EPI.12 ランチタイム
不機嫌そうな顔で乱暴に食事をする部下の姿を見て、この子は本当に犬のようだなと思いながら、五十鈴はご飯を乗せた箸を口へ運んでいた。
「あー、めっちゃ腹立った。不祥事だの、隠蔽だの、先輩、あんなクソガキに好き勝手言われてよく我慢できましたね」
「私が何年所長の無茶ぶりに振り回されてると思ってるのよ。あれくらい、所長への決裁報告に比べたらティータイムの雑談みたいなものよ」
五十鈴と赤木は一度ホテルに戻り、遅めの昼食を摂っていた。
お互い手に持つのは先ほどテイクアウトしたカツ丼だ。
コミュニティの情報屋へのパスを開く符丁として注文しただけだったのだが、思いのほかしっかりと調理されていて満足度が高い。
「……先輩、それってもう脳が壊れてるとかじゃないですよね。痛みとかちゃんと感じ取れてます? 私は心配です」
「失敬な、いたって健康よ。それに、腹が立ったとかなんとか言ってるけれど、あなたはどちらかといえば本音は彼に近いでしょ。NGPのやり方には思うところもあるんじゃないの?」
五十鈴に箸で指され、ぐぬっと赤木は言葉に詰まる。
「私ももう大人ですからね。仕事と私情は切り離してます。割り切ってます。あの子の言っていることは理想論ですよ、理想論。そんなものを現場を回し続ければ、現実とのひずみがだんだん大きくなっていって、いずれはぱちんと破綻しちゃいます」
「そう? 私はそれもアリかなあと思いながら聞いていたけれど。NGPの悪い部分をぜーんぶさらけ出して一度大炎上させるのも悪くないかもって」
「先輩の口からそんな怖いこと言わないでくださいよ。そういうことを言うのは私の役目で、それを止めるのが先輩の役目なんですから」
「そんなの決まってないでしょ」
「私の楽しみを取らないでください」
赤木の言葉に、五十鈴はけらけらと笑う。あまり表情を表に出さない彼女にとって、それは少し珍しいことのように赤木は思った。
「先輩、なんだか機嫌よくないですか?」
「若者の気にあてられたのかしらね。さっきの彼らが青春っぽい雰囲気だったから、ちょっと気持ちが若くなっちゃった気がするわ」
五十鈴は口の端を上げて笑う。
事実、五十鈴は若者らの熱量を目の当たりにしてどこか懐かしい感情がうずくのを実感していた。気持ちが、昂っているのがわかる。
「青春かあ」
赤木が、独り言のようにつぶやく。
「懐かしい?」
「懐かしい、というより羨ましいですね。私は、ティーン時代に同級生の男性なんてどこにもいなかったし、絶賛復興の真っ最中だったしで、そんな雰囲気ほとんど味わえなかったんですよねー。学生デートとかマジ羨ましいです」
「さっきの子たちも、たぶんそれっぽかったわよね」
「先輩はどうだったんですか? 学生時代とか。先輩のころはまだ同級生に男の人がいた時代ですよね」
「私も、そのころは勉強ばかりだったからなあ。青春なんてキラキラしたようなものとは無縁だったわよ」
「でも、男子生徒はいたんですよね。同級生に」
「まあ、そりゃね」
「ぶっちゃけ、先輩って男の人と付き合ったことあるんですか?」
「見て、赤木さん。あの雲、威嚇しているハダカデバネズミに見えない?」
「……露骨も露骨に話題を逸らしましたね」
五十鈴はふふっと笑う。
「そんなに若者ばかりを羨む必要もないと思うわよ」
「そうですかねえ」
「もう私たちは成人しているし青春ってガラでもないけれど、今のこの時間だって、若人の青春時代に負けず劣らずキラキラした時間だと私は思うわよ」
「先輩……」
赤木は真っすぐな目で五十鈴を見る。心なしかその瞳はいつもより光が強いように見えた。
「それって、すっごく恥ずかしいこと言っていますよ」
「あなたも三十路を越えたらわかるわよ。いい大人になると、堂々と恥ずかしいこと言えるようになるもんだなって」
「うー、なんだか怖いような、頼もしいような」
「私の価値観だとあまり実感わかないんだけれど、青春時代ってそんなに大事なものなの?」
「はいです。超はいです。人生の大切な部分が欠けちゃってるような気分で悔しいです」
「足しになるかどうかは分からないけれど、青春気分を味わいたいなら映画を観るといいわ。特に二十年から三十年くらい前の恋愛映画がいいわよ」
「先輩、映画とかよく見るんですか?」
「昔から定期的にね。映画ってのが人類の娯楽の集大成だと思っているくらいには好きよ」
「映画かあ。余計におなかがすきませんかね」
「そこはうまく折り合いをつけてね」
ピコンと、机に置かれていたノートPCからアラートが鳴る。
「お、きたかな」
「さっきのメールですか? さすが総務省。お仕事が早いことで」
「この早さだと、たぶん警察庁からのメールそのまま転送しているだけでしょうね。ま、それで十分なんだけど」
五十鈴は右手一本で器用にメールを開き、本文に一切目を通すことなく添付されていた画像データを拡大する。
「これが、緋梅会のボスですか」
「らしいわね。名前は、珠洲。珠洲初美」
そこには、複数の女性がどこかの料亭で会食しているらしい写真と、一人の人物にフォーカスした写真の計二枚が映っていた。
長い黒髪に、左頬のアザ。そして、荒い画像データからでもはっきりわかる程の美貌。
五十鈴はその顔を、たとえ新月の夜に見かけたとしても見落とさぬよう、しっかりと脳の海馬に刻み込んだ。