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EPI.01 14年後 前編

 

 二〇三四年 六月


 七日降り続いた雨が上がった。

 天候というものをどこで誰が管理しているのか知らないが、おそらく今年の梅雨前線の担当者はかなりずぼらであり、そのうえ、悪い意味で思い切りの良い性格だったに違いない。

 観測史上記録的に遅れていた梅雨入りだったが、6月の後半に入ると夕凪のように穏やかだった前半の帳尻を合わせるように、破滅的な荒天が続いた。

 つい一週間前まではのんきに笑っていた気象予報士たちも、先日の天気予報では手のひらを返したように深刻そうな顔で川の氾濫に注意を呼び掛けていた。

 実際に、行政対象外になっている西の地方では、大規模な洪水があちこちで発生して道路が冠水したという話も聞いた。

 この街でも、まるで天の川の底に大穴が開いたのではないかと思われるような土砂降りの雨が続いたが、まだ過去の治水が機能してくれていたようで、大きな被害が生じなかったことは不幸中の幸いだろう。

 滝のような大雨の中、『ついに真の終末が訪れた!!』と近所を練り歩いていたゴキゲンな人たちもいたが、当然、ふたを開けてみればいつもと変わらない日常が続いている。

 変わらない、日々。

 雨雲が通り過ぎた後の空は、高い。

 チチッとかすかな鳴き声とともに小鳥が木の枝から飛び立つ。揺れた枝からはねた雫がほほに落ち、芳野(よしの)ユウタは油に汚れた制服の袖でそれを拭った。

「よし、こんなもんかな」

 補修を終えたばかりのチューブを車輪に取り付け、カラカラと回し手ごたえを確認する。見たところ、フレームの歪みもなさそうだ。

 ユウタは立ち上がり尻についた砂を払うと、筋肉の凝り固まった腰に手を当て、大きく体を逸らせ、一息ついて視線を地面に下ろす。

 雑草に突き上げられ、あちこちがひび割れになった道路。数メートル後方の、まるで自転車の車輪に誂えられたようにちょうどぴったりハマるくぼみを、ユウタは恨めしく睨みつけた。

 もともとは整然とした並木道だったのだろうが、人の手から離れて十年以上も経った今は見る影もない。

 等間隔に並ぶ街路樹なども、四角くくり抜かれたコンクリートの隙間から枝を広げ、道路標識やバス停の案内を片っ端から飲み込んでおり、野放図に生い茂る様は一種の恐怖感すら覚える。

 ふと、背後にエンジン音を感じた。直後、薄いクリーム色のバスがセンターラインを大きくはみ出しユウタを追い越していく。この時間、ここを走るバスは駅から学園へ向かう通学用の一本だけだ。

 左手の時計に視線を落とす。アナログ時計の針は、朝型のユウタにとってあまり見たことのない時刻を指していた。

「……ヨーイチの部活はともかく、始業にまで遅刻するのはさすがにマズい」

 卸したばかりで違和感がある靴。つま先で地面を蹴りながら背中のカバンを担ぎなおし、ユウタはいつもより力強くペダルを踏み込んだ。


 神奈川県丘塚(おかつか)市。海と山に挟まれた地方都市。

 古くは宿場町として栄え今日にいたるまで永らく人の営みで賑わっている街だ。

 歴史の古い土地であり、それがゆえに再開発は遅れ気味であった。だが、十四年前の大災害と、その後行政管理都市に指定されたことをきっかけに大規模な区画整理を行った。

 その一環でできたのが街の主要地区を結ぶ循環バス道と、そこに隣接する丘塚学園だ。

 当時の物資不足は生活の基盤を脅かすレベルで深刻であったが、それを差し置いても若い世代のために投資したいという当時の市長の提案は、市議会の九割以上の賛同を得て承認された。

 次の世代への期待の高さが如実に表れた結果でもあり、また同時に当時の主力世代の“覚悟”が垣間見える結果でもある。

 JRの丘塚駅からバスで北へまっすぐ二十分ほどの場所に新設された学園は、大災害後に県下で施工された建築物としては最大規模のものとなった。

 総敷地面積一二,〇〇〇平方メートル。

 大きめの野球場がすっぽりと入る敷地には、中央にグラウンドと体育館が座り、それを両サイドから挟む形で向かって左手に中等部、右手に高等部の教育棟が建つ。

 広大な敷地に敷設されているのは教育施設のみではない。

 高等部教育棟の裏手には参考書はもちろん日用品から娯楽雑誌まで並べる赤い三角屋根の購買棟があり、さらにその奥に続く道を右手に進めば教職員用宿舎と二棟の生徒用の寮が並ぶ。分かれ道の逆側に少し歩けば、心身のケアを任せられる保健棟にたどり着く。

 教育棟は中高共に三階建ての鉄筋構造で、各フロアに教室が八部屋ずつと多目的室が二部屋が配備されていた。

 他にも、教員棟、プール、菜園、はてには養鶏場まで用意されている。

 慢性的に教師不足が悩みの種とはなってはいたが2022年の創立から十余年、総生徒数が二〇〇〇人を下回ったことはない巨大学園だ。

 ――まあ、とはいえ、その連続記録も今在学中の生徒らの世代を最後に途切れることになったのだが。


 駐輪所に到着したところで、ユウタは軽く息を整える。夏を感じさせる青臭い野菜の香りが鼻腔を刺激した。キョウの菜園が順調に育っているのだろう。

 時計台の針は八時と五分。

 校舎までは目と鼻の先であるため始業には間に合いそうだが、部活には大遅刻での到着だ。

「ヨーイチ、怒ってるだろうなあ……」

 ユウタの所属する三年Gクラスは中等部教育棟の一階突き当り、一番奥にある。

 重い気分を引きずるように上履きをぺたぺたと鳴らしながら長い廊下を歩く。自転車で上気した身体にとって空調のない教育棟は思った以上に暑く、ユウタはパタパタと顔を仰ぎながら教室のドアを開ける。

 ――瞬間。ザワっと女子生徒たちの視線がユウタに集中する。

 嫌な予感がしたが、ユウタはそれに気づかないフリをして自分の席へとと向かった。

 机の横にカバンをひっかけ後ろを振り返ると、短髪の少年が器用に椅子を傾けながらマンガ雑誌を読んでいた。かなり上背が高いほうなので女子生徒サイズに設えられた椅子がアンバランスで玩具のように感じられる。

 右耳が金色にきらりと光る。先週までは青色だったはずだが、どうやらまたピアスを変えたらしい。

「ごめん、今日はどうしても朝活に間に合わなくて」

「おう、待っとったで。待っても待っても来おへんから、首がニョキニョキ長くなってキリンさんになってまうところやったわ」

 予想はしていたが、声が少し不機嫌だ。ほとぼりを冷ますため、ユウタは別の話題を探す。

「レンは?」

「あいつは遅刻。ま、いつものことだね」

 横から別の声が答えた。

 机に突っ伏していたジャージ姿の少年が長いあくびをしながら顔を起こす。クセのある猫毛が机の形に押しつぶされている。

「おはよう、キョウ。今朝も早かったの?」

「うん。三時起き。クソみたいな天気が続いてたでしょ? おかげで、娘たちの世話に掛かり切りでさ。今日は昼まで寝るよ。起こさないでn……」

 言うや否や、彼は再び机に突っ伏してしまった。

 起こさないでと言っていたが、一度寝入ったキョウは目の前にカミナリが落ちても起こせない。

 ユウタは心の中で頭を抱える。いきなり、逸らす話題がなくなってしまった。

「で、なんか言い訳はあるか?」

 ピアスの少年が、雑誌から顔を上げてユウタに言う。

 この口の悪い少年がヨーイチこと小村洋一(こむらよういち)で、先ほどから早速寝息を立てているジャージ姿の少年がキョウこと植田鏡(うえだきょう)

 共にユウタの友人であり、また、この学園にたった四人しかいない希少な中等部の男子生徒でもある。

「なにも。全面的に俺が悪い」

「ほな、時間は少ないやろけどよろしく頼むわ」

「何枚?」

「30枚ってところやな」

「……期限は?」

「今日中によろしゅう」

 ヨーイチがドサリと封筒を渡してくる。……重い。

 ちらりと隙間から覗き見ると、緻密な絵がびっしりと書き込まれた紙の束が入っていた。

「いつもン通り、★印にベタを頼む」

 長雨が続いていた分、ある程度多くなるだろうと覚悟はしていたが、その覚悟の三倍くらいの量だ。

「小村先生、提案があります」

「なんや、藪から棒に」

「私の右手は30ページ分のベタを一日で仕上げられるほど頑丈ではありません。登場人物を全てジャガイモに変更することを提案します」

「そんなトンチキな作品誰が読むねん。却下や」

「ならばせめて締め切りを伸ばせないでしょうか」

「却下や。コンテストの締め切りは来月で、さらに再来月には夏コミもある。一日たりとも余裕はない」

「一身上の都合により今日付けでの退部を申請します」

 ヨーイチが無言でユウタの肩を叩く。

「この期に及んでちゃぶ台ひっくり返す度胸は買うが、もちろん却下や」

 ユウタは小さくため息をこぼす。

 自分の不注意が招いた事態だ。受け入れるしかないだろう。

 今が夏で良かった。陽が完全に落ちきるまでには帰れるよう、ユウタは心の中で誰かに祈った。


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