EPI.13 手がかり 前編
五十鈴らが去ったあと、かんきつ亭ではしばらく沈黙が続いていた。厨房の奥でミカンちゃんが何かをくつくつと煮込んでいる鍋の音だけが、手持無沙汰な時間を埋めている。
無責任な気休めも軽々しく口にできないような居心地の悪い空気であったが、最初に沈黙を破ったのは万鈴だった。
「で、どうするの?」
「どうするって?」
言葉の意味を図りかねてユウタが聞き返すと、ヨーイチがフンと鼻を鳴らしながらユウタの手元を指さした。
そこでは所在のなくなった心情を表すように、一枚の名刺がいつまでもくるくる回されていた。
「弟くん、探すんかってことじゃ」
ユウタの腹は決まっている。だが、それをここで問いただされる心当たりがまるでなかった。
「俺なりに探すつもりだけど、どうして?」
「一人でか?」
「もちろん」
ヨーイチがユウタの頭をはたく。
「あいた」
不満そうにユウタが顔を上げると、嫌悪感をあらわにしたヨーイチの姿があった。
「ユウタ、ちょっと前に話たこと、覚えとるか?」
「話したことって?」
「お前の形はなんぞやって話や」
覚えている。つかみどころのない抽象的な話ではあったが、やけに心に残って、時おりぶり返すようにモヤモヤした気分にさせられていた。
「あんまり口出しするつもりもなかったけど、折角やから一言だけ言わせてもらうわ。お前の性分は知っとるつもりやけどな、そういうところが輪郭ぼやかすことになる原因やぞ」
「あー、わかる。ユウタってそういうところあるよね」
万鈴はヨーイチに同調し頷いているが、当の本人には相変わらず霞をつかむような話のように思えて理解が全く及ばない。
「ってことで、ワシらも協力するから。ええな?」
「でも危険が――」
「無論、承知の上や」
被せるようにヨーイチが言う。
ユウタはさらに食い下がろうと口を開くが、言葉が形になることはなく、そのまま口を閉じた。
その様子を見ていた南井が場を取り繕うように言葉をつなぐ。
「でもさ、実際どこから手を付ければいいのか見当もつかないよね。おうちでもなくコミュニティでもないんだったら、いったいどこにいるんだろう」
「…………」
その疑問に答えられる者は一人もいなかった。
――いや、一人だけその問いに答えようとした人物はいたが、結果それはヨーイチに遮られる形になった。
「餅は餅屋って言うし、ここは失せもの探しのプロに頼るか」
「プロって?」
「もちろん、あのアホや」
その言い方で、ユウタはピンときた。人好きのする気の抜けた顔が脳裏に浮かぶ。
「あの……、さっきのNGPの職員の方は、箝口令につき他言は無用って……」
おずおずと喜多が口をはさむが、ヨーイチは鼻で笑いながらスマートフォンの番号をプッシュした。
「知らん。そもそも、ワシらをハナから子ども扱いしとったことが気に食わん」
数度のコールの後につながる。スピーカーの向こうから駱駝を思わせるような間延びした声が漏れ聞こえた。
『もしもーし。どうしたの、こんな週末の昼間から』
「おう、ワシや。実は、最優先で依頼したい案件が出てな。今すぐコミュニティ来れるか?」
『いいタイミングだね。今ちょうど一仕事終わったところだから大丈夫だよ。場所も近いから十五分くらいしたら行けると思う。なにかあった?』
「あったあった。大ありや。お前にしか頼めん仕事やで。かんきつ亭で待っとるから、なるはやでよろしゅう」
一方的に言いたいことだけ言って、ヨーイチは電話を切る。
「ってことで、ミカンちゃん。お茶と菓子、アホの分も加えて6人前追加で」
「はいはいよろこんでー。なんだか込み入った話になりそうだったら奥のお座敷使う?」
「それもそやな。こんな人数でワイワイやっとったらほかのお客さんの迷惑にもなりそうやし、折角やし使わしてもらおか」
言うが早いか、ヨーイチは一人だけ席を立ち店の奥へと入っていく。
ユウタたちも慌てて後を追おうと支度を始めたところで、
「ねえ、ユウタ」
と、控えめなボリュームで声をかけられた。
「負い目とか、感じてる?」
万鈴だった。
「――どうだろう。そんな風に、少し申し訳なく感じている気もするし、純粋にみんなの優しさにうれしく感じている気もする。予想外の話が立て続けに飛び込んできたから混乱しているのかな、自分の感情がよくわからなくなっている」
ユウタは、先ほどから思考が散漫になっていることを自覚していた。そのせいか、自分の気持ちが分からない。
だが、心の奥底に原因不明な後ろめたい気持ちが芽生えていたことは確かだった。
不意に、万鈴が手を差し出した。
「?」
ユウタはわけもわからず、その手を取ると、ぐいっと体ごと引っ張られた。それは、自分より頭二つ分ほど小さな体躯の少女に引っ張られたとは思えないほどの力強さだった。
思わずよろめきながら万鈴にもたれかかる格好になると、そのまま背中に手を回され、抱きしめられた。
「心配いらないよ」
ユウタは何も答えられない。
「たまにはさ、お姉ちゃんを頼ってよ」
万鈴はそれだけ言うとあっさりとユウタから離れ、さっさと店の奥へと歩いて行った。
あっけにとられ、ユウタは視線だけでその後ろ姿を見送る。
「…………」
背中にはまだ彼女の手のぬくもりが残っていた。
彼女の言葉の意味は分からない。行動の意図も分からない。先ほどの問いかけに対する明確な答えも、まだ見つからない。
けれど、不思議と心だけは軽くなったような気がした。