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10◆空より

 何度も夢に見た、最悪の結末――。


 クラウスの弱さがアルスを死に追いやる。

 ダウザーを止める手立ては何もない。

 ただの人間が太刀打ちできる存在ではないのだ。


 それはこの屋上に散らばる無力な人々が証明している。

 クラウスも同じだ。アルスを護ることができない。


 精霊であるエンテが一体ではダウザーを抑えるのは無理だ。エンテまで消滅してしまうかもしれない。


 アルスを護ることができないのなら、共に死ぬしかなかった。絶対に一人にはしないから――。

 けれど、そんなことを考えた途端にナハティガルに叱責されたような気がした。なんのためにアルスを託したと思っているのだと。


 ナハティガルには申し訳ないけれど、クラウスに何ができるだろう。アルスの手を握っていることくらいしか思いつかない。


 それでも、クラウスはアルスの前に立つしかなかった。アルスはクラウスに駆け寄り、そしてクラウスの手を取った。

 二人、考えたことは同じらしい。こんな時なのに、それが嬉しくて心が震えた。


「お前が私からクラウスを奪ったんだ。返してもらうのは当然だろう? クラウスの居場所はそっちじゃない。私の隣だ」


 アルスがあまりにもはっきりと言い放った。その度胸には感服してしまうけれど、話が通じる相手ではない。


 クラウスはアルスの手を強く握り締めて庇った。それをダウザーは鼻で笑う。


「向こう見ずなところは少しも変わらないようだな。それならば、精々楽しませてもらおう」


 ダウザーから、水にインクを落としたような黒色(こくしょく)が滲み出してくる。


 たった二年でクラウスさえ魔に染まったことで力を得たのだ。何十年と体に染み込んでいるダウザーの力は、これまでのクラウスに見せた以上のものであるかもしれない。底が知れなかった。


「エンテ、アルス様を護ってくれ!」


 ラザファムがエンテに頼むけれど、アルスはエンテまで消滅してしまうようなことは望んでいない。


 ダウザーの濃い魔力が目視できる。クラウスは、自分の血の気が失せていくのを感じていた。

 一瞬で骨も残らず消えるだろうか。


 そんなふうに思った時、ダウザーが支配している空に切れ目ができた。それは、ダウザーでさえ不測の事態であった。


 そこに現れたのは、同じく青白い肌に黒い髪をした魔族――。


 艶やかな黒いドレスと、青みがかった花飾りを髪に挿したイルムヒルトがダウザーのそばに現れたのだ。


 魔力で描いた陣の上に立ち、隣からダウザーを咎めるような目を向けている。


「イルムヒルト様。何故このようなところへ……」


 ダウザーが心を乱したところを初めて目にしたと言ってもいい。今、ダウザーは僅かながらに動揺していた。


 イルムヒルトはダウザーの問いかけに答える前に、砦の上に立つクラウスに目を向けた。そこに浮かぶ感情は、ダウザーとは違った。


 イルムヒルトには自分を裏切ったと言えるクラウスに対する怒りが見えない。代わりにそこにあるのは、憐みだろうか。


「話を聞いたのです。あなたがクラウスを連れ戻しに行ったと聞き、追いかけてきました」


 落ち着いた声だが、有無を言わさぬ凛とした響きがある。

 その場の誰もがイルムヒルトの存在に戸惑っていた。曇天とはいえ、魔の国(ラントエンゲ)よりは明るい空の下で見るせいか、イルムヒルトの肌は紙のように白い。


「彼を殺すなと仰るのですか? イルムヒルト様がそこまで彼をお望みでしたら、仕方がございません。生かしたまま連れ帰ります」


 ダウザーらしくないとクラウスは思った。イルムヒルトを諭すのではなく、従う姿勢を崩さない。

 けれど、イルムヒルトは首を横に振った。


「いいえ、クラウスのことは諦めなさい。さあ、戻りますよ」


 イルムヒルトはそう言ったのだ。

 クラウスのことは諦めろと。


 魔王候補として、自らの夫として、クラウスを除外すると。他の候補者三人のうちから選び直すということなのか。


 クラウスが瞠目していると、イルムヒルトはもう一度だけクラウスを見た。やはりそこにあるのは彼女の持つ優しさだった。


 静かに心を包んでくれる深い闇夜。

 本当に愛する人の手を再びつかんだクラウスに対する労りが、イルムヒルトの心にはあるような気がした。


 魔王の娘であるのに、彼女の心はいつでも清らかだった。


「しかし――」


 承服しかねるとばかりにダウザーは口を開きかけたが、それよりも先にイルムヒルトを支えていた浮遊の陣が霧散するように薄れた。


 ダウザーはとっさに手を伸ばし、イルムヒルトの体を支えた。


「イルムヒルト様!」


 イルムヒルトはその呼びかけに答えなかった。意識がないのかぐったりとしている。


 ダウザーは表情を歪めると、イルムヒルトを横抱きに抱え直し、クラウスに鋭い一瞥をくれてから転移魔術を使った。

 その場から二人が消える。空が明るくなったように感じられた。


 魔族たちがいなくなり、力が抜けたのかアルスもその場にへたり込んだ。

 クラウスはまだ、今起こったことを正しく理解できている気がしなくて呆然としたままだった。


 けれど、ラザファムの声で我に返る。


「クラウス、まだだ! 気を抜くな!」


 ダウザーという最大の脅威は去ったけれど、ダウザーはそのまま立ち去るのでは怒りが治まらなかったのだろう。

 翼を持った魔獣が新たに飛来した。


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