4◆ピゼンデル共和国
クラウスは魔の国の王城で、与えられている自室のベッドの上に座り込むと瞑していた。
いい加減に行動を起こさなくてはならないのは嫌というほどわかっている。
このまま他の候補者たちに後れを取っては挽回できなくなる。クラウスが最も有利だとされている理由は、ただ単にイルムヒルトがクラウスに対してのみ会話を試みるというだけではないのか。
イルムヒルトは他の候補者たちのそばには寄りつかない。最初は、クラウスもそれが何故なのかはよくわかっていなかった。
今は、イルムヒルトが誰も求めていないことをクラウスだけが理解しているからではないかと思う。
彼女にもまた悩みは尽きない。
世界を魔に染めると言っても、クラウスは最初からレムクール王国に手を出すつもりはない。そうなると、レプシウス帝国かピゼンデル共和国へ足を運び、なんらかの動きをしなくてはならないのだ。
その二択であるのなら、クラウスが選ぶのはピゼンデル共和国になる。
レプシウス帝国はレムクール王国の友好国で、ピゼンデル共和国はそうではない。ピゼンデル共和国は現在、レムクール王国とはなんの関りも持っていないのだ。
それどころか、アルスの義兄ベルノルトの祖国、レクラム王国に侵略するという愚行を犯した国である。
ただ、先に起こったクーデターによってピゼンデル王族の生き残りはおらず、今の共和国に過去の罪を問えるのかは知らないけれど、クラウスにとって思い入れの薄い土地であることは確かだ。
クラウスはピゼンデル共和国に狙いを定めた。だが、そこで何をするべきかは未だ考えあぐねている。
人が多く死ぬようなことは嫌だ。家族や恋人たちが引き離されるようなことも。
それを言っていては何もできないのに。
こんな自分のどこに適性があるのか、今となってはよくわからない。
蜥蜴のシュランゲが腕を滑るように降りて、膝からクラウスを見上げている。クラウスは軽くうなずいた。
「行こうか、シュランゲ――」
クラウスがただの人であった時、訪れたことがある国はレプシウス帝国だけで、それもただの一度きりだ。
ピゼンデル共和国へ向かう道を詳しく知るわけではないが、そこはシュランゲが導いてくれる。転移魔術とは便利なものではあるけれど、それと引き換えに失ったものの大きさを思えば嬉しくはない。
物陰から、闇から湧き出るようにクラウスはピゼンデル共和国の土を踏んだ。
この国は今、王ではなく、民から選ばれた大統領が治めている。とはいえ、王のように何もかもを独断で決定できるようなことはなく、すべて議会の承認が必要になってくる。相応しくない行いをすれば糾弾され、その地位から引きずり降ろされるのだ。
そうした国の在り方も興味深くはある。もし二十年前がすでに今の国であれば、レクラム王国を侵略することはなかっただろう。あれは王族の独断だったとされている。
事の発端はレクラム王国がピゼンデル王国を脅かしたとされるが、その主張に信憑性は認められないと諸外国は考えている。レクラム王国は小国で、歌舞音曲を好む穏やかな気質の国だったのだ。
霊峰エルミーラと共にある、小さな国――。
当時四歳のベルノルトは多くを覚えてはいない。けれど、こんなことは到底許されない。
しかし、後嗣であるベルノルトを密やかに消してしまわなかったことは、ピゼンデルにとって愚かな行為だったのだろうか。
初めて訪れたピゼンデル共和国は、王国だった頃の名残を消し去ろうと必死なのではないかと感じられた。
建造物はどれも驚くほど鮮やかな配色で、桃や檸檬などの果物を思わせる。アルスの妹姫パウリーゼが見たら喜びそうだと、ふと懐かしい顔を思い浮かべて苦笑した。
「……悪趣味な町です」
魔の国は暗色でまとめられているから、シュランゲの気には召さなかったらしい。ぼやいていた。
「まあ、これはこれで面白いけど」
レクラム侵略の時、こちらのピゼンデルには一切攻め入られることはなかった。だから戦争の傷跡などはない。あるとすればレクラム王国跡なのだろう。
「少し様子を見よう」
「ええ、わかりました」
影に溶けるように、クラウスは身を潜めた。
この地の人々はまだ――もしくは、もう何も知らない。