19◆朝の目覚め
翌朝。
アルスは朝陽の眩しさに目を擦りながら起きた。
そして思い出した。昨晩、木の根元で野宿したことを。
木の根にもたれかかって寝たせいで体のあちこちが痛いけれど、起きて動いていればすぐに治るだろう。とりあえず、その場で大きく伸びをしてみた。
「おっはよ。寝跡ついてるけど、どうせ気にしないよね」
待ちくたびれたとばかりにナハティガルが木の根の上で飛び跳ねている。たったひと晩のことに文句を言われる筋合いはない。
「しない」
あくび交じりに返したら、木の根を挟んだ向こう側にローブのフードをすっぽりと被ったラザファムが脚を延ばして休んでいた。静かで、ピクリとも動かない。もしかして、まだ寝ているのだろうか。
警戒心の強いラザファムが屋外で熟睡しているなんて珍しいと思った。なかなか寝つけなかったのかもしれない。
「まだ寝てる? もしかして、お前がうるさく話しかけてラザファムがなかなか寝れなかったとか」
白い目をナハティガルに向けると、心外だとばかりに目を怒らせた。
「違うし! 寝にくそうだったから子守歌歌ってあげたし!」
「安眠妨害だな」
それでも、ラザファムはうるさいと言わなかったのだろう。寝ついたのは遅かったということだ。
アルスは木の根を跨いで超えると、ラザファムのそばに膝を突いて耳を傾けた。小さな行儀のよい寝息が聞こえてくる。
やはりすぐには寝つけなかったようだ。
この時、アルスはちょっとした悪戯でローブのフードを持ち上げてラザファムの寝顔を覗き込んだ。
起きると仏頂面になるし、トーレス村の礼拝堂の時のような寝顔は貴重だから。
そうしたら、ローブに少し指をかけた瞬間にラザファムが起きた。とっさにアルスの手首をつかみ、捻って木の根に押しつける。
「っ!」
少し痛かったが、痛いよりも驚いた。フードを被ったままのラザファムの顔が近かったけれど、逆光になって表情までは見えなかった。
「……アルス様、で」
ボソッとつぶやかれた。
「うん。おはよう」
その途端に、ラザファムはアルスから手を放して飛びのいた。そして、フードをさらに目深に引きずり降ろす。
「すみません、盗賊か何かかと……」
「そうか。なかなかいい動きだったな」
アルスが体を起こして笑うと、ラザファムは項垂れたように見えた。その頭の上にナハティガルが飛んでいった。
「ラザファム、よく眠れた?」
「……ああ」
「ボクの子守歌、いい夢が見られたデショ?」
「…………」
黙った。そうでもなかったのだろう。
アルスはおかしくなって声を立てて笑った。
「朝食にしないか? 今日も歩かなくちゃいけないんだし、力をつけないとな」
「はい。すぐに支度します」
そう言って、ラザファムはやっとフードを外した。表情はいつもと変わりなく見える。疲れは取れただろうか。
「夕食の支度をしてもらったから、朝食は私が――」
アルスが立ち上がりかけると、ラザファムとナハティガルがそろって微妙な顔をした。
「……いえ、お気持ちだけで十分です」
「ラザファム、食材が無駄になりますからって、ちゃんと断りなよ」
「ナハ、お前……さすがにそれはひどくないか」
旅に出る前に、料理の本も少しくらいは読んできたのに。実践したことがないだけだ。
ムッとしてみたものの、ラザファムはアルスには一切任せてくれなかった。信用がないらしい。
けれど、ラザファムの方が器用なのは事実だ。アルスは諦めて差し出されたものを受け取る。
カップの中はベーコン、ドライトマト、オートミールなど具だくさんのスープで、そこに蓋をするようにこんがりと炙られたパンが添えられている。
アルスはパンをスープに浸しながら食べた。味つけは塩だけだが、具材から旨味が出ている。ほんのりとスパイスの香りもした。
やっぱり、アルスが作るよりも美味しいのだろう。残念ながら。
「昼までにはユング村へ入れるはずです。そして、その次はヴァイゼの町を目指します。恐らく、ここがノルデンへ向かう道中では最後に訪れる町かと」
ラザファムがポツリとそんなことを言った。その発言にドキリとする。
峠からは見えたし、着実にノルデンへ近づいているのだと実感できたから。
「あと少しなんだな」
「少し……と言いきれる距離ではありませんが、ノルデンの近くに町がないということですよ」
小さな村ならばまだしも、多くの人は魔の国の近くになど住みたがらないので無理もない。だからこそノルデンは流刑地なのだ。
「隣国レプシウスとの国境に近いところだな」
「ええ。ヴァイゼの町から東にあるシュミッツ砦が関所ですから」
「レプシウスな。ディートリヒは食えないオヤジだから、姉様も大変だ」
「……さすがに呼び捨てとオヤジ扱いはどうかと思いますが。友好国ですし」
「姉様を見る目が好色オヤジだからな。私からの評価がその程度なのは仕方がない」
姉が結婚する前から、顔を合わせると嫁に来いというようなことばかり言っていた。あれは全部冗談だと姉は笑っていたけれど、女好きなのは間違いないと思う。ただの女好きではないというだけで。
ノルデンを目指すにあたり、別に顔を合わせることもないだろうから、どうでもいいけれど。