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EPI.14 乙女の園へようこそ 後編

 それからほどなく、喜多と南井は丘塚学園寮を後にした。

 ともに門限が近く、バスの時間を考えるとそろそろ潮時だったそうだ。

 騒々しい二人が去って、小さな部屋の中にはユウタと万鈴の二人が残る。先ほどまでは気が付かなかったが、寮の壁は結構薄いようで隣の部屋の生活音や、日が暮れて活性化し始めた虫の声が聞こえるようになっていた。

「なんか、二人で話すの久しぶりって気がするね」

 万鈴が独り言のように言う。

 毎日のように話しているのに一体何を言っているのだろうと思ったけれど、最近の記憶を思い返して気が付いた。

 NGPが正式にスタートした頃を境に、女子生徒たちのドタバタに巻き込まれ万鈴とよく話すようになったが、彼女と話していたときはいつも周りに誰かがいた。

 確かに、二人で話すのは久しぶりな気がする。

 最後に話をしたのは、本当、ずいぶんと昔のことのようだ。

「丘塚学園に入ってからは、あまり話さなくなっていたからね」

「そうだね。なんでだろ」

 小学校を卒業し、万鈴が家を出るまでは毎日のように話していたのに、中学に進学したころから徐々にお互い距離を置くようになった。

 それは、例えばシンデレラの物語ように時計の針が12時を過ぎてカチリと切り替わるようなハッキリとしたきっかけがあるようなものではなく、雲がゆっくりと形を変えるように自然な流れでそうなったように思う。

 勉強が大変になってきたこと。万鈴の生活リズムが変わったこと。ユウタに同性の友達ができたこと。ダイスケがNGPに連れていかれ気分が沈んでいたこと。

 どれもがきっかけのようでもあり、どれもが言いわけのようでもある。

「ねえ、晩御飯どうする?」

「女子生徒ばかりの食堂にいくのも気が引けるし、一食抜くくらい大したことないから気にしなくていいよ。どうとでもなる」

「お風呂は?」

「女子寮には共用の大浴場しかないだろ。俺を社会的に殺す気か」

「ん-、じゃ、どっちも適当に何か用意するよ。私はまとめて済ませてくるから、帰ってくるまで適当にくつろいでて」

「わかった」

「……いちおう釘差しとくけど、机とかクローゼットとか、絶対に、絶対に、ぜーーったいに開けちゃだめだからね。開けたら本当に釘差すからね。ごんぶとの錆びたヤツ」

「お、おう」

 目が若干マジだったため、冗談でも開けないと心に誓う。

 両腕にバスタオルと着替えを抱えて共用エリアへ向かう万鈴を見送ると、ユウタは部屋の奥にあるただ一つの窓から頭を出し、外の様子を見渡した。

 万鈴の部屋は寮の三階だ。

 窓の真下には踏み台になるような物も支えになるような物もない。昔のハリウッド映画のクモ型ヒーローでもなければ外からの侵入は不可能だろう。

 だが、この学園自体に侵入すること自体は容易い。出入口はいくつもあり、門の施錠こそされるが乗り越えることはわけもない。

 寮のセキュリティもガバガバだ。万鈴の話によると、玄関は夜でも施錠されることはなく、そばにある管理人室も注意深く身を隠せばユウタでも素通りできるだろう。

 ダイスケが来るとしたら、夜、身を隠したうえで真正面からだろう。

 ユウタは先ほど万鈴が去っていったドアを見据える。

 サムターン錠に、チェーンロック。

 闖入者(ちんにゅうしゃ)をただ拒絶するだけならば十分な設備だ。

 だが、今日はそれでは意味がない。

 拒絶はできない。さりとて部屋へ招き入れればよいというわけではない。

 その矛盾を平らげるために、ユウタは今ここにいる。


 塗れた髪にバスタオルを巻いた万鈴が戻ってきたのはそれから小一時間ほど経ったころだった。

 はい、と手渡されたのは、丸いパンにハンバーグとサラダを挟んだお手製のサンドイッチだ。

 雑な仕上がりではあったが口に放り込んでみると思いのほか美味く、ほどほどに空腹感を覚えていた胃袋によく染みた。

 時刻は20時を回ったくらいだったが、万鈴は大きなあくびをもらし始めている。

「そういえば、寝る場所どうする?」

「俺は床で平気だから気にしなくていいよ」

「……あのさ、一応聞くけど、こっちのベッドで一緒に寝る?」

「いや、遠慮しておくよ」

 昔は一枚のブランケットを仲良く分け合って三人並んで昼寝したりもしていたらしいが、もう、そんな歳でもない。

 たとえ、姉弟だとしても15歳にもなって同じベッドで眠るのはおかしいだろう。男女同衾(どうきん)せずだ。

「そか。んじゃ、冬用の毛布だけ渡しておくね」

 注意深く細く開けたクローゼットから毛布だけ引っ張り出して、万鈴は早々とベッドへもぐりこんでしまった。

「もう寝るのか?」

「うん。寮の朝は早くて規則正しいからね。ずっとそれに合わせた生活続けてたら夜がこんなに早くなっちゃった。ユウタはさすがにまだ眠れないか」

「ああ、こんな時間だとまったく眠れる気がしないな。というか、今日俺がここにきている意味を考えると基本的に熟睡なんてしていられないんだが」

「あー、そうか。もともとそういう話でユウタここにいるんだっけか」

「忘れるの早すぎだろ。ニワトリか」

「じゃあ、私も一応頑張って起きていられるだけ起きているかあ。十時には消灯しちゃうからそこから先は自信ないけど……」

「いいよ。眠くなったら眠っちゃってて」

「ねえ、ユウタ。ダイスケくん、本当に来るのかな?」

「わからない」

 ――けれど、あのメールのやり取りと、ダイスケの脱走がまったくの無関係だとも思えない。

 考えても答えが出てくる類の問題でもない。

 だけど、何も考えなくてもあと数時間で答えは出る。


 薄いカーテン越しに大きな月が煌々(こうこう)と輝いている。

 夜の世界に文明の雑音はなく、独特のリズムを刻む遠い虫の鳴き声と、万鈴の細い寝息の音だけが定期的に聞こえてくる。

 ユウタはブランケットにくるまり、薄ぼんやりと瞳に映る天井を無為に眺めていた。

 本当に一食二食抜く覚悟はあったのだが、サンドイッチの差し入れをもらえたので空腹はあまり気にならない。

 その分、余計なことを考える余裕が生まれてしまっている。

 アイツは本当にここに来るのだろうか。

 ――いや、違う。

 来るかどうかなんて考えたところでどうしようもないのだ。

 考えなければいけないことは、ダイスケがここに来た時、自分はどうするのか。

 幼い記憶。

 というよりは、ずっと心のどこかにあった予感めいたもの。

 身体を起こし、ベッドに横たわる万鈴を見る。

 呼吸のたびに、薄いブランケットが胸元で上下している。

 あの頃と比べ背はあまり変わっていないが、しっかりと見ればあるべき場所に肉が付き、身体は大人に近づいているのがわかる。

「…………」

 世界の仕組みをある程度理解したころから、万鈴はダイスケと結婚するものだと思っていた。

 ダイスケはファウンダーで、国のみんなの希望の象徴で、よくできた弟で、万鈴が好きで、万鈴もダイスケのことをよくかわいがっていた。

 あの頃から数年が経つ。万鈴も、ダイスケも、まだ半分は子どもだが、もう半分は大人だ。

 今日、ダイスケは万鈴の夜這(よば)いに来るかもしれない。愛する一人の女性に会うためだけに、様々なリスクと障害を乗り越えてやってくるかもしれない。

 全ての障害を乗り越えた末に、ダイスケに組み敷かれる万鈴を想像する。

 ぎゅっと、肺が直接が締め付けられたような苦しさを覚える。

 感じたことのない気分の悪さだった。

 心臓が熱を持ち、吐き出す息にタールが混ざったような重苦しさを感じる。

 考えがぐるぐるとループして腹の底に重いものがたまっていく。

 居心地が悪くなり、ユウタはゴロンと寝返りを打つ。

 答えは、いつまで考えても出てこない。何を考えていたのかさえ分からなくなってくる。

 傷む胸を手で押さえる。そこは、いつかヨーイチに不可解なことを言われ、ずっとうずいている場所と似ている気がした。

 何度目かの思考のループに入ろうとしたところで、静寂に、ヒビが入った。

 コンコン、と。

 乾いた音が鳴る。扉をノックする音だ。

 思考の世界に浸っていたユウタにとって、突如響いたその音は一際(ひときわ)異質な存在感を放っていた。

 一瞬、幻聴かとも思ったが、気のせいではない。薄いドア一枚を隔てて、人の気配を感じる。

 ユウタは音を立てないように注意しながら立ち上がる。

 ドクンドクンと、心臓の鼓動が徐々に早くなっていく。耳の奥で、血が流れる音が聞こえる。

 万鈴を起こすか逡巡(しゅんじゅん)していると、再び、コンコンと扉をたたく音が響いた。

「…………」

 カチャリと軽い音とともに、ドアノブが回された気配がした。

 鍵はかけていない。もちろん、チェーンロックも。

 あとはドアを押すだけで部屋へ入ってこられるはずだが、ノブを回したまま外の人物は固まっているようだった。

 まるで、予想外の出来事に困惑しているような様子だ。

 押し入ってきたりするような様子はないが、立ち去るような様子もない。人の気配はまだ消えない。

 違和感を覚えた。

「ダイスケなのか?」

「――ッ!!」

 静寂の中、息をのむ声が聞こえた。

 女性の声だ。ダイスケではない。

 一歩後ずさる音と、カサリとした乾いた音がした気がした。

 ドアの向こうにいる人物を確かめようと一歩踏み出したところで、外の人の気配が動いた。

 ユウタはドアの前まで歩き、ゆっくりと開く。左右を見まわすが、人影は見当たらない。音もない。

 ――去った。

 ユウタの心臓はまだ早鐘(はやがね)のように鼓動を打ち、覚醒しきった瞳は見開かれていたが、肝心の万鈴は変わらず心地よさそうに寝息を立てている。

 ――あの気配は誰だったのだろうか。

 女性だ。少なくともダイスケではない。だが、ダイスケと全くの無関係とも考えにくい。

 今となっては分からない。

 ドアを閉め、今度はサムターン錠とチェーンロックをしっかりと施錠したうえでベッドの隣まで戻り横になる。

 ブランケットを肩まで引っ張り丸くなる。

 目は冴え、気分は昂っていたが、どこか懐かしいような香りに心だけはゆっくりと落ち着いていく。

 アドレナリンの活動が納まってきて落ち着いて考えをまとめられるようになったころ、ユウタはこの結果にほっとしている自分がいることに気が付いた。

 その感情の正体は当たり前のようでいて、捕えどころのないもののような気がした。


 翌朝、目覚まし時計のベルと同時に万鈴が起き上がる。

「ふぁ……。おはよう、ユウタ。ごめん、先に寝ちゃってたや」

「おはよう。まあ、そこは織り込み済みだったから気にしなくていいよ」

 結局、あれからユウタは一睡もできていなかった。

 だが、疲労感はない。身体がまだ興奮状態にあるのかもしれない。

 これは体が正気を取り戻した時にしんどいことになりそうだ。

「爆睡しといてこんなこと聞くのもアレなんだけどさ、昨晩何かあった?」

「来客はあったよ。ただ、ダイスケではなかったけれど、女の人。……たぶん女の子かな。声を掛けたら何も言わないままいなくなっちゃったから誰が何の用事できたのかは分からなかったけれど」

「マジ? ホラーじゃん。ってかダイスケじゃないって、だったら他に誰が来るっていうのさ」

「見当もつかないよ。結局顔を合わせる前に逃げられちゃったし」

「ってことは、ダイスケくんの手がかりゼロ? 振り出しに戻っちゃったのかな」

「いや、まったく無くなったというわけでもない」

「ん? どゆこと?」

「その辺については、とりあえず、朝ごはんを食べながら話そうか。ついさっき購買棟で買って来たパンがあるから一緒に食べよう」

「んー、なんか含みのある言い方だね。とりあえず分かった。顔洗って着替えてくるからちょっと待ってて」

 万鈴が洗面所へ向かい、ぱしゃぱしゃと水の流れる音と、後に衣擦れの音がする。

 しばらくして万鈴はラフな私服姿で戻ってきた。

 ユウタは薄茶色の紙袋から適当にパンを二つ手渡して、万鈴と二人小さなテーブルをはさんで向かい合う。

「今朝、万鈴が起きる前ね、このパンを買いに購買棟に向かおうとドアを開けたとき、気が付いたんだ」

 ユウタはポケットから一葉(いちよう)の白い紙を取り出し、万鈴へ差し出す。

「なにこれ?」

「それがドアの下に挟まってた」

 手紙のようだが、宛名も差出人も、当然消印もない。

 万鈴はそれを手に取り裏返す。

 拝啓 東雲万鈴様――

 差出人の名はないが、そこに書かれていた難解な一筆書きのような文字は、二人のよく知るクセ字だった。

 ダイスケから、手紙が届いた。


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