EPI.24 漸近する未来
廃ホテルの事務室で報告書に目を通しながら、環は苦虫をかみつぶしたような顔でうなっていた。
「たまきー、あんまり渋い顔ばっかりしてると眉毛と眉毛がくっついちゃうぞ」
暇を持て余して冷やかしに来ていただけのアキラが、椅子の上でくるくると回っている。
「そんなに私の眉毛を心配してくれるのなら、あなたもたまにはちゃんとした報告書を出してください」
捻りも何もないド直球の嫌味を言うが、アキラは全く堪える様子はない。
「なんかトラブルかー?」
「はっきりとトラブルって程じゃないんだけど、少し頭の痛い問題」
アキラがひょっこりと首を出しモニターを覗き込んでくる。
「ここ最近、音信不通になっている構成員が多いのよ」
「うち、本質はブラックだからなー。単純に足抜けじゃないか? そこまで珍しいことでもないだろー」
環も、最初はそう考えていた。
「二か月で四人よ?」
「マジでか」
現在の緋梅会の構成員はおよそ40人。先代の頃からの構成員やその関係者も数名いるが、ほとんどは素性も知れない流れ者の集まりだ。
来るものは拒まず去る者は追わずを言葉通りに体現しており、構成員も皆それを承知している。
古い時代とは違い、盃や、組抜けの落とし前などと言ったしきたりもない。そのため、構成員が突然音信不通になるケースも珍しいことではない。
組織自体は暴対法に基づき公安へ届け出もなされている正式なもので、責任者も正しく珠洲が引き継いでいるが、当の本人にそれをまっとうに運営する意思がないため、ヤクザ組織の在り方としてほかの多くのそれとは一線を画していた。
というより、およそ組織としての体を成していない集団だった。
明確なルールもなければ、体制もない。是も、否も、可も、不可も、白も、黒も、すべては珠洲の気まぐれに左右される。
そんな、どう考えても、半年と持たず瓦解するはずの組織が今なお奇跡的に運営されているのは、第一に珠洲の強烈なカリスマ性と、第二に環の事務調整能力によるところが大きい。
環は、緋梅会の歴史からすれば古参に当たるわけではない。特別な実績や権力を持っていたわけでもない。
だが、そんな彼女が幹部クラスの権限を与えられているのは、あるとき構成員同士の揉め事を目にした珠洲が『面倒なことはあなたに全部任せるわ』と、たまたまその時居合わせただけの環にすべてを丸投げしたためだ。
結果として、それは英断となった。
環は超人的な事務処理能力と采配で、ルールもないまま緋梅会をまとめ上げていた。それは、空に浮かぶ雲を集めて形にするに等しい神業であっただろう。
だが――。
その環が、処理しきれない事態が起こり始めていた。
「あー、備品まで持ってかれちゃってるのか」
「ええ。標準的な生活用品から食料品、貴重な嗜好品や値打ちものの貴金属、果ては自動車まで。結構な損失よ」
「自己都合での退職金にしては法外なスケールだなー」
アキラのアウトロージョークに、まったくね、と環は頷く。
そもそも、ここに来る者はほかにどこにも行く当てがない者ばかりのはずだ。環には、そんな連中がここを去ってしまう理由など見当もつかない。
「銃器とかも持ち逃げされてるのか? だとしたらさすがにマズいんじゃないか?」
「そっちは、私が管理しているから心配ない。だけど、単純に金銭的な損失が無視できないくらいに大きい。このまま歯止めがかからないとなると、人的にも経営的にも機能不全になりかねない」
「ありゃあ、本当にマズそうなんだな」
これは、いよいよ構成員の管理に本腰を入れたほうがいい時期なのかもしれない、と環は思う。戒律や制限といった概念を何より嫌う彼女のことだから不機嫌に反対されることは目に見えているが、立場上提言しないわけにはいかないだろう。
好き嫌いの問題ではない。感情的な理由で傷口を塞がず、その結果失血死してしまっては目も当てられない。
「アキラは、消息不明の子が増えた原因に心当たりある?」
環は消息不明になった構成員をモニタに映す。
「引きこもりのワタシに分かるわけないぞ。この子たちとも、ほとんど話したことないしなー。共通点とかないのか?」
「比較的若くて、うちに来て年季の浅い子ばかり、ってくらいかしらね」
「足抜けする子ってだいたいそうだから、ほとんどノーヒントだな」
アキラがそう言うと、今度は二人そろってうーんと唸る。
環が思案に入り込もうとしたところで、無遠慮にドアを開ける音が響いた。
そこから顔をのぞかせた影を見て、アキラはぎょっとして身を隠す。
「俺になんの話だ? 回されてたシノギならもう済んでるぞ」
クマのような巨体の男が、身体をゆすりながら入ってくる。
「蛭間、あなた、前の休みの日はどこでなにをしていたの?」
「あぁ?」
蛭間と呼ばれた男は途端に不機嫌になり、語気を強める。
瞬間的に、鋼の心臓を持つ環も、さすがに身体が硬直するのを感じた。珠洲のそれとはまた違う、別種の威圧感に肌がざわつく。
「そんなこと聞くためにわざわざ呼びつけたのか? 何していようが俺の勝手だろうがよ」
「答えてください。緋梅会に、ルールはありませんが無秩序ではありません。あなたも例外ではなく、少なくとも私が管轄している範囲での勝手は許しません。あなたは、前の休みの日、どこで何をしていたのですか?」
「今のオカシラ様は休みの過ごし方まで口出ししてくるのか?」
「答えられないのですか?」
蛭間はわざとらしく大きく舌打ちをして、「メシ食ってクソして寝てた。文句あるか?」とだけ言い残して勝手に去っていった。
たっぷり十秒、蛭間が去っていったドアを睨みつけてから、環は大きく息を吐きだした。
それと同時に、机の下に避難していたアキラがぷるぷると震えながら顔を出す。
「たまきぃ、ヒグマ呼んでるなら先に言ってくれよぉ……」
環は涙目で訴えるアキラに苦笑しながら、頭を撫でて慰める。
「ということなんだけど、さっきの見てあなたはどう思う?」
「どう考えても、何か隠しているヤツの逆ギレだよなー。……なあ、環、考えたくもないけど、なんか私すっごく嫌な想像しちゃったんだけど」
「実はね、私も同意見なのよ」
消息不明になった子らに明確な共通点はない。
だが、それ以外のところで共通点が、一つだけあった。
タイミングが一致していたのだ。
珠洲が彼を引き取った時期と、組員の消息不明が急増し始めた時期とが。
「アイツの裏探るか?」
「お願いできる?」
「気乗りはしないけど、やるしかないよなー」
「私が言うまでもないことなんだろうけど、彼、意外と頭がキレるから尻尾をつかまれないようにね」
「怖いこと言うなよぉ……、まあ、そんなヘマはしないと思うけどさあ」
その時、先ほど蛭間が出て行った扉に人の気配を感じた。
二人は口をつむぎ、そちらに視線をやる。
「あの、すみません。取り込み中でしたか?」
鋭い視線を浴びせられたその人物は委縮したように頭を下げた。
先ほどまでの無遠慮(と言うよりはむしろ攻撃的)な声ではなく、対照的に意志の弱そうな控えめな声だった。
「あら、さくら。どうしたの。今週はお休みだったと思ったけれど」
「すみません。お仕事中にお邪魔しちゃって……」
環はとっさに表情を切り替えるが、さくらはそれっきり押し黙ってしまった。
どうも様子がおかしい。
普段から岩陰に身を潜める小魚のように存在感が希薄な少女ではあるが、今日は一段と影が薄い。
まるで、何かに委縮しているように。
嫌な予感に、再び環の眉根にシワが寄る。
「もしかして、さっき蛭間とすれ違った? 何か変なことされてない?」
「はい。あ、いえ、なにかされたってわけじゃないんですけど、その、すれ違った時になんだかジッと見られてたみたいな気がして……、怖くて……」
想像しただけで、嫌悪感で胃液が逆流しそうになる。
「アイツには、今後一切あなたに近づかないように釘を刺しておく。だから、安心していいわよ」
「その、ごめんなさい。いつも迷惑ばかりかけて」
「構わないわ。それより、何か用があったんじゃないの」
「あ、はい。その、写真の男の子を今日見かけたので、報告に来ました。腕に、何か機械みたいなものを付けた男の子です」
想定外の言葉に環は思わず立ち上がりそうになる。
「いつ? どこで?」
「丘塚の海岸、です。駅の南に真っすぐ行ったところにあるところで、お祭りのときに……」
「お祭り? 漁火祭?」
「はい。あ、でもお昼です。お祭りの準備をしているときに、海岸でぶつかっちゃった男の子がいて、その子が写真の子でした」
「アキラ、裏取れる?」
「取れるには取れるけど、海岸は覗ける“目”が少ないうえに引きの画しかないからなあ。あまりはっきりとは断定できないと思うぞ」
「構わないわ」
「さっきの話とこっち、どっちを優先する?」
「とりあえずこっちを優先でお願い。ただし、裏取りだからそこそこでいいわ、ある程度のあたりがついたらさっきの仕事に移って」
「ういー」
くるくる回していた椅子の上から勢いよく飛び降り、アキラはそのまま事務室を出て行った。
「ありがとう。お手柄よ。きっと珠洲様も喜ぶわ」
「いえ、そんな、たまたまですので……」
環としては手柄を評価しているのだから素直に喜んでほしいところなのだが、どうにもさくらの歯切れが悪い。
「どうしたの? 他に、なにか言うことでもあった?」
「……その、あまり関係ないことかもしれないんですけれど、その人、いい人のようでした」
「……それで?」
「いえ、その、すみません、なんでもありません……」
さくらが言うと、環は少しほほ笑むような、あるいは少し寂しがるような顔をした。
「いい人だと、まずかった?」
意地の悪い質問をしていると、環は自覚している。
だが、やはり、確認しておく必要はあった。
「いえ、そういう、わけでは……」
居心地が悪そうに、目を伏せながらさくらは言う。
その様子を見て、この辺りが潮時なのかもしれない、と環は思う。
「……早ければ早いほど価値のある情報だから、お休みにわざわざ報告に来てくれて助かったわ」
「その、私は役に立てたのでしょうか?」
「ええ、もちろん。それじゃあ、私は仕事に戻るけど、あなたは好きにしていなさい」
「……はい」
と言うが、さくらはなかなかその場を離ようとしない
「――でも、そうね。もう少ししたら、晩御飯の支度に入るから、手が空いているならついでに手伝ってくれるかしら?」
「はい、もちろん、です」
環がそう言うと、さくらはようやく、ほんの少しだけ元気を取り戻したように頷いた。




