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EPI.10 語られないほうの歴史

 太陽がてっぺんに近づき、胃袋が空腹感を覚え始めた頃、ヨーイチが昼食に案内した場所は純和風の店構えをした古い食堂だった。

 店の引き戸を開ける前から、香ばしい出汁の香りが鼻腔(びこう)を刺激する。表の大きな木の看板には『かんきつ亭』と、店の雰囲気からはややかけ離れた店名が掲げられていた。

 カラカラと軽快な音を立ててドアを開けると、割烹着姿の優しい笑顔に出迎えられた。

「いらっしゃい」

 聞こえてきたのは今朝聞いたばかりの声だ。

「こんにちはミカンちゃん」

「あら、お洋服それにしたのね。いいじゃない、甚平(じんべい)。涼しげで。男前が上がっているわよ」

「ありがとうございます」

 紺色の甚平を身に着けたユウタは少し照れながら頭を下げる。慣れない和装ではあるが動きやすく風通しもよいため非常に快適だった。

 後ろに控える万鈴たちも、ミカンちゃんのお墨付きを貰えてコーディネータとして満足そうに顔を見合わせていた。

「匂いにつられて急におなかが空いてきちゃった。早く食べよう」

「オススメとかありますか?」

 万鈴の問いかけに注文を取りに来ていたミカンちゃんはペンをくるくると回しながら考える。

「特に好き嫌いがなければ日替わりランチがオススメかしらね。今日は焼き魚定食だけど、ほかに食べたいものがあったらリクエストして頂戴。和食だったらだいたい準備できるわよ」

「あ、じゃあ私それでー」

「私も。ユウタもそれでいいよね」

「うん」

「では、私も同じものを」

「ワシはざるそば頼むわ」

「じゃあ、日替わり定食四つとざるそば一つで」

「はい、よろこんでー。少し時間がかかると思うからお喋りでもしてゆっくりしていてね」

 伝票を割烹着のポケットにしまい、ミカンちゃんはカウンタの奥へと戻り、手際よく料理の準備に取り掛かる。

「で、どうやった。デートは楽しかったか?」

 喜多に注がれたばかりの水の入ったグラスを口に運びながら、ヨーイチが言う。

「これがデートだったのかは分からないけれど、楽しかったと思うよ」

 そう言ってユウタは贈られた甚平の袖を撫でる。

「少なくともデートではなかったと私は思います」

 喜多が恨めし気な目でヨーイチを見る。

「まあね」

「でも、私はすごく楽しかったなあ。思わぬ収穫もあったし」

 言って、南井はグラブの入った紙袋を掲げる。

「確かに、新鮮な気分になれる場所だった」

「私はたぶん、今度は一人でもリピートする」

「あら、若い女の子たちにそう言ってもらえると嬉しいわ。ウチはいつでも歓迎するわよ」

 ミカンちゃんがフライパンをゆすりながら遠くで言う。

「私、Y-COMってもっと怖いところだと思っていました」

「私も。あんな物々しいフェンスに覆われてるんだもん。普通身構えるよね」

 言われてみればそうだ。

 昔からそれが当たり前だったから気にしたことがなかったけれど、ここはどうしてあのようなフェンスで隔離されているのだろうか。

 特に治安が悪い場所でもないし、もちろん危険な動物がいるわけでもない。手つかずの廃墟はあるが、それはほかの地区でも同様で、災害リスクが特別高いわけでもない。

「フェンスとか全部取っ払って、もっと女性受けのいいアピールしたら人の出入りも増えて色々活気が出ていいんじゃないですかね」

「それもいいかもしれないわね」

 ミカンちゃんは、彼女らの言葉を否定することなく受け入れる。

 トントントンと、リズミカルに包丁がまな板を叩く音が響く。

「そもそも、なんであんなので囲ってるんですか?」

「それはもちろん、コミュニティを守るためよ」

「守るって、何からですか?」

 万鈴の問いに、ミカンちゃんは優しい顔のまま、「そうねえ、若い子たちにうまく伝わるかどうか分からないけれど、敢えて答えるなら、やり場のない気持ちから、かしらね」と言った。

「やり場のない気持ち、ですか?」

 予想外に抽象的な答えに万鈴らは困惑する。

「お魚が焼けるまでもう少し時間がかかるから、若い子たちのためにちょっとだけ昔の話をしましょうか。私たちが、ここにコミュニティを立ち上げた頃のお話」

「やった、ミカンちゃんの昔の話とか超面白そう」

 女子三人組はウキウキ気分で身を乗り出す。一人、ヨーイチだけがミカンちゃんに視線を向けることなく黙って水を飲んでいた。

「期待させちゃったかもしれないけれど、たぶんそんなに楽しい話じゃないわよ」

「このコミュニティができたのって、やっぱり大災害のあとなんですか?」

「ええ、そうよ。もう、十何年も前の話になるのかしらねえ」

 万鈴たちに向けて語られた言葉であったが、それは彼女の独り言のようでもあった。

「今更改めて言うことでもないけれど、大災害が起こったあの日、世界中の男性の睾丸が爆発したわ。だけど、例えば私なんかはね、その頃すでに身体の『工事』が完了していたから直接的な被害に遭うことはなくて、生まれが男性性でありながら大災害を生き残ることができたの。そんな、大災害を生き延びた男性のうち行き場を失った人たちが一人一人と少しずつ集まっていって、――それが、ここの始まり」

「さっきのお店の人は男性ですよね? ミカンちゃんみたいな事情もなさそうだと思うですけれどどうやって大災害を乗り越えたのでしょう?」

「彼の場合はケガね。若いころにバイクでちょっと大きな事故に遭ったのが原因。ほかにも、病気なんかで睾丸を摘出したなんて人も、たぶんたくさんいるわ。ま、理由は人それぞれね」

「たくさんと言っても、当時の男性の数からしたらごく一部なんですよね?」

「そうね。何千人か、あるいは何万人かに一人ってくらいの割合かしらね。生まれつきの病気だったり、後天的な事故だったり、ここには何かしらの不幸で真っ当な男性ではなくなった人がたくさんいる。でも、人生不思議なものよね。こういうのも災い転じて福となすというべきなのかしら。そんな境遇の人間だけが大災害を生き残れたんだもの」

「命を懸けた宝くじに当たったようなもんじゃん。どう考えても強運でしょ」

「そうね、私たちは奇跡みたいな確率で災害を乗り越えられた。――だけど、私たちが本当に大変だったのは災害の後だったの」

「後、ですか? 災害で直接的なケガを負った人はいないのではなかったのですか?」

「大変だったのはケガじゃないわ。もっと別のこと。――私たち、元男性に対しての世間の風当たりが極端に悪化したのよ。それこそ、街を歩いているだけで、文字通り石を投げられるほどに、ね」

「えっ」

 ユウタは目を丸くする。そんな話はどこでも聞いたことがなかった。それは万鈴たちも同じであったらしく、同様に色を失っている。

「そんな、どうしてそんなことになるんですか?」

 喜多が困惑した声で聞き返す。

 彼女の場合、自身が男性恐怖症であるため、恐怖対象である男性が逆に虐げられていたという話は価値観が根底からひっくり返るような話なのだろう。

「災害で被害を被ったのは睾丸を持っていた男性だけじゃないわ。多くの女性も二次的な被害を被った。運悪く男性のそばにいた、というだけで亡くなったり、取り返しのつかないケガを負ってしまった人もたくさんいたわ。なぜこんな理不尽な目に遭わなければいけないのだろう、なんていうやり場のない怒りや悲しみや喪失感の矛先が向いたのが、私たち、『生き残ってしまった男性』だったの」

「だから、どうして……」

「彼女たちはみんな、口をそろえて言っていたわ。『あなたたち男性がいなければ、こんなことにはならなかったのに』って」

「おかしいよそんなの。どう考えたって男の人が悪いわけじゃないのに」

「そうね、災害は災害。誰かの意思や悪意とは関係がないもので、決して誰のせいでもない。たぶんみんな、理屈で考えればおかしいことだってのは本当は分かっていたと思うのよ」

「だったら――」

「だけど、当時はまだ大混乱の中にあって、今みたいに生活にも心にも余裕がない人も多かったの。そんな人たちは、限界まで軋んでしまった心が壊れないように、無理やりにでも気持ちをどこかに押し込める必要があったのよ」

 大災害のあとの暮らしについては、母や教師から何度も聞かされていた。物資は少なく、人手もなく、ただ生きるだけのことが苦労の連続だった、と。

 ただ、思い返してみれば、その話の中にミカンちゃんたちのような大人の男性が出てきたことはなかった。

 それは、ただ彼女たちの視界に見えていなかったからなのか。あるいは、――ただ語りたくなかっただけなのか。

「結果、その矛先として向かったのが、私たち元男性だったの。社会から孤立していたから、目につきやすかったのかもしれないわね」

「そんな……」

 どちらにしろ、当時成人男性だったコミュニティの人たちには、彼女らとは全く違う別の景色が見えていたに違いない。

 そしてそれは、たぶん今の時代を生きるユウタらには想像することすらできないような世界だったのだろう。

「だから、私たちは互いに身を寄せ合った。自分自身を守るために、助け合うためにね。それが、私たちY-COMの原点よ」

「その、すみません、私そんなこと全然知らなくて勝手なこと言って……」

「謝らなくていいのよ。あなたたちには何の責任もない昔話なんだから」

「でも、知らずに皆さんを傷つけてしまっていたかもしれません」

「ほんとう、優しい子なのね」

 ミカンちゃんがそう言うと、喜多は泣きそうな顔になり目を伏せた。

「大災害ではみんな大なり小なり何かを失い、決して癒えることのない傷を負ったわ。だから、『私たちのほうがひどい目に遭った』なんていう不幸自慢にはなんの意味はない。だけれど、たとえばいつの日か、このコミュニティが解散して区画を囲うフェンスが取り払われたときに、Y-COMに生きる人たちがそういった傷を負っているっていうことを若い世代の子たちが覚えているだけで、変わる未来もあるかもしれない。今話題のファウンダーの子たちも含めて、若い世代にばかり負担をかけるのは一人の大人として申し訳のない気持ちしかないけれど、あなたたちには期待しているわね」

 そして、お待ち遠様、と言い、ミカンちゃんは食欲をそそる匂いを立ち昇らせるお膳を並べていく。

「さ、召し上がれ」

 神妙になった空気を振り払うように一際明るい声で言って、ミカンちゃんは胸を張る。

 それを追いかけるように万鈴のおなかがくるると鳴って、みな一斉に顔を崩し、それぞれのペースで食事に箸を伸ばした。

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