね」
「なぜ、いきなり計画が根こそぎ変わっちゃうんですか」
「もちろん、最初はそんなつもりはなかったのよ? でも、実際にこの子と会って話をしてみたら、どうしても私のものにしたいって思っちゃったの」
慌てる付き人とは対照的に、まるで悪びれない口調で珠洲は言う。
「そんな無茶苦茶な」
「ダメかしら?」
「拉致と横流しだけでしたら強引な抜け道もいくつか想定していましたけど、ファウンダーを“所有する”となると、一生逃亡生活になりますよ」
「あら、それはとても楽しそうね」
珠洲が子どものような笑顔でそう答えるのを見て、その女性は眉間を抑えて首を振った。
「……あの、話が全然見えてこないんですが、もちろん俺にはそのつもりはありませんよ」
このままだと自分の意志に関係なく話が進んでしまいそうな気がしたため、ユウタは口をさしはさむ。話の端々におっかない単語がチラついていたような気がするが、どこまでが本当の話だったのだろう。
「ねえ、あなた、自由が欲しくない?」
「……自由?」
いきなりの珠洲の問いかけに、ユウタは思わず逡巡する。
会話も行動も、すべて釣り針を隠すためのブラフ。珠洲を誘うため、隙の多いファウンダーを徹底的に演じる。そのはずだった。
だが、珠洲の言葉は、なぜか後先構わず頷いてしまいそうになるような魅力を持っているように思えた。
ユウタの内心を見透かすように、珠洲はユウタの耳元に顔を近づけ、囁く。
「ねえ、あなたは今のファウンダーの扱いに満足している?」
ユウタは沈黙する。その問いは、嘘でもユウタが答えてはいけないものような気がした。
「産まれてからずっと生活を監視されて、下の毛も生えないうちからNGPの施設に軟禁されて、ほとんどの自由を制限された中で生殖だけを強制されて、そんな生活があと30年近くも続くのよ? 見ず知らずの、その日初めて会った女性と性交して、結果、もし妊娠しても子どもの親権はもちろん、顔も名前も知らされないなんて、オスとしてあなたはそれに耐えられる? 政府の連中が口にする『みんなの父親』なんておためごかしで言いくるめられているだけだとは思わない? そんな形だけのハリボテの栄誉のために、本当にあなたは人生の大半をささげられるの?」
まくしたてるように、珠洲は言う。
「どうかしら? 自分だけの、誰かにとっての特別にはなりたくない? 自分だけの家族を持って、自分の子を、自分の手で抱いてみたくはない?」
ユウタは自分の手のひらを見つめる。
自分の子を、抱く。
それは、禁忌に触れる、残酷な妄想だ。
ファウンダーを誑かすためには魅力的であったであろう珠洲の言葉は、結果として逆効果だった。鋭い言葉のナイフが、ユウタの胸を深く抉った。
その傷みが、魔法にかかったようにマヒしていたユウタの理性を呼び起こした。
ユウタは身震いし、何かを振り払うように頭を振る。
この人の言葉は、危険だ。抗いようもなく惹きつけられる魔力を持っている。
「それに、NGPの裏の仕事もあるでしょう? あれからも解放されるのよ? 私と一緒になれば、いいことづくめだと思わない?」
「……裏の仕事?」
心が、ざわつく単語だった。
思わずオウム返しになってしまったが、珠洲はユウタがとぼけているのだと捉えたらしい。
「ええ。私、知っているのよ? あなたたちの裏のお仕事のことも、ね。うちにね、ちょっと面白い子がいるの。その子とても物知りでね。普段は、自分の誕生日すら忘れてしまっていそうなフワフワした子なのだけれど、こと、誰かが必死に隠しているような秘密や裏事情に関しては、世界中の誰よりも詳しいの。おかげで私もあちこちの企業の重役や政府組織の連中なんかの弱みをたくさん教えてもらっているのよ。だから、NGPがあなたたちファウンダーにしている『悪いこと』ももちろん知っているわ」
ユウタは焦燥感に襲われる。
前提が、揺らぐ。
少なくとも、NGPに悪意はないと信頼していた。だが、彼女の話が真実であればそのよりどころが崩れる。
珠洲の言葉は、ユウタを揺さぶるためのただのブラフかもしれない。
だが、珠洲はファウンダーを相手に話をしていると思っている。であれば、『ファウンダー公知の内情』をブラフにする理由がない。真実味は、高い気がした。
短い付き合いではあるが、五十鈴らのダイスケを助けたいという意思に嘘はないとユウタは思う。
だが、いつかミカンちゃんが言っていたように、それだけでNGP全体を善とみなせる理由にはならない。少なくとも、ダイスケたちが何かしらの理由でNGPを脱走したことは間違いのない事実なのだ。
その『何かしらの理由』が、珠洲のいう『裏の仕事』であった可能性もある。
――ユウタの中で、五十鈴らの立ち位置が変わる。
「その顔、もしかして本当に知らなかったのかしら?」
「是非、詳しい話が聞きたいです」
珠洲の口元に浮かんでいた笑みが、深くなる。
「だったら、もっと静かなところでお話しない? 私、立ち話ってあまり好きじゃないの。足が疲れるから」
「わかりました」
ユウタがそう口にすると、珠洲は地母神のように慈愛に満ちた表情で「いい子ね」と言った。
「ドアホかお前は!!」
ヨーイチが怒鳴り、ユウタの肩をつかむ。
「こんな奴の話まともに取り合うな!! 絶対にロクでもないことになる!!」
「ごめん。でも、俺は知らなきゃいけない気がする」
「……正気か?」
「俺は冷静だよ。冷静に、俺はそのことを知るべきだと思った」
「なんで、お前がそれを知る必要があるっちゅーんや」
「それが、俺の役目だと思うから」
ユウタがそう口にすると、ヨーイチは苛立しげにに唇を噛み、何かを探すように周りを見回した。
「素直な子は好きよ。お喋りでの説得がこじれたら、もっと別の形で交渉することも考えていたのだけれど、思いのほか話の分かる子で嬉しい誤算だわ」
「別の形って、どうするつもりだったんですか?」
「過激なやり方よ。そういうのは私の好みじゃないの。助かったわ」
「……それで、俺はどこへ行けばいいんですか?」
「さっき合図を送ったから、直に迎えが来るわ。まずは事務所へ向かいましょう」
「迎え、ですか?」
一体どういうことだろうとあたりを見回す。
「あなた、酔いには強いほう?」
珠洲にそう言われ、彼女が『迎え』といった意味をユウタは察する。注意深く耳を澄ませると、普段あまり耳にしない排気音が遠くで聞こえた。
見通しの良い真っすぐな道路の彼方、ご丁寧に真っ赤にペインティングされた小型のバンがこちらへ近づいてくる。
ガソリン不足が慢性化して以降、バス以外の動く乗用車を見るのはいつぶりくらいになるだろう。
「おいおい、どういうこっちゃ」
最初に違和感に気が付いたのは、ヨーイチだった。ユウタも、珠洲も、皆が車をただ目で追っていた中、一人慌てたような声を上げる。
ハンドルを握っていた女性の顔が識別できるほどまで近づいて、その瞳がユウタを捉えた瞬間、車が一段と加速した。
唸るように甲高いエンジン音とともに、真っすぐ、ユウタへと向かって飛び込んできた。
「――えっ」
身体中の骨がひずみそうなほどの衝撃。意識さえもはじけ飛んでし待ったような気さえした。
直後、ゴンっと重量物が叩きつけられたような不快な音と、耳をつんざくようなブレーキ音が響く。
道路の脇へと倒れこみながら、今更のように心臓が早鐘のように鼓動し始める。
浅い呼吸を繰り返しながら、遅れてやってくる激しい痛みを覚悟していたが、それはいつまで待ってもやってくる気配がない。
上体を引き起こしながら、足に何かがのしかかっていることに気づく。
「嬢ちゃん!! 大丈夫か!!」
「わたし、より、優太さんを、……早く」
ユウタに覆いかぶさるようにして、一人の女性が足元でうずくまっていた。
鹿島だ。呼吸が乱れ、顔は苦悶に歪んでいる。
先ほどまでユウタが立っていた場所には彼女のブーツが片方脱げ、転がっていた。
視線を移しもともと靴の収まっていたであろう彼女の足を見ると、膝から下が不自然に曲がっていた。
どこから出てきたのか、閑野がユウタの手を取り、引き起こすように無理やり立たせる。
「おんどれ、言うとることとやっとることが無茶苦茶やないか!!」
ヨーイチが珠洲へ悪態をつきつつ、後ずさるように赤い車から距離を取る。
珠洲は、赤いバンとユウタを交互に見ながら、困惑したような様子で隣にいた女性へと話しかけた。
「……環、どういうこと?」
「どういう事情かは不明ですが、車が違いますね。ハンドルを握っている子、2日前にあの車と一緒ににウチから失踪した子です」
「とりあえず、今の状況、任せられる?」
「もちろん対処します。――が、まずは車から降ろさないことにはなんとも。少しまずい状況ですね」
急ブレーキ後、切り替えしていた赤いバンが、再びユウタへ顔を向ける。
ボンネットは歪み、右のヘッドライトがひび割れていた。
ハンドルを握っていた女性は瞳を閉じ、胸元で十字を切ると再びアクセルを一気に踏み込む。ユウタは建物を背にしているが、女性に躊躇う様子はないようだ。
エンジンがうなり声をあげる。
そして、車が加速を始めるのとほぼ同時に、赤いバンの脇腹に何かがものすごい勢いで突っ込んだ。
バンは大きな車体を弾ませるように横滑りし、甲高く響いていたエンジン音が徐々に小さくなっていく。先ほどまで据わった眼差しでユウタを見ていた女性は、運転席で白いエアバッグに押しつぶされていた。
バンの脇腹に突き刺さっていたのは白い乗用車だった。車体の後部に、『厚生労働省』と丸い文字でプリントされている。
運転していたのは赤木のようだった。エアバッグの奥で、極限まで緊張した顔のままハンドルを握りしめていた。
その助手席から、エアバッグを押しのけ、五十鈴が飛び出してきた。
「動くな!!」
手には、ハンドガンのようなものが握られているが、銃口があるべき部分に穴がない。
「珠洲初美、NGP嘱託職員へ対する公務執行妨害だ。生存戦略特措法に基づく逮捕特権に従い現行犯逮捕する」
「ですって。右に左に大忙しね。どうする、環?」
「状況がさらに悪化しましたね。あの暴走については、たぶんどれだけ釈明しても納得してもらえないでしょうから」
「具体的にはどうなるのかしら?」
「特措法によって、懲役5年から20年の実刑。恣意的に別件もこじつけられたら無期懲役もあり得ます」
「なら、逃げる一択ね」
「はい」
「逃げるついでに、あの子持って帰りたいって言ったらどうする?」
「反対します」
「反対は許さないわ」
「……まあ、どのみち逃亡生活ですからね。追跡は格段に厳しくなるでしょうが、行政指定区域外を転々とすれば数年は逃げられると思います」
「まあ、素敵なハネムーンになりそう」と言って、珠洲は散歩でもするような足取りでユウタのもとへと歩いてくる。「政府の捨てた土地で、私たちだけの国を興しましょう。南のほうがいいわ。きっと、とっても楽しい毎日になるわ」
ユウタを身体の後ろに隠したまま、閑野は、構えた銃の存在を主張するように銃口を珠洲の顔へと向けて一歩前へ出る。
「聞こえていないのか? 動くな、と言っている」
「気安くそんなものを向けないでもらえる? 私、とても臆病な性格だから」
閑野は、銃口をやや下げてから引き金を引く。破裂音が響き、繁華街のアーケードに敷かれていたタイルに穴が開き、欠片が飛び散った。
そして、素早く銃口を珠洲へと戻す。
こちらは、正真正銘の拳銃のようだ。
しかし、珠洲は一切躊躇することなく、空いた穴を踏みつけてさらに歩みを進める。
「動くな!! 次は威嚇では済まないぞ!!」
「あなた、少し黙っていてくれる? 私は、そちらの子と話がしたいの」
珠洲は、虫でも払うように閑野を無視し、ユウタを見据える。
気を抜くと意識まで飲み込まれてしまいそうな、瞳だ。
先ほど感じた、心まで支配されるような恐怖が悪寒となって全身を駆け巡る。
「さっきのお話の続き。私と一緒に来てもらえるかしら? 信じてもらえないかもしれないけれど、これは事故。私はあなたに危害を加える気は全くないわ」
「優太さん、彼女の言葉に耳を貸してはいけません。今すぐ、閑野と一緒にこちらへ来てください」
ユウタを真ん中に挟んで、五十鈴と、珠洲が、ともに手を差し出す。
皆の視線が、ユウタに集まる。
ユウタの答えを、皆が見守る。
――ひどく理不尽な問題の答えを。
「ねえ、五十鈴さん。NGPでダイスケはなにをさせられていたんですか? 本当は知っているんじゃないですか? ダイスケが、どうしてNGPから抜け出してしまったのか」
「…………」
五十鈴は、ただ、首を横に振る。
その様子を見て、ユウタは空を仰ぐ。
――彼女はの無言は、何よりも雄弁だった。
「珠洲さん、俺があなたについていったら、そのNGPの裏の仕事ってやつを潰すことができますか?」
ユウタが言うと、珠洲は心底つまらなそうにそっぽを向いた。
「なあに? 私よりも、そんなに政府のやることのほうが気になるの?」
「少なくとも、今は何より大事です」
「はあ、つまらない子。どうなの、環?」
「山ほどの証拠がありますので。どこにどれだけリークするか、匙加減次第で政府高官連中の首を好きなだけ飛ばせますよ」
なるほど。
ユウタは、肺に目いっぱい空気を入れるように大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐く。
そして、身を挺して射線から守ってくれていた閑野の横を通り、その一歩前へ足を踏み出した。
「すみません、五十鈴さん。少なくとも今は、あなたたちを信頼できない」
ユウタの言葉に、五十鈴の顔が悲痛にゆがむ。
その時、再び車のエンジンがかかる音が聞こえた。
脇腹に刺さった赤木の車を避けるように、赤いバンがゆっくりと動き出す。
フロントガラスのなくなった運転席に、珠洲の左で払えていたもうひとりの女性見える。エアバッグをはぎ取り運転席をどうにか使い物になるまで復旧させたようだ。助手席はつぶれているが、後部座席はどうやら無事らしい。
「珠洲様、とりあえず最低限ですが出発の準備ができました」
「ありがとう。環、彼も一緒でいいのよね?」
「もちろんです。状況が変わりましたので、彼には人質も兼ねて同行してもらいましょう」
「だそうよ。しばらく、よろしくね」
珠洲に手を差し出され、ユウタはそれを取る。
そして、珠洲はまるで少女のように無垢にほほ笑んで、言う。
「ねえ、あなた。エンゲージリングは、指輪と首輪、どちらが好みかしら?」




