EPI.26 正解の無い二択 前編
チェックアウトの支度を済ませ予定時刻の10分前にロビーに下りると、そこにはすでにヨーイチとレンの姿があった。
ユウタの姿を認めるなり、ヨーイチはよっすといつもの片手チョップで挨拶する。
「なんや、その恰好もずいぶんとサマになってきたな」
「だね。夏の夜祭りにもよく合いそうだ。昨日のお祭りもその恰好だったの?」
二人は甚平姿のことを言っているのだろう。確かに、当初感じていたような気恥ずかしさのようなものはもうない。いい意味で馴染んだ感じがある。
「うん。昨日もこの姿だったよ。だけど、夜のお祭りには参加していないんだ」
「そうなんだ? まあ確かに、人混みの夜はさすがにリスクが大きいか」
「ほな、昼間の海だけその恰好か。はは、ほな、かなり目立ってたやろな」
いつもの調子で大口を開けて笑いながら、ヨーイチはユウタの耳元に顔を近づける。
「で、昨日はなんか収穫あったんか?」
ユウタは小さく首を振る。
「特には。五十鈴さんたちや閑野さんたちも色々調べてくれているみたいだけど、わかりやすい成果はないみたい。少なくともまだダイスケは見つけられていない」
「弟クンのほうは最初からあんま期待できんやろって話やししゃーないか。んじゃ、引き続きプランBの一本釣り作戦続行って方向でええんやな?」
「そうだね」
ユウタは頷く。むしろ、ユウタにとっては最初からそちらが本命だ。
五十鈴らとの共同作戦でダイスケを保護すること。無事発見し保護できれば、それは、悪い結果ではない。緋梅会という具体的なリスクが懸念される現状、少なくとも彼の安全は確保されるのだから。
だが、最善ではない。
最善は、ダイスケのリスクのみを排除すること。つまりは、緋梅会をダイスケから遠ざけること。さらに言えば、五十鈴らも遠ざけられればなお良い。
横目でロビー脇のテーブルで難しい顔をしている五十鈴に目をやる。
仕事に押しつぶされている大人のほとんどがそうであるように、五十鈴はブツブツと呟きながらPCをいじり、コーヒーカップを口に運んでいる。
彼女らに悪意があるようには思えない。
しかし、どういった事情があるかは瞭然としていないが、ダイスケが彼女らを避けていることは間違いないのだ。全面的に信頼することもできない。
「ほな、そろそろ出るか?」
「時間も調度いい頃合いだよ。お店の開店時間に合わせて駅前も賑わっているころだ」
「ちょっとまって。南井さんたちは?」
「ん」
ユウタが尋ねると、ヨーイチがアゴでロビーの片隅を指す。
そこには、首から『私は約束を破り友人に破廉恥なことをしました』と書かれた札をぶら下げ正座させられている南井と、その真正面で腰に手を当てお説教をしている喜多の姿があった。
「さっき、いいんちょに言われたわ。『あとで合流しますので、先に行っててください』ってことらしいで」
「はは……」
思わず乾いた笑いがこぼれる。
閑野や鹿島が昨日のことを漏らすとも思えない。おそらく南井が自ら口を滑らせたのだろう。
内容が内容なだけに、長くなりそうだ。
「仕方がないね。先に行こうか」
「だね」
「さーて、今日は連中、うまいこと釣られてくれるかね」
「自信はないけれど、エサらしく頑張っておいしそうに振舞ってみるよ」
ユウタが冗談めかして言うと、ヨーイチは口の端で少しだけ笑った。
駅前のアーケード街を三人で連れだって歩く。
ぷらぷらと歩きながら他愛のない話を延々と続けている。
特に予定がない日などは暇な者同士で集まって、よくこうして時間をつぶしていた。
大抵の場合、自然と本屋かゲームセンターへ足が向く。キョウが一緒に居る日は、ホームセンターが候補に加わったりもする。
注文通りの普段通り。うっかりすると、本来の目的を忘れてしまいそうになるくらいにユウタにとっては日常的な時間だった。
今は昨晩テレビで流れていたらしい昔のアニメの話題でヨーイチとレンが盛り上がっている。
残念ながら、その番組を見損ねてしまっているため話題に加わることができなかったユウタは適当に相槌を打っていた。
「なあ、ユウタ。調子悪いんか?」
「えっ?」
突然水を向けられ、ユウタは面食らう。
「さっきからぼーっとしとるで」
「そう?」
「うん。いつもの、こう、打てば響くような手ごたえがない」
わざとらしく唸るように、レンが言う。
「緊張しとるって感じでもないし、なんや考え事か?」
思いのほか、普段通りというのは難しい物なのかもしれないとユウタは思う。
自分としてはうまく振舞えていたつもりでいたが、気の置けない友人らから見れば、どうやらそうでもなかったようだ。
「ホテルの枕が合わなかったからかな。もしかしたら、ちょっと寝不足なのかも」
「こんな大事な日にそんなんで大丈夫なんかいな。イザというときもあるかもしれんし、シャキっとしとかんと危ないで」
「眠気覚ましにお茶でも飲んでく?」
「いや、大丈夫だよ。頭に血が行っていないだけだと思うから血管をほぐせばすぐに治ると思う」
言って、ユウタはつま先から手のひらまで、全身の血管を絞るように目いっぱい身体を伸ばす。
すると、普段使わない筋肉が驚いたのか、途端にバランスを崩してつんのめってしまった。
「おっと」
地面に倒れ込むと身構えたが、しかしその衝撃は訪れなかった。
代わりに、顔が暖かい風船のようなもので包まれる。
「わぷっ」
「ユウタ、何をアホなこと――」
呆れるようにユウタの名を呼んだヨーイチの声が、半ばで途切れた。
嫌な予感がした。
少しだけ顔を上げると、ゼロ距離の視界に映るのは転倒しそうになった身体を支えてくれた豊かな胸の谷間と、――鮮やかな緋色の襟元。
さらにその先には、呼吸を忘れてしまいそうになるほどの美貌。
「あら、いきなりずいぶんと大胆な子ね」
全身に液体水素を浴びたような悪寒が走った。
口調こそ丁寧だが、親しみのような感情は一切湧いてこない。絶対的な捕食者に睨まれたような威圧感だった。
緋梅会。
そのトップ、――珠洲初美。
彼女の両脇には取り巻きのように二人の女性が立っていて、両名ともまるで値踏みするようにユウタを睨みつけている。なかば懐疑的だったが、二人とも本当に赤いスーツを身にまとっていた。
白昼夢の中にいたようなぼんやりとした意識が、急速に収束される。
「すみません、ぼーっとしてて――」
落ち着け、とユウタは自分に言い聞かせる。
獲物が目の前にいる。
絶対に、針の気配に感づかれるな。
考える時間を作ろうと、ユウタは頭を下げながら一歩後ろへ下がった。すると、同じだけ珠洲は顔を近づけてきた。
「あなた、ファウンダーでしょ? どうしてこんなところにいるの?」
細く長い指が、ユウタの手に絡む。
「……里帰りです。お盆ですので」
「そう、ご家族と仲がいいのね。でも、NGPにお盆休みなんてあったの? 私、てっきり、もっと閉鎖的な組織なのだと思っていたわ」
「基本的にはいろいろなことが機密事項なので、あまり一般的には知られていないかもしれません」
「そっちの子たちは、地元のお友達? 左手のソレを付けていないから、彼らはファウンダーではないのでしょう?」
「なんやワレさっきからあれこれゴチャゴチャと。ワシの連れに何か用でもあるんか?」
凄味を利かせた声でヨーイチが因縁をつけると、珠洲は視線の端で一瞥だけし、口元に笑みを浮かべる。
「あら怖い。この子本当にあなたのお友達? それとも、やっぱり通りすがりのチンピラかしら? あなたたちファウンダーは私たちの希望の星なんだから、将来子どもや孫からがっかりされないためにもお友達はきちんと選んだほうがいいわよ」
挑発には乗ってこなかった。むしろ、完全に子ども扱いされたヨーイチのほうが鼻白んでいる。
「すみません、もう行ってもいいですか? 本来、僕たちはNGPの施設から外には出てはいけないことになっているので、できる限り目立ちたくないんです」
そう言ってユウタは珠洲の手を振りほどこうとする。しかし、その手は一向に放される様子はなかった。
口元に笑みを浮かべたまま、真っすぐにユウタを見つめている。
「……あの?」
「少しお話するだけの時間くらいはあるでしょう? ファウンダーの子とお話しできる幸運なんて、今後二度とないかもしれないんだもの」
「でしたら、出来る限り手短にお願いします」
「手短にね、分かったわ。ねえ、あなた私の夫になる気はない?」
「……………………は?」




