20◆未練を
そのまま食事も取らず、アルスは泣きながら朝を迎えた。
一晩泣いたら、これ以上はもういい、やめようと思えた。
ぼうっとする頭を持ち上げ、ベッドの上で目を擦る。こんな時でも朝はちゃんと来た。
ため息をひとつ。そして目を瞑り、呼吸を整える。
クラウスの存在をなしにして物を考えた場合、今アルスがしたいことは――。
部屋を出て、ナハティガルを肩に乗せながらラザファムのいる部屋の扉を叩く。ラザファムも眠れなかったのか、早朝なのにすぐに扉は開かれた。
「ラザファム、昨日はすまなかった」
殊勝に謝ってみるが、今のアルスはひどい顔をしているのだろう。ラザファムはアルスを直視せずに目を逸らした。
「いえ……」
かける言葉が見つからないらしい。きっとこれが逆の立場だったら、アルスも何を言えばいいのかわからなかった。
だから、アルスの方から切り出す。
「どうしようか考えたんだが、ここまで来たんだ。一度ノルデンへ行きたいと思う」
アルスがこれを言うと、ラザファムがさらに緊張したのがわかった。それに対し、アルスはどうにか苦笑してみせる。
「クラウスを追いかけても、ノルデンにはいないんだ。それはもうわかった。そうじゃなく、コルトの父親のグンターのことがあるから、ノルデンを目指したい。彼の減刑の助けになって、それを見届けたら素直に城へ帰るよ」
ノルデンにはかなり近づいている。父の帰りを待つコルトのために力になってもいいだろう。
これを言った時、ラザファムは眉根を寄せて険しい表情を作った。
「けれど、魔獣が出没します」
「そうだけど、ナハとエンテたちがいてくれる。私がノルデンの状況を知ることも姉様の助けになるはずだ」
アルスが再びノルデンを目指すと言い出したのだから、ラザファムはクラウスへの未練を疑うのだろう。あの状態のクラウスにアルスを近づけてはならないと思うようだから。
未練がないなんてとても言えない。
ただし、北へ向かえばまたクラウスに遭遇するのだとしたら、会いたいのかどうかもわからない。
会ったとしても、あれだけの拒絶を再び受けるだけなら怖い。あの痛みは何度も耐えられるものではなかった。
クラウスにとって、アルスはもう価値のない存在でしかないのだから。
あれほどはっきりと示されても、顔を見たらまた縋りつきたくなるのだろうか。それが自分でも予想できない。
「お前には迷惑をかけるが、城に帰ったらちゃんと王族としての責務は果たす。あと少しだけ我慢してほしい」
いつでもラザファムが無償で助けてくれることは当り前ではない。
それでも、逆にラザファムがアルスに頼み事をすることはほとんどなかった。アルスばかりがラザファムを頼っているのだ。
ずっとそばにいてくれると言う。その言葉は、ただの慰めだろうか。
「我慢ではなく、あなたといるのは僕の意志です。わかりました、あなたの御心のままに」
ラザファムの目には労りがあり、ナハティガルのように泣かないだけで同じような気持ちでいてくれるのかもしれない。
こんなにも自分は護られている。
――アルスは欲張りだった。何もかもを諦めなかった。
大事なものを何ひとつ手放すことなく生きたいと願っていた。
そんなことは無理なのだと、今になって知った。
アルスには大事な人がたくさんいる。その人たちと過ごせる未来がある。
そこにたった一人がいないだけだ。クラウスだけが欠けて戻らない。それ以外の皆はいてくれる。それに満足すべきなのか。
クラウスが悲しい思いをしているのは嫌だと思って旅立ったのに、クラウスはそんなふうには微塵も感じていなかった。だから、アルスが諦めさえすればそれで丸く収まる。多分、そういうことなのだ。
あと少し。
ノルデンへの旅路は、その未練を断ち切るためにある。