15◆非礼
馬車が迫ってくる。
向こうの御者が馬に鞭をくれる音がこちらまで聞こえてきた。
アルスがラザファムを見遣ると、ラザファムもアルスを見て言葉ではなく目で意志を伝える。動かず息を潜めているようにと言っているようだった。
ナハティガルはまん丸い目をつり上げ、毛を逆立てている。
「なんなんだ、あんたたちっ!」
こちらの馬車の御者が慌てた声を上げた。攻撃されたわけではないが、念のためにラザファムはヴィルトを外へ向かわせる。
「御者を護ってくれ」
「わかったよ!」
そんな短いやり取りの後、馬車が急停止を余儀なくされたらしく、大きく揺れた。
「わっ!」
アルスは席に座っていられず、衝撃で前の座席に飛び出してしまった。それをラザファムが受け止めてくれる。
「大丈夫ですか?」
半分、ラザファムの膝の上に乗るような形になってしまった。ラザファムの腕がアルスの腰を支えていたけれど、その手は気まずそうにすぐどかされた。
「う、うん」
ちなみに、二人の間に挟まれたナハティガルは平べったい。
「むぎゅーってなてるし!」
「不可抗力だ」
「そぉねぇ。そぉかもねぇっ」
と言いつつも怒っている。
しかし、ナハティガルと遊んでいる場合ではない。
馬車の進行を妨げた男たちが向こうの馬車から降りてきたようだった。彼らの目的はなんなのだろう。
なんであっても、アルスとしては退けるだけなのだが。意識して剣の柄に手をやる。
そこで外にいる男たちが声を張り上げた。
「ご無礼を承知で申し上げます! 王妹アルステーデ姫様、どうか我らの声に耳をお傾けください!」
――でかい声で堂々と言われた。なんて迷惑な。
ラザファムは顔を顰め、どう対処すべきか考えを巡らせているようだった。
その間に、アルスは車内から怒りに任せて声を張り上げた。
「人違いだっ!」
力いっぱい否定してやった。
それで通るの? とでも言いたげにナハティガルは首を傾げる。
ちなみに、通用しなかった。
「アルステーデ姫様、どうかお話をさせてください!」
ナハティガルが、ほらぁ、と呆れた目をする。
「僕が話します。アルス様は出てこられませんように。ナハ、頼む」
素早く言ったかと思うと、ラザファムは馬車から降りて扉を閉めた。
大丈夫かなと思いつつ、アルスは外の様子に耳を傾ける。
「まず、あなたたちはどなたでしょうか?」
ラザファムの声は落ち着いて聞こえるけれど、怒りも孕んでいる。とはいえ、細身の優男が現れたくらいで向こうは怖気づかないだろう。
「我らは――他国から来た」
「ピゼンデル共和国の方ですか?」
はっきりと言われたせいか、彼らは少しの間を置いてからそれを認めた。
「そうだ。我らはピゼンデル共和国から来た」
「我が国はピゼンデル共和国との交流を絶っております。不法に滞在されているということになりますね。事を荒立てるのは不本意ですが、こうして知ってしまった以上は放置するわけにも行きません」
ラザファムは毅然とした対応をしているけれど、彼らもまた引く気はないようだった。こんなところまで来たのだから、なんらかの覚悟を持って動いているのはわかる。しかし、それはアルスには関係のないことだ。
「今はそうしたことを言っている場合ではない。レムクール諸侯には物分かりの良い方もおられる」
「ヴァイゼのニーダーベルガー公があなた方を容認したとでも?」
「我らは一向に回復の兆しのない両国間の関係を改善すべく働きかけている。それをご理解頂けたのだ。そして、アルステーデ姫様が旅の途中で現在この町に滞在されていると、とあるご令嬢が御身をご心配なさっているのを聞いてしまったのだ。王妹殿下と直接お話ができる、このような好機を逃すわけには行かない」
とあるご令嬢と伏せたところですぐわかる。グロリアだ。
旅をしているアルスを心配していると、大声でのたまったらしい。本当に心配しているなら万人に聞こえるようなところで言わない。
腹立ちまぎれに彼らへ告げ口したかったようだ。
「あいつめ……」
アルスは馬車の中で悪態をついたが、グロリアの方はもっと盛大に広い部屋でアルスを罵倒している気がした。
「グロリア様って執念深いってか、そぉいうところあるよねぇ」
「本当にな」
ナハティガルと一緒にため息をついた。この場をどう乗りきればいいだろうか。
ニーダーベルガー公は、彼らから金銭を積まれて容認したのか、もっと悪いことを企んでいるのか考えてみると、後者だろう。ベルノルトのことをよく思っておらず、姉の婚約の時には最後まで反対した。それというのも、姉の婚約者には自分の息子を推したかったからだ。
ベルノルトが障害となっているピゼンデルとしては、彼の味方でない大貴族の存在は狙い目だった。
「もしここに姫様がおいでだと思われるのでしたら、正式な場でもなく、このようなところでのお声がけを非礼だとは思いませんか? 相手にされずとも当然でしょう。あまりに執拗だと、こちらとしても実力行使させて頂くことになります。どうぞお引きください」
実力行使と言われても、ラザファムは強そうに見えない。引かないだろうなと思ったが、やっぱりだった。
「貴殿は精霊術師というものだろう? しかし、精霊は善なる存在。人間の命を取ることはないと聞く。我らは命を賭してここにいる。その程度の脅しには屈しない」
――守護精霊のナハティガルは、アルスの危機となれば人間を痛めつけるくらいのことはする。ただし、彼らが言うように命に関わる度合いの攻撃はしない。精霊とはそうしたものだし、アルスもナハティガルにそんなことはさせたくない。
「なあ、ナハ。どうしようか?」
車内でナハティガルに問いかけると、ナハティガルは足踏みしながら言った。
「うーん、ちょっと気絶でもしてもらおうか? でも、魔獣が出るっていうし、寝てると危ないかなぁ?」
「そこなんだよな……」
以前の荒くれたちの時のように縛って道に転がしておきたいが、このタイミングでは魔獣に食われてしまうかもしれない。
出てくるなと言われたが、このまま隠れていたのではいつまで経っても堂々巡りだ。
多分後でラザファムには、また性懲りもなくとこっぴどく怒られるとわかっていたが、アルスは結局馬車の扉を思いきりよく開けたのだった。