6◆揺らぐ立ち位置
魔の国で過ごした日々のことを二人に話そうと思ったが、クラウスはどう説明すべきか迷ってしまった。
魔王の娘であるイルムヒルトの夫に選ばれ、次期魔王となるはずだったこと――。
これを言うのがやましいわけではない。この件に関してはクラウスが望んだことではないのだから。
ただ、クラウスは候補者たちの中から選ばれたのだ。そして、魔王の葬送にも立ち会った。
そこまで話が進んだ頃になって、クラウスは光の中へ戻ることができた。
しかし、それでダウザーが納得するだろうか。二年前のあの日のように、アルスを盾にしてクラウスが再びあちら側に戻るように仕向けるのではないだろうか。
そうなった時、守護精霊のいないアルスを護れるだろうか。
ラザファムが呼ぶ精霊たちだけでダウザーを退けられるかはわからない。
それから、クラウスは胸の奥底に魔の国に生きる彼らへの想いがまったくないとは言いきれないのだった。
ナハティガルの浄化の光をクラウス共に受けて、シュランゲは無事だっただろうか。イルムヒルトの苦悩も、ダウザーの忠節も、クラウスにとってどうでもいいと言えることではなくなっていた。
そんな自分が嫌になる。
自分の立ち位置はどこなのだ。
どこにいればいいのか、自分でもわからなくなる。
心はアルスと共に在りたいと願っているだけなのに――。
それでも、クラウスがアルスと共にいることでアルスを危険にさらしてしまうかもしれない。それを正直に告げることがまだできていない。
ダウザーはきっと、またクラウスの前に現れる。
わかって、いるのに。
「クラウス?」
出立の前に宿の入り口でアルスの支度を待っている間、物思いにふけりすぎてぼうっとしていた。
そんなクラウスをアルスが下から覗き込んでいる。
宝石のように綺麗な澄んだ瞳に、浄化された姿の自分が映る。これが夢でなければいいと考え、それでもナハティガルへの罪悪感が追ってくる。
本当にナハティガルを元に戻す方法があるのだろうか。そして、クラウスはこのまま再び魔に染まらずにいられるのだろうか。
これは、ほんの束の間の夢かもしれなかった。
村でラザファムが馬車を手配してくれている間も、クラウスは気が気ではなかった。いつダウザーが現れるだろうかと、アルスに手が届く位置にいないと不安になった。
魔王になど相応しくない、こんな自分のことは見限ってくれていいけれど、もし仮にハロルドが魔王になったとしたら世界の均衡が崩れていくどころではない。
世界は蹂躙される。
イルムヒルトがクラウス以外で選ぶとしたら、それは誰なのだろうか。
不安要素がありすぎるけれど、今はとにかくシュミッツ砦に早く辿り着いてしまわねばならなかった。
戻ってきたラザファムは、多少の無理をして馬車を借りる交渉をしたのではないかと思われた。馬車は幌のない荷馬車で、しかも老朽化している。馬も痩せ馬の一頭立てで、御者も含めば四人もの体重を引くのは無理があるように見えた。
「本当に無茶をお言いなさる……」
馬車の持ち主らしき老年の農夫はぼやいていた。クラウスも申し訳ない気持ちになる。
しかし、ラザファムは一刻も早くシュミッツ砦に辿り着きたいのだ。
「無理を言って申し訳ありませんが、どうかお願いします」
ラザファムはそれから、白猫の姿を取っているエンテに向かって頼んだ。
「エンテ、この馬車を護ってくれ」
「ええ、わかっています」
エンテが白馬の姿になると、農夫は腰を抜かしかけた。いや、ただの猫が返事をした時点で魂消たはずだ。
農夫を支えて立たせると、ラザファムはクラウスとアルスを荷台に乗せてから自分も乗り込んだ。
荷馬車が走り出すと、風を切っているわりに風当たりが優しかった。エンテが寒風を遮ってくれていると思われる。
そうでなければ三人はもっと凍えたことだろう。
小さな荷馬車は、それこそ飛ぶようにシュミッツ砦へ向けて快速の走りを見せてくれた。
今のアルスは、ナハティガルを取り戻すという目的ができたせいか、少しずつ生気を取り戻していた。このままでいてほしいとクラウスも、きっとラザファムも同じことを願っている。