11◆怒り
クラウスはピゼンデル共和国から足を延ばし、旧レクラム王国の大地を踏みしめていた。
昔、ベルノルトから祖国の話を聞いたことはあるのだが、彼が語ったような美しい宮殿はすでになかった。無残にも崩され、周囲に瓦礫が散乱している。
城郭の中の町もそうだ。蹂躙され、廃墟となり、人がいないので再建されることもない。捕虜や奴隷として捕えることもせず、民は殺害された。囚われたのは王子であったベルノルトただ一人だけなのだ。
この大虐殺をピゼンデルは正当化しようとしたが、当然ながら失敗に終わったと言える。
何故、ここまでのことができたのだろう。レクラム王国は最小限度の武力しか持たない小国だった。攻め入られて陥落するまで三日という速さがそれを物語っている。援軍すら間に合わなかったのだ。
レクラムが魔に染まったとピゼンデルは主張したが、今のクラウスならそれが嘘だと容易くわかる。
この地には霊峰エルミーラが聳え立つ。その膝元の、清浄な気の強い場で魔の気配を撒くのは難しい。
だから、結論として言えるのは、魔に染まったのはレクラムではなくピゼンデルの方だったのではないのか。
白く眩しすぎる霊峰と、そこから流れる川の清らかさが目に痛い。クラウスでさえそう感じるのだから、シュランゲはもっと苦しかったようだ。
「クラウス様、この土地はいけません。戻りましょう……」
息苦しそうに言い、閉じたまぶたがピクピクと痙攣している。連れてきて、悪いことをしてしまった。
「悪かった。……レクラム侵攻の真相が知りたいとずっと思っていたけど、今更無理なんだろうか」
すると、シュランゲは喉を膨らませてかすれた声を上げた。
「それは……」
本当に苦しそうだ。この地のそよ風すら魔族には毒なのかもしれない。
クラウスは転移魔術を発動させ、その場から退避した。
それでも、つい考えてしまう。二十年前に何があったのかと。
レクラム侵攻の謎を解きたいと思うのは、ただの逃避であるのかもしれないけれど。
一気に長距離は移動できず、休み休みで魔の国の王城へ戻ると、そこにはハロルドがいた。
彼はピゼンデルの出身だ。ハロルドの祖国に悪さをしようとしていたことを思うと少し後ろめたい気もしたが、ハロルドはクラウスに対して好意的ではない。
そして、ハロルドはレムクール王国を標的にと狙い定めている節があるので遠慮など要らないのだろう。
ハロルドも出会った時は金髪だったが、今ではクラウスと同様に黒く染まっている。背は相変わらずハロルドの方が高いが、以前よりは差が縮まった。
「なあ、クラウス」
珍しく呼び止められ、クラウスは足を止めた。無言で首を向けると、ハロルドは口元だけで笑って見せた。目は獲物を狙う猛禽類のように鋭い。
「お前はよくレムクール王国へ行くが、何もしていないじゃないか。一体祖国で何をしているんだ? ただ単に里心がついたのか?」
「そうだよ。祖国の空気が吸いたいんだ」
相手にするべきではないと思い、クラウスは軽く受け流した。
しかし、この時のハロルドは執拗だった。クク、と声を立ててわざとらしく笑い続ける。
「俺もレムクール王国にはよく行くから、以前のお前のことを知ったんだ。お前はお姫様の婚約者だったんだってな」
「……もう破綻している。それが?」
すると、ハロルドはクラウスに近づき、耳元でささやいた。
「絵姿を見たが、可愛いお姫様なのに残念だったな。もう手はつけてたのか? まさか何もなかったってわけじゃないだろ? お姫様っていっても他の女と変わりないんだから、少し誘ってやれば簡単に――」
この時、二人の間でバチッと音を立てて魔力が弾けた。体が軽く痺れる。それはハロルドも同じようだ。
「痛って……」
そう言って首を摩った。
クラウスはひとつ息をつき、改めてハロルドを睨みつけた。
「俺は未熟だから、力が制御できないんだ。不用意に近づかないでくれ」
あんな挑発に乗るべきではないのに、アルスを引き合いに出されると感情が先に立ってしまう。ハロルドに殺意を抱くほどの怒りが魔力を放出させる。
――執着を見せてはいけない。わかっているのに。
ハロルドはスッと目を細め、クラウスを小馬鹿にするような目を向けて去っていった。しかし、後ろから見て脚が震えているのがわかる。
敵意に敵意で返してはいけないけれど、これだけは譲れない。いつまでも。