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EPI.22 酔いの口

 お昼に覗いたときも客入りは少なくない様子だったが、夜になるとお酒も提供するお店だったようで、一段と賑々(にぎにぎ)しさが増していた。

 テーブルとテーブルの狭い隙間を、店員がひっきりなしに料理やお酒、あるいは空になった食器を手に動き回っている。

 自作と思われる簡素なテーブルは、手をまっすぐ伸ばせば対面の相手の顔に触れられそうなほど小さいが、それでも顔を寄せないとお互いの声がしっかりと聞き取れないほどの喧騒だった。

 込み入った話をするには、むしろちょうどいいと五十鈴は思った。かしこまった場所よりは、いくらか警戒心もほぐれるだろう。

 芳野優太らの帰着をホテルで確認してから店へと向かった五十鈴が店に到着したのは、19時を回ったころだった。

 明確な時刻を指定していたわけではなかったためしばらくは待ちぼうけになるだろうと長期戦を覚悟していたが、約束の女性が店へ顔を出したのも、ほぼ同時刻だった。

 最初にグラスを鳴らしてから、すでに小一時間ほど。

 部下のコミュ力とお酒の協力もあり、お互いに気兼ねなく話をできる程度には距離が縮まっていた。

 芳野優太の担任教師をしているというその女性は、小松と名乗った。

 あくまで個人的な感想になるが、五十鈴は彼女に対し、あまり教師らしくない人物だなという印象を持った。

「そういえば、芳野くんの担任をして二年になるってさっき言ってましたけど、小松先生の学校ではクラスの昇級と一緒に担任も繰り上がるんですね」

 アルコールは三杯までと厳命されていた赤木は、赤い顔で三杯目のジョッキをちびちびと口に運ぶ。

「ええ、そうよ。あなたのところは違ったの?」

「ウチの地元じゃ教師陣は学年ごとに固定でしたよ。新入生には新入生用の担任、受験生には受験生専用の担任、って具合に」

「へえ、生徒にとってはそれも毎年新鮮な感じでいいかもな」

 店員が空になったお皿を下げ、代わりにたこわさを一皿と麦茶の入ったグラスを五十鈴の前に置いていく。

「ねえ、お姉さんはさ、お酒、飲まないの? さっきからずっと麦茶じゃ楽しくないでしょ」

「お気遣いいただいて恐縮ですが、気にしないで結構ですよ。性分みたいなものですから」

 五十鈴は、芳野優太に協力を依頼している間は飲酒は厳禁と自分に命じている。

「ふうーん、官僚さんだけあってやっぱ生真面目な感じなんだね」

「ほんとですよねー。先生からも言ってくださいよ。先輩もー、たまには私みたいに抜くとこ抜かないとパンクしちゃいますよーって」

 肩に手を回しウザ絡みしてきた後輩からジョッキを取り上げ、代わりに麦茶のグラスを握らせる。

 その様子を見ていた小松が、けらけらと笑いながら口に運びかけていたジョッキをテーブルに置いた。

「なるほどね。うん、あなたたちの人となりみたいなものも、なんとなくわかったかな」

「気を悪くさせてしまっていたら、すみません。ですが、私たちのことは気になさらず、お酒を楽しんでいただいてかまいませんよ」

「いいよいいよ。私もそろそろお腹いっぱいだし。それよりもさ、そろそろ本題に入ろうか」

「本題?」

「聞きたいんでしょ? 芳野のこと」

「……はい。お願いします」

 五十鈴が言うと、小松は赤みがかった顔でカードで相手の手札を見透かそうとするように、五十鈴の顔を見据える。

「で、何が知りたいの?」

「芳野優太くんについて。一人の生徒ではなく、一人の人間として、あなたから見て彼はどういう人物ですか?」

「どうって、いい子だよ。たぶん、あいつの友達連中に聞いてもみんなそう言うんじゃないかな。いわゆる、いいヤツ。ちょっと変わったところもあるけどな」

「変わったところというのは?」

「…………ふむ。自分で言っておいてなんだけど、変わったやつのどこが変わっているのかって、説明するのは難しいな。私の主観も入っちゃってるかもしれないし」

 小松はしばらく言葉を整理するように考え込む。

 五十鈴は、その間、何も言わずにじっと待つ。

「……うまく伝わるか分からないが、あいつはいいヤツ過ぎるんだ」

「どういうことですか?」

「例えば、誰かが困っている場面に出くわしたら、あいつは必ず首を突っ込む。自分の価値観や損得勘定で取捨選択したりせず、必ず首を突っ込む。必ずだ。敢えて私の主観で言ってしまうが、受けた印象としては、それは献身的というより、強制的、あるいは狂信的に近い」

 ――狂信的。

 その表現は、とても腑に落ちた。

 五十鈴がぼんやりと感じていた彼に対する印象にとても近い言葉な気がした。

「生まれ持っての性格って言うのもあるだろうが、やっぱり、あいつの置かれた特殊な環境がそうさせてしまっているのかもしれないな。まあ、あんたらなら分かるだろ」

「ファウンダーである弟の、存在」

 五十鈴がつぶやくように言うと、小松は静かに頷く。

 かつては一億からの人口で栄華を極めていた時代もあったが、今、この国に残されているファウンダーの数はたったの8000人。

 さらに、彼らの中で存命する男兄弟を持つケースは、もはやほんの一握りほどだろう。

 本人がそのことに気が付いているかは分からないが、芳野優太の置かれている状況は、日本でも指折りのレアケースだ。

「なあ、はっきり答えてほしいんだが、あんたらが芳野のことを調べてるのはNGP絡みの話ってことでいいんだよな?」

 小松が藪から棒にそう聞くと、五十鈴は少し逡巡してから、「そうです」と答える。

 すると、小松はしばらく店の天井を見上げていたかと思うと、やがて、覚悟を決めたように五十鈴と赤木とを順番に見つめる。

「これから私がする話は芳野の過去に深入りしすぎている話だ。だから、本来、私の口からするべき話じゃない。私が直接聞いた話ではないから細かい話はできないし、なにより下世話な話になる。だけど、あんたらが芳野のことを知りたいのであれば、たぶん知っておいた方がいいと思う」

「お伺いします」

「芳野は、11歳のころにレイプされている。上級生の女子生徒連中に」

 五十鈴の眉根が寄る。

 報告書には上がっていない話だった。

「経緯は?」

「芳野大輔がNGPへ入る前、まだ丘南小学校の生徒だったころの話だ。耳年増な上級生が、下級生の中にファウンダーがいると知って、好奇心で彼を呼び出そうとした」

 ――ときどき耳にしていたトラブルだ。

 NGPでファウンダーを保護する前は、あちこちで似たような話を聞いていた。

「それが、どうして優太くんの話へつながるのですか? 呼び出されたのは大輔くんなんでしょう?」

「その話を耳にした芳野優太が、上級生連中へ掛け合ったんだよ。弟に手を出すな、と。そして、その結果――」

 小松は、何かから目を逸らすようにジョッキに残った酒をあおる。

 ――度し難い。

 子どものした事とはいえ、決して許されることではない。

「結果的に、暴走したならず者連中は特措法に触れることなく好奇心が満たされ、ファウンダーである芳野大輔も幼心に傷を負うことはなかった。みんなハッピー、WIN-WINってやつだな」

 小松は、世界の不条理に唾を吐くように、皮肉で言う。

 そのWIN-WINの中に、芳野優太は含まれていない。

 しわ寄せをまとめて押し付けられるように、ただ芳野優太だけが全員分の負債を背負っている。

 狂信的なまでの、献身。

「そういうヤツなんだ。あいつの献身性ってのは、私らの物差しじゃ測りきれん。こと、弟に関しては尚更な」

 小松から話を聞いて、その源泉もあるある程度アタリはついた。

 だが、それは、五十鈴にはどうすることもできないものだ。

 彼にとって、五十鈴はただの他人でしかない。

 歯がゆい。

 今でこそ、五十鈴と芳野優太は、彼の弟の安全を担保する目的での協力関係はあるが、自分にできることはせいぜい、保護責任者として彼に危害が及ばないように注意するくらいだ。

 彼の人生に、生き方に、干渉することはできない。

「小松さん、ありがとうございました。とても参考になりました」

 五十鈴は、テーブルから伝票を引き取り頭を下げる。

「ごちそうさま。NGPをよろしく頼むよ。あと、芳野大輔と、もちろん芳野優太もね」

「もちろんです」

 立ち去ろうとしたところで、小松がふと、「あ、そうだ」と声を上げる。

「ねえ、五十鈴さん。最後に一つだけ質問いいかな?」

「なんですか?」

 そして、小松は、今日一番の神妙な面持ちで五十鈴の目を見て、言う。

「もし心当たりがあったらでいいんだけどさ。なにか余ってる仕事があったら、紹介してくれないかな?」


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