18◆忠告
浅い呼吸を繰り返す。
水の中に落とされたように、クラウスは世界のすべてが自分を苛むために存在しているような気分になった。
とにかく一人になりたくて、魔の国の森の中に移動する。
以前から時折ここで気持ちを落ち着けていた。森は薄暗く、本来であれば心休まるとは思えない不気味な場所だが、今となっては気にならない。
不思議と、薄暗くとも見えるのだ。それが魔に染まりつつある証拠かもしれないけれど。
森の草の上にドッと身を横たえた途端、シュランゲに労われた。
「よく思いきられましたね」
「……死にそうだ」
思わず弱音を吐くほど、本気で呼吸が止まりそうだった。
愛しいアルスとは二度と言葉を交わすことがない。最後に放った言葉があれでは苦しすぎる。
それでも、必要だから。アルスの心を傷つけることになっても仕方がなかった。
アルスがクラウスのことを見限って城に戻ってくれなくてはならないのだから、これしか方法が見つけられなかった。
彼女の未練を嬉しく思うゆとりはもうない。どうして追ってきたりしたのだと、アルスを責めたいような気持ちもあった。
今の薄汚れた姿を見せたくはなかった。昔のクラウスだけを覚えていてほしかった。
クラウスも、アルスの笑顔を覚えていたかった。それでも、あの傷ついた顔が頭から離れない。
今は苦しいかもしれない。
けれど、アルスの痛みはじきに癒えるだろう。
アルスのそばにはラザファムがいて、二人の距離はクラウスがいた時よりも格段に近づいているのだから。
――もう考えるな。
アルスのことも、ラザファムのことも。
自分には自分のすべきことがある。
しばらく草の上に寝転んでいた。森の静けさが幾分頭を冷やしてくれたように思う。
そうして、クラウスは動き出した。
城に戻ると、同じ候補者のエメリッヒと顔を合わせた。
エメリッヒと会うのは久しぶりかもしれない。きっと、向こうがクラウスと鉢合わせしないように動いていたのだろう。
それがこうして会ったのは、偶然なのか必然なのか。
初対面の際のエメリッヒはラザファムに似ていると思ったが、今ではそう感じない。髪と目は黒く染まり、純粋そうだった面持ちが小賢しく変貌したせいだろう。それから背だけひょろりと伸びた。
そんなエメリッヒがクラウスに声をかけてきたのだ。
「クラウス、君は近頃ピゼンデルの方へ向かっているようだね」
「それが?」
エメリッヒと揉めたいわけではないが、今のクラウスはほんの少しのことで冷静さを失うほど平静を保てていない。だから返答も不機嫌そのものだった。
それでもエメリッヒは続けた。
「ハロルドへの対抗意識かい? 彼はピゼンデルの出身だから」
「そんなつもりはない」
ハロルドなんてどうだっていい。
しかし、エメリッヒはそうとは受け取らなかったらしい。
「ハロルドも主にレムクールへ仕掛けているから。これって君の祖国だからだよ」
エメリッヒはどうしてクラウスにこんな話をしようと思ったのだろう。
そこにはなんらかの意図があるはずだ。そう思っても、頭が疲れすぎていて上手く働かない。
クラウスが無言でいると、エメリッヒは口元を歪めてさらに言い募った。
「ハロルドの動向には注意しておいた方がいいんじゃないかなぁ?」
この場合、エメリッヒはクラウスが真っ当に点数稼ぎを始めたと見て、それを妨害するためにこんなことを言うのだろうか。
それとも、ハロルドの邪魔をしてほしいのだろうか。
色々な意味合いがあるのだとして、ひとつだけわかるとしたら、それはエメリッヒもクラウスの味方ではないということだけだ。
「忠告痛み入る」
適当にあしらい、相手をしないに限る。
結論はそれだった。なんの企みもなしに親切心で忠告するなどあり得ない。
互いは敵と変わりないのだから。
クラウスはまだ何か言いたげなエメリッヒを置き去りにその場から立ち去った。
背には粘りつくような視線が投げかけられるけれど、振り返ろうとは思わなかった。