14◆魔族
クラウスが城の中を歩いていると、バルコニーにいるイルムヒルトを見かけた。その隣にいるのはダウザーだ。
何を話しているのかまでは聞こえない。それでも、イルムヒルトは連れてこられた候補者たちには見せたことのない親しみでダウザーと話し込んでいる。
ダウザーは、こちら側を向いているイルムヒルトとは逆に背を向けて立っている。見えないけれど、一体どんな表情をしているのだろうかと考える。
今のイルムヒルトにとってダウザーは最も頼れる存在だろう。その全幅の信頼をダウザーは十分に分かっている。
クラウスはここへ連れられてすぐに、何故ダウザーが次期魔王として立たないのかと思った。
魔族の中で最高峰の能力を持つ男だ。未熟な人の子など攫わずともダウザーが魔王になればいいのではないかと。
ただし、ダウザーならば情け容赦なく他国を侵略するだろうから、それは世界の国々にとって歓迎できる事態ではない。ならない方がいいのは確かだ。
今となっては、クラウスも彼が王になれない理由を聞かされている。
イルムヒルトはクラウスに気づくと、ハッと表情を硬くした。そして、ダウザーに何かを言い遺してバルコニーから出てきた。
クラウスに何か言うでもなく、イルムヒルトは一度ゆっくりと目を伏せてから通り過ぎていった。
彼女の背中が遠ざかると、ダウザーがバルコニーからクラウスに声をかけてきた。
「近頃ピゼンデルの方に出向いているようだな?」
クラウスは小さく嘆息し、渋々バルコニーに踏み入った。自分の緊張を覚られるのは、服の下に潜んでいるシュランゲだけであってほしい。
臆することなく、クラウスは挑むような目をダウザーに向けた。
「気に入らないか?」
言い放ったら、ダウザーに鼻で笑われた。
「何故そう思う?」
「何故って、あんたの祖国だろう?」
それが遠い昔のことであっても。
しかし、ダウザーは目を眇めただけだった。
「今更思い入れなどあるはずもない。今の私にとって自国と呼べるのはこの国だ」
これはダウザーの本心なのだろう。
彼はピゼンデルに未練など微塵も持ち合わせてはいないのだ。確かめるまでもなかった。
――クラウスは、ここへ来るまで魔族というものをほとんどわかっていなかった。
クラウスに限らずほとんどの人間がそうなのだ。魔族という存在がどのように生まれるのかを考えたこともなかった。
だから、自分が魔族になるなどという可能性があることも知らなかった。
人が魔に染まる。それが人型の魔族なのだ。
人に限らず獣であっても同じだ。魔に染まった個体が魔族となり、その魔の因子を持った個体が産んだ子は魔族である。
魔の国に充満する魔の因子を取り込んでも生きられる個体が魔族となるのだ。その因子は、大気や水、食物にも含まれている。つまり、魔の国で生きていられれば自然と魔族になる。
ダウザーも元はただの人間だった。ピゼンデル王国に生まれ、権力争いの末に謀殺されかかり、魔の国の淵に棄てられた。そんな話だった。
それは二十年前のレクラム侵攻の時よりもずっと前の遠い昔のことらしい。
魔族になればただの人であっても老いは緩慢になり、永い時を生きることになる。ただし、ただ生きて長らえるだけとも言える。見た目は老いておらずとも、魔族は繁殖力の低下が著しい。特に男の方が顕著だと言う。
人の子が連れてこられた一番の理由がこれなのだ。魔に染まってすぐに繁殖力を失うわけではない。年を経るごとに徐々に低下していくようではあるけれど。
だからこそ、魔王に、イルムヒルトの夫に人の子をあてがうのだ。
イルムヒルトに子を産ませるために。国のために。
ただし、イルムヒルトは未だに納得していない。周りがそうであれと推し進めるだけだ。
彼女には嫌なことだろう。だから、クラウスもイルムヒルトのことを気の毒に思う。
この時、ダウザーは遠くを見据えるような目をしてつぶやいた。
「お前の姫は随分と近くまで来ているな。そろそろ引き返さねば、何が起こるかわからんぞ」
また、クラウスの心臓を揺さぶる。柔らかい肉に爪を立てる。
ドッ、ドッ、と心音が激しく乱れた。それを取り繕っているつもりが、どう足掻いても無様にしか見えないのだろうか。
「対処する」
それだけを言い、クラウスはきびすを返した。
――最後の一度。
その再会は目前だ。