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4◆おかえり

 アルスは宿の部屋でベッドの縁に腰かけていた。

 ただ座っているばかりで、荷物もどこへ置いたか覚えていない。もっと言うならば、どうやってここへ来たのかもおぼろげだった。


 ここはとても静かだ。この静けさが恨めしい。

 一人でこうしていると、今日起こったことを考えてしまう。


 何も失わずに何かを得ることはできない世の中らしい。どうしてこんなにも苦しみばかりが続くのだろう。

 全部魔族が悪い。どうして魔族など存在するのだ。


 深呼吸によって、思考が落ち込んでいくのを防ぐ。何度も何度も深く息を吸い、吐き出して。効果があるのかは知らない。


 そんなことをしていると、扉が叩かれた。アルスはギクリとしたが、相手はラザファムか――クラウスだろう。


 思えば、クラウスとはまだちゃんと話せていない。いろんなことを聞かなくてはいけないのに、今は少し休みたかった。


 アルスはそれでも立ち上がり、部屋の扉を開けた。

 そこに立っていたのはクラウスだった。黒衣のまま、とても苦しそうに顔を歪めて立っている。


 クラウスの髪も目も、服を別とすれば魔に染まった痕跡を残していない。ナハティガルが浄化してくれた状態のままでいてくれている。そのことにほっとした。


 これからもクラウスを見るたびにナハティガルの献身に思いを馳せる。

 ナハティガルがアルスのためにしてくれたこと、どれほどの想いで見守っていてくれたかを絶対に忘れない。


「私が泣いていると思って様子を見に来たのか?」


 アルスが首を傾けて言うと、クラウスは僅かに身じろぎした。


「アルス……」


 クラウスの声がかすれる。どう考えても、ナハティガルのことに責任を感じている。

 けれど、クラウスのせいではないとアルスは思う。


「ナハは私のために頑張ってくれたんだ。それは何もクラウスのせいじゃない」


 クラウスを安心させるために、アルスは笑顔を作った。けれどそれはとても不格好なものになってしまった。

 顔が引き攣って、笑いたくもないのに笑えないと拒否しているような感覚だった。


 これでは駄目だ。こんな顔をしていると、ナハティガルに面目が立たない。

 ナハティガルは、アルスが暗い顔をしているのがつらかったのだから。

 けれど、いつもどうやって笑っていたのかが思い出せない。


「あいつ……ナハは、私が悲しいのは嫌だと言ったんだ。じゃあ、私は笑っていないといけないのに、どうしても、上手く、笑えな――」


 そこまで言った時、クラウスが動いた。

 アルスを包み込むように、抱き締める。息苦しくて痛いくらいだけれど、それがかえって心強かった。

 二年前よりもクラウスの背が伸びて逞しくなったことをより実感する。


 考えることに疲れて、アルスの頭が真っ白になると、我慢していた涙がまた零れてしまう。こんなにも泣いてばかりいたくはないのに。


「ごめん、アルス」


 クラウスが耳元でささやく。

 これをずっと願っていたのに、それでも悲しみはなくならない。


「クラウスの、せいじゃ……っ」

「俺がここにいることで、またアルスたちを危険にさらすかもしれない。でも、もう〈向こう〉に戻るなんていう決断はできないんだ。二度とアルスを置いていけない。今の俺にはなんの力もないけど、それでもアルスといたいなんて言ってもいいんだろうか……」


 クラウスの声が震え、腕の強張りを感じた。


「本当は、ずっとこうしたかった。いろんなしがらみが邪魔をしても、俺はアルスのことが誰よりも大事で、この気持ちに嘘はないから」


 クラウスの抱えていた事情はまだ知らないままだけれど、これがクラウスの本心であればいいと思った。


 アルスは手をクラウスの背中に回し、ギュッと抱きつく。もうこの人を失わないように――。


「おかえり、クラウス」


 ずっとこれを言いたかった。

 それはクラウスも同じだったのかもしれない。顔は見えないけれど、アルスの首筋にあたたかい雫が落ちた。


「ただいま、アルス」


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