2◆食べられません
「何って、何が?」
村人はきょとんとしてアルスに首を向けた。アルスはそのまま力いっぱい叫びかけたが、ずっと黙っていたラザファムが間に割って入った。
「すみません、僕たちは旅の者ですが、魔族が出た時の詳しい状況を教えて頂けませんか?」
女王と義兄を馬鹿にした彼らにも何故かラザファムは丁寧で、冷静だった。ラザファムはベルノルトを師と仰ぎ、敬愛しているはずなのに。
「ん? ……蟲の群れが北から飛んできて、収穫前の野菜を根こそぎ食い荒らして行っちまったんだよ」
「野菜だけじゃねぇ。鶏や猫なんかの小さい動物も攫われた」
――それはショックだったかもしれない。戦う術を持たない村人たちなのだ。
込み上げていた怒りが行き場を失ってしまった。
「いつまでこんなことが続くんだろうな? そのうちに俺たちも食われるんじゃねぇだろうな」
大の男が声を詰まらせ、涙ぐむ。これにはアルスの方が怯んでしまった。
「い、いや、美味しくなさそうだから食べないと思う」
それが慰めの言葉かと、ナハティガルが肩から滑り落ちた。
仕方がないじゃないかとアルスは焦った。なんと慰めていいかわからないのだから。
しかし、男たちの一人がプッと噴き出した。
「だよな。俺だって食べるならあんたみたいに可愛い女の子の方がいい」
「私か? 残念ながら私は食用ではないな」
正直に返したら、何故かまた笑われた。
「まったく、こんな若いお嬢ちゃんが魔族って聞いてもしゃんとしてんのに、厳つい雁首揃えて弱気になってちゃ情けねぇ。よし、今度来たら俺たちの方が蟲を捕まえて食ってやるくらいの気持ちで挑むぞ」
あれはかなり硬そうだったので、食べたら歯が折れるかもしれない。まあ、もちろん冗談だということくらいはアルスにもわかっている。
「いい心意気だ。でも、無理はいけない。いざとなったら、どこからでも助けは来るものだからな」
念のために王都の方へ報告を上げておこう。
さっきまでは姉と義兄を馬鹿にされて憤慨していたのだが、もう怒る気が失せてしまった。
「ありがとうよ、お嬢ちゃん」
何故か礼を言われた。複雑な心境である。
とりあえず、手を振って彼らと別れた。
ラザファムは小さくため息をついている。アルスに呆れたのかと思ったら違った。
「皆、生きていくのに必死で気が立っているんです。王族を批判することがあっても、彼らだけが悪いわけではありません。どうかそのところを酌んであげてください」
ラザファムも彼らの言葉に気を悪くしなかったわけではないと思う。
けれど、少し考えてみればわかる。彼らを不敬だと叱り飛ばすだけの行為を一番嫌がるのは、当の姉とベルノルトなのだ。
「もー。ハラハラしたよ。だってさ、ここで暴言吐いてアルスの正体がバレてごらんよ。どれだけトルデリーゼ様とベルノルト様の心証が悪化すると思ってるのさ?」
ナハティガルにまで突っ込まれ、アルスはぐうの音も出なかった。事実その通りである。
あの二人は民の苦しみを小さなことだとは捉えていない。民に自分の努力を認められないからといって、だったらもう知らないとそっぽを向くような人たちではないから。
アルスは、自分がとんでもなく子供のままだと思い知らされてしょげた。
「……もっと生きやすい世界になればいいのにな」
「ええ、本当に」
ラザファムも心からそれを願っているようだった。直情的なアルスとは違い、思慮深いラザファムの方がたくさん思うところがあるようだ。
「どうしたら魔族はこちらに介入しなくなるんだろう?」
「もー。それがわかったら苦労しないよ」
肩でナハティガルにぼやかれたが、本当にそんな方法があればいいのに。
あちらとこちらと住み分けることができたなら、こんな悲しいことは起きない。
それでも向こうが襲ってくるのは、魔の国にはこちらほど物資が豊富にないから強奪したいといったなんらかの欲が絡むのだろう。向こうも生きるために行っているのなら、こちらと何も変わらない。
――なんていうのはアルスの想像に過ぎない。実際のところはただ単に暴れたいだけなのかもしれない。
性質が〈悪〉と言ってしまえばそれで終わりだ。魔族は抑えられない破壊衝動を持つのだろうか。
アルスが出会ったあの人型の魔族は知性があった。あれだけの知能があれば話し合いもできるはずなのに、そんなつもりは毛頭ないといったところだった。
最初から、種族が違えばわかり合えないのも仕方がないのだろうか。
同じ人と人とでも諍いは起こるのだから。
「ラザファム、この村の現状を姉様たちに報告してくれ」
「ええ、そのつもりです」
その報せが届けば、何か彼らの救いになるかもしれない。
そうであってほしい。
「とりあえず、宿を取りましょう。次に向かうヴァイゼの町まではまた歩いて移動しなくてはいけませんから、しっかりと休んでください」
「この状況ではとても馬車に乗せてくれなんて言えないしな。いくらでも歩くさ」
「アルス、旅が終わったら脚が太くなってるん――むぐっ」
イラッとしてアルスはナハティガルのくちばしをつまんだ。余計なことは言わなくていい。
――どうせドレスで隠れるし。
そんなやり取りを、ラザファムが笑った。アルスに睨まれたら、ラザファムは少し照れたように目を逸らす。
「いえ、すみません」
「私の脚について余計な考察は要らない。じゃないと、身についた脚力で蹴り倒すからな」
「すでにお姫様のセリフじゃないよね?」
「あーもーうるさい!」
こんな軽口を叩き合って、さっきまでの暗い空気が軽くなる。ラザファムもまだ笑っていた。
ナハティガルは場を和ますためにふざけている。そういうことにしておいてやろう。
じゃなかったら、ちょっと許さない。