EPI.14 乙女の園へようこそ 前編
ユウタの母、石塚愛花と、東雲万鈴の母、大木春乃は、高校入学の日に同じクラスだったという縁でめぐり合って以来の親友であった。
お互い人当たりの良い性格であるため話も弾み、出会ったその日のうちに気の合う友人同士となったが、それ以上に奇妙な縁のようなものを感じていた。
誕生日が同じ。当然星座も同じ。カバンにつけていたお気に入りのキャラクターチャームも同じ。飼っているペットの名前も同じ。アイスは大好きなのにチョコミントだけが苦手なのも同じ。キノコ派なのも同じ。そして、初恋で好きになった男の子も同じ。
とある二月十四日、同時に告白し、同時にフられた日の晩は、マクドナルドのポテトを吐くほどむさぼりながら、互いに互いを慰め合った。
卒業の日、別々の大学へ進学することになり、当たり前のように顔を合わせる日常が最後になる日も、不思議と離れ離れになることへの不安のようなものは感じなかった。
どうせ、何かのめぐり合わせでまた嫌というほど顔を合わせることになるのだろうと、そう言った予感めいたものがあった。
それが、就職してからなのか、結婚してからなのか、あるいは老人ホームに入ってからなのか、分からない。だが、いずれにしろ大した差はないような気がした。
再会は、二十四歳になったばかりの元日だった。
そのころ、二人はともに結婚しており、石塚愛花、改め芳野愛花は変わらず地元の丘塚で、大木春乃、改め東雲春乃は大阪で暮らしていた。
神社の境内の前、新年のお参りを済ませて顔を上げたところで、隣にいた人物がよく知る友人だと気が付いた。そして、腕に抱いていたまだ赤ん坊だったユウタと万鈴を、お互い指をさしながら笑い合った。
何年ぶりかの再会に、思い出話に花が咲いた。自然、話題の中心は赤ん坊の話になった。
「この子たち同い年じゃん? もし旦那が浮気したらソッコーで縁切って実家に戻ってくる予定だからさ、その時はウチらの子たちも同級生になるかもね」などと嘯いていた。
それは、春乃の夫が誠実な人物であり、そうなる可能性は皆無であることを二人とも承知の上での、ありえない『もしもの話』であった。
――そして、大災害が起こった。
東雲春乃は、天井が崩落したスーパーマーケットで万鈴の乗ったベビーカーに覆いかぶさるようにして亡くなっていた。
まだ一歳になったばかりの東雲万鈴は災害を生き延びることができたものの、親族に罹災者が多かった不運も重なり災害孤児となった。
ありえないはずだった『もしもの話』は本当になった。
――春乃の娘は、私が育てる。
芳野愛花は、ユウタと万鈴、そして九か月後に生まれることになるダイスケを女手一つで育て上げた。
三人は血のつながった兄弟のように仲良く育った。
愛花もまた、三人の子どもたちに分け隔てなく愛した。ときには厳しく、ときには優しく、平等に愛情を注いだ。
ただ、それでも、愛花は万鈴に東雲の苗字を残した。
無論、排他的な意味ではない。ただ、春乃の大切なものを、――大切な人の大切なものを、万鈴に残したいと思ったからだ。
万鈴が芳野愛花のもとに来てから十二年後の春、十三歳になった東雲万鈴は、丘塚学園の学生寮で一人暮らしをしたいと愛花に告げた。
少しだけ大人びた万鈴の面影に、芳野愛花はどこか懐かしいものを感じた。
「良いって言うまで絶対に入っちゃだめだからね」
細く開いたドアの隙間からそう言って、万鈴はユウタだけ外に残しドアを閉めた。
「思った通りというか、やっぱりきちんと整頓された部屋ではなかったわね。こりゃ、ひと苦労だわ」
「あの、これはどちらにしまえばよいのでしょうか?」
「うわっ、万鈴マジ? そんなもん部屋の真ん中に転がってる部屋に男の子を呼ぼうとしてたの? マジ勇者か。怖いもの知らずか」
「ちっ、違う!! それは片付け忘れてただけで」
「これはいったい何なのですか?」
「そうよねえ、やっぱり萌香はこういうの知らないよねえ」
「その、すみません、流行みたいなものには疎くて」
「見ててごらん。これはね、ココを捻ると――」
「捻るなあ!!」
扉の向こうから漏れ聞こえてくる騒々しい様子を聴きながらもうしばらく時間がかかりそうだなとユウタが時間を持て余していると、廊下の向こうから思いも寄らぬ人物が歩いてきた。
「あれ、なんでユウタがここにいるの?」
「キョウ?」
大きなあくびを噛み殺しながら歩いてきたのはよく知るも意外な顔だった。
特徴的な猫っ毛がいつも以上にうにゃうにゃしている。一般的にはお昼を回っておやつの時間だが、この様子ではまるでつい先ほど起床したばかりのようだ。
「にゃはは、こんなところで奇遇だねえ」
「こっちのセリフだ。寮住みだったとは思うが、お前の寮は隣だろう。こっちは女子寮だぞ」
「ああ、今朝も明け方から部活やってたもんで寝不足でね。カノジョの部屋でお昼寝させてもらっていたんだ」
「は?」
「ほら、僕の部屋って南向きだろ。だから、この時期はどうしても暑くて昼寝には向かないんだよね」
「いや、そこじゃなくて。……キョウ、彼女がいたのか?」
キョウは質問の意図が理解できないという顔で口を開けて呆けている。
「うん、いるよ。あれ、ユウタ知らなかったっけ?」
もちろん初耳だ。
「そんな素振り、全く見せなかったじゃないか」
女子寮に住む子であれば当然同じ学園に通う生徒なのだろうが、普段のキョウがそういう女生徒と一緒に過ごしている様子を見たことがない。
「部活の後輩の子だからね。平日に会うのは基本部活の時だけだから、ユウタ達といる時間帯は一緒にいることがほとんどないんだよ」
「部活の子、ってことはひょっとして俺も知っている子か?」
「うん、会ったことあるはずだよ。ほら、前に園芸部の仕事手伝ってくれた時にも一緒だった、ユイちゃんとユカちゃん」
「えっと、どっちと付き合ってるんだ?」
「だから、ユイちゃんと、ユカちゃん」
もはや驚くことも馬鹿らしくなってきたが――。
「二人と?」
「うん」
どうやらこいつは二人と同時に付き合っているらしい。
「お前って寝てばかりのマイペースなタイプだと思ってたけど、実は一番破天荒なヤツなんじゃないか」
「っていうか、そういうユウタだって。ここにいるってことは女の子に会いに来たってことだろ? それに、最近は複数の子と毎週デート三昧みたいじゃないか」
「俺のは、違うよ。お前みたいにちゃんとしたやつじゃない」
「ちゃんとしたやつ、ってのの意味は分からないけど、ユウタはデートしてて楽しくないの?」
「楽しくない、わけじゃないけど」
「じゃあ一緒だよ。この前紹介したお店とかさ、良かったでしょ。駅近くのレトロなお店」
「ああ、コーヒーを出しているところだろ。俺にはコーヒーの良さはよく分からなかったけど、お店は居心地がよかったよ」
「ありゃ、それも言いそびれてたか。あそこのおばあちゃんね、まともにコーヒー淹れられないから基本的には食事を楽しむためのお店だよ。おすすめはタマゴサンド」
またも初耳である。あの時注文を取りに来た老婦人が難しい顔をしていたのはそういうことか。
「なんでまともにコーヒー淹れられないのに喫茶店なんてやってるんだよ……」
「もともと夫婦二人で長年やっていた喫茶店で、そっちは旦那さんの担当だったんだよ。奥さんは料理専門。でも、大災害で旦那さんが亡くなって、それでも今でもお店を元のままで維持したいってことで、メニューもそのままにたった一人でも喫茶店を切り盛りしているんだ」
後からそういう情報を小出しにするのは勘弁してくれ。つい十秒前に自分の口から吐いた言葉に心をぶん殴られて自己嫌悪に陥りそうになる。
「もしかして、普段から寝ながら会話しているんじゃないか」
「にゃはは、そうかも。思い当たる節はあるよ」
けらけらと笑いながら、キョウは階段のほうへ歩いていくが、ふと、足を止める。
「あ、そうだ。今度は言い忘れる前に一つだけ」
「どうした?」
「わざわざ言うまでもないことかもしれないけれど、僕らはここ女子寮じゃ異分子だってことを忘れないようにね」
「もちろん、わきまえているよ」
ユウタは頷く。言われるまでもなく、目立つような行動をするつもりはない。
ユウタたちは体質的に、絶対に『事故』が起こらないから見過ごされがちだけど、女子寮に男子生徒がいることは当然望ましいことではない。
喜多も最近になり男性慣れが進んできたためうっかり忘れそうになるが、一般的にはまだまだ男性が苦手な女子生徒も多い。
「ならいいや、うまくやりなよ」
キョウはそれだけ言うと、大きなあくびを噛み殺しながら階段を下りて行った。そして、玄関をくぐり抜けたところでボヤっとしていた頭がようやく覚醒してきて、首をひねる。
先ほどユウタへ言った言葉、正しく伝わっていただろうか。
どうにも誤解されていた気がする、とキョウは思う。
この時代を足掻く男性として生きるために大切なこと。
(僕らはここ女子寮じゃ異分子だってことを忘れないようにね)
『異分子であることを忘れられないようにするんだよ』、という意味が。