13◆視線
乗り場から利用できる馬車には定期便を運行する辻馬車と、貸し切りの二種類ある。ラザファムは迷わず貸し切りを選んだ。乗るのは二人だけなので、一番小さな馬車でよかった。
「ローベ村までだな」
「はい、お願いします」
いかにも古株といった白髪頭の御者と、少し年季の入った車体、年老いておっとりとした馬。
速度は出なさそうだが、それでも歩くよりは速いはずだ。もし途中で魔族と遭遇したとしても、ナハティガルとエンテたちがいる。どうにか馬車を進ませることはできるだろう。
ラザファムが話をまとめている間、アルスは数歩下がって待っていた。すると、不意に射るような視線を感じた。
ハッとして振り向くが、わかりやすくこちらを見ている者はいなかった。皆、忙しく立ち動いている。
不躾な視線だったのでグロリアが来たのかと思ったが、こんな庶民の集う馬車乗り場に来るような令嬢ではない。では、誰なのか。
アルスは視線の主を探したが、人が多すぎてはっきりと特定することはできなかった。ちゃんと列に並んで順番を抜かしたりしなかったはずなのに、誰かの不興を買ってしまったのだろうか。今の視線は一体なんだったのだろう。
アルスは諦めて正面に向き直った――と見せかけて、もう一度振り返る。
そうしたら、二人組の男が明らかにアルスを見ていた。二十代後半くらいの二人組だが、家紋などの所属を特定できるものは何も身に着けていなかった。
しかし、鍛えられた体をしている。商人などではない。
顔立ちは凡庸で覚えにくいから、どこかで会っていたとしても気づかないだろう。
あの二人は、アルスの正体に気づいたのかもしれない。
「マズいな……」
つぶやくと、ナハティガルが顔を寄せた。
「さっきからなんなの? 何してるのさ?」
「いや、あの二人組、やたらとこっちを見てないか?」
「まさか……っ」
ナハティガルはぴろん、と羽を広げる。
「ボクがあんまりにも綺麗だから見惚れてる?」
「違うと思う」
そこでラザファムと目が合った。
アルスは急いで駆け寄り、さっさと馬車に乗り込む。
「さ、急いでくれ」
ラザファムは何事かと表情を険しくしたが、問いかけるより先に馬車に乗った。
「はいはい、じゃあ出発だ」
御者は御者台によっこいしょと掛け声をつけて乗り、馬に鞭をくれた。
ゆっくりと馬車は進み始める。アルスは念のため、コートのフードをすっぽりと被った。
馬車が出発してしまえば追ってこないだろうとアルスは胸を撫で下ろす。
――が、そうでもなかった。
後ろから一台の馬車がつかず離れずついてくるのだ。
単に行き先が同じと考えるべきかもしれないが、嫌な予感しかしない。
ラザファムも気になっているようだった。
「あの馬車、まるでこちらについてきたみたいですね」
「や、やっぱりそう思うか?」
「ええ。調べましょうか」
ラザファムはそう言うと、馬車の窓を開けた。
「ヴィルト、あの馬車の乗客がどんな人物か見てきてくれないか?」
ラザファムの指に停まったヴィルトは、トンボから蝶に姿を変えた。
「了解~」
ひらひらと優雅に飛んでいき、ほどなくして窓から入ってきた。
「おかえり、ヴィルト。どーだった?」
ナハティガルが労う。
「うん、男だね。二人いたよ。若くて、うーん、多分レムクール人じゃないなぁ」
それを聞き、アルスは妙に納得した。言われてみるとそうかもしれない。なんとなくあの二人には違和感があったのだ。
ヴァイゼにはレプシウス帝国から来る者も多いから、それも不思議なことではない。ただし――。
「じゃあ、レプシウス人か」
レプシウス人に見破られたとすると、少しまずいかもしれない。
しかし、ヴィルトは意外なことを言った。
「それがですね、レプシウス人でもないとしたらどうでしょう?」
「えっ?」
そこでずっと黙っていたラザファムが身じろぎした。
「ピゼンデル……?」
「まさか」
「レムクールは現在、ピゼンデル人を受け入れていません。ただし、レプシウスにはピゼンデル人もいます。レプシウス人だと偽り、レムクールに潜入したとすると……」
「なんのために?」
問いかけても、ラザファムがその答えを持つわけではない。ゆるく首を振っただけだった。
「わかりません。それに、ピゼンデル人などではないかもしれませんし、あまり考えすぎても情報が少なすぎて結論は出ません」
「う、うん」
たまたま行き先とタイミングが同じであっただけであってほしい。こちらとは無関係でいてほしかった。