8◆大事な話
ラザファムは、自分がエクスラーに説明するからと言い、アルスを別室へ追いやった。そして、クラウスもその場から外された。
アルスを一人にしないための配慮なのか、クラウスがいると話しづらいこともあるのか、多分その両方だろう。
ここは砦であって貴族の屋敷とは違うけれど、貴人を受け入れるための部屋はどんな要塞にもある。ただし、侍女は連れてこない限りはいないので、最低限度の身の回りのことは自分でしなくてはならないのだが。
兵士に案内され、アルスは宿の部屋よりもずっと広い貴賓室へ移る。クラウスは中までつき合ってはくれず、入り口から声をかけた。
「荷物は置いておくし、外にいるから用があったら呼んでくれ」
入り口にアルスの荷物を下す。アルスはすかさず、まっすぐに視線を向けてクラウスを呼んだ。
「クラウス」
「うん?」
クラウスがその先を待つ。アルスはもう一度呼んだ。
「クラウス」
「どうしたんだ、アルス?」
不思議そうに首を傾げるクラウスに、アルスは顔をしかめた。
「用があれば呼べと言ったのはクラウスだろう」
「そうだけど、用件は? 喉が渇いた?」
クラウスは、困ったように首を捻っている。わざと言っているのかというくらい、伝わらない。
アルスはソファーに座ると、隣を叩いた。
「こっちに座ってくれ。大事な話をしよう」
「……うん」
扉を閉めずに来た。
婚約者同士と言っても結婚前だからか。まあいい。
アルスはクラウスの手を力強く握りしめた。クラウスの方が驚いたような顔をする。
「この二年間の事情をクラウスがどこまで把握しているのかは知らないが、私は婚約を破棄したつもりはない。リリエンタール公がクラウスを家に戻さないとしても、クラウスが家に戻るのを嫌がったとしても、それは変わりない。そういうつもりじゃなかったら、私は追いかけたりしないからな」
クラウスは無言のままアルスを見つめていた。握り返してくれないけれど、手はあたたかい。
「私は、クラウスにもそのつもりでいてほしい」
これを言われて、クラウスは喜んでいるようには見えなかった。そのことに少し傷つく。
ただ、クラウスの方が余程傷ついて見えた。
「俺はいつでも心だけはアルスに捧げた。でも、状況はそう簡単なことではなくて」
「だから、リリエンタール公のことなら気にしなくていい! たとえ姉様やベル兄様が反対したとしても、何年かかったって説得してみせる。クラウスが私にしてくれたように、今度は私がクラウスを護るから」
アルスが懸命に話せば話すほど、どうしたわけかクラウスを困らせていた。
「アルス、違うんだ。そういうことじゃなくて」
「何が違うっ?」
他になんの障りがあってクラウスは沈み込んだ顔をするのだろう。ナハティガルのことは諦めないと決めた。ナハティガルに再会した時、アルスの隣にクラウスがいなかったら怒るだろう。
アルスはこの手を二度と放してはならない。
すると、今度はクラウスがアルスを落ち着けるようにアルスの手を握り返した。
「俺の気持ちだけで語れるのなら、アルスといたい。でも、俺がそばにいるということは、常にアルスを危険にさらすということなんだ」
「危険?」
クラウスの目を覗き込む。すると、クラウスはアルスの頬に手を這わせ、額がぶつかるほど近くで声を震わせる。
「アルス、俺と一緒に死ねる?」
まるでそれしか二人が共にいられる方法がないかのようにして。
アルスは考えるまでもなく、クラウスの額に頭突きを食らわせた。
「死なない。私もクラウスも一緒に生きるに決まっているだろう。何を弱気になるんだ?」
怒った表情を作ると、クラウスは笑っていた。
「アルスならそう言うと思った。大丈夫、死なないから。ナハに申し訳なさすぎるし」
努めて明るい声を出すけれど、クラウスには大きな不安があるのだ。その不安は、自分ではどうしようもない何かがアルスを傷つけるという不安なのかもしれない。
クラウスは、自分の額ではなく、アルスの額をそっと撫でる。それがくすぐったいけれど、嬉しくもある。
ただし、語られる不安は穏やかではなかった。
「俺のことを迎えにまた〈彼〉が来るかもしれない」
「彼って、まさか、あの……?」
二年前の悪夢を思い出し、アルスは愕然としたが、クラウスは小さくうなずいた。
「ダウザーと言って、多分最強の魔族だ。今も昔も同じで、俺では敵わない」
「でも、今のクラウスはもう浄化されたじゃないか」
ナハティガルが体を張ってこちら側に引き戻してくれたのに。
「うん。でもまた向こうにいたら染まるんだと思う。何度でも」
「そんな……」
「魔の国の大気、水、食物、どれを取ってもこちら側とは違って、魔の国で生活するだけで染まるんだろう。自分が変わったと知るまでにほんの数日しかかからなかったよ」
ナーエ村にいた治療師のように、染まることができない人間と染まりやすい人間とがいる。染まりやすい人間は希少で、そのダウザーという魔族は諦めないとクラウスは考えているらしい。
そこでハッと思い出した。
「クラウスを魔王にするために迎えに来るのか?」
「そうだ」
「そんなものになりたいか?」
「なりたくない。でも、ならないとこの国を護れないかもしれない。俺が魔の国を統治すれば、世界は均衡を保てるはずだ」
クラウスは世界の平和のために犠牲になるつもりなのか。それで納得するのか。
「駄目だ。私にとっては世界と同じくらいクラウスが大事なんだから、引き換えにはできない」
世界中の人が怒るかもしれないけれど、これは譲れない。
クラウスは、嬉しいのか悲しいのかわからないような微笑みを向けた。
「ありがとう、アルス。でも、俺も同じで――」
この時、ドンッとまるで外壁が破壊されたような轟音と振動が屈強なはずの砦を襲った。