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Blue Bird Blazon ~アルスの旅~  作者: 五十鈴 りく
第3章 心を支えて
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9◆浮かない

 昨日の分厚い雲は流れ、風も穏やかだ。

 アルスは剣と荷物とを舟底に下ろし、ゆったりと舟に身を任せていた。舟を漕ぎ始めたら、ヤソンの無駄口が極端に減った。川の流れが思ったよりも速かったのかもしれない。

 もちろん川の流れがあるから最短の距離を舟が渡れるわけではない。斜めに横断することになるが、多分予定よりも少し流されている。とはいえ、支障があるほどではないだろう。


「手伝うか?」


 ラザファムが声をかけたら、ヤソンは犬が牙を剥くようにして顔をしかめた。


「そんな細腕で手伝うだって? なんの足しにもならねぇから座ってろ」


 余計な申し出は彼の矜持を傷つけたらしい。ラザファムはそれ以上何も言わなかった。

 ラザファムが手伝う場合、一緒に漕ぐのではなく精霊の力を頼るということなのだが、そんなことは伝わらない。


 エンテは彼の膝の上から舟縁に手をかけて川を眺めている。アルスもナハティガルの入った籠を抱えながら風景に見入っていた。

 水面は光を受けて宝石を散りばめたように煌めいていたし、水辺の草木も雨の名残を残しつつもピンと伸びていた。風には冷たさもあるが、柔らかな日差しがそれを和らげてくれていて、舟の揺れも心地が良かった。城にいたらこんな体験はしなかったなと思う。


 これ以上流されるようなら、ラザファムが言わずともエンテが修正してくれるだろう。アルスはあまり深刻には考えていなかった。


 向う岸が見えたから、半分以上来たのだ。

 もう安心だと思えた時、舟に何かがぶつかったような衝撃があった。側面に漂流物が当たったのかもしれない。


「っ!」


 耐えられないものではなかったのだが、アルスはよそ見をしていたので構えていなかった。よろけて舟縁に肩をぶつけた。

 それは大した痛みではなかったけれど、その拍子にナハティガルの入った籠が吹き飛び、川に投げ出された。


「ナハっ!!」


 アルスは舟縁に両手をかけて叫んだ。

 ナハティガルはまだ寝ている。籠はアルスの手を離れてしまい、清らかな川を流れていく。


 この時のアルスは何かを考えるよりも早く、足が舟縁を越えていた。

 激しい水音が立ち、ラザファムの鋭い声が上の方から聞こえた。その水音を立てたのは、他の誰でもないアルス自身だと気づいたのが遅かった。




 ――人は水に浮くと聞いていた。けれど、そんなのは嘘だと知った。

 アルスは沈む。ナハティガルだけが浮いていて流れていく。


 早く、取り戻さないと。

 気持ちだけが焦るのに、何もできない。


 いつもそうだ。気持ちだけ先走って、アルスは何もできない。

 そして、大切なものをたくさん失っていく。


 ごぼ、と息が泡になって逃げた。


 すると、アルスの近くに光が感じられた。光は、アルスを冷たい水から護るように力強く包み込む。上に向かって浮かび、水面から顔を上げた時、その光をまとっていたのがラザファムだと知った。

 ゴホゴホとむせ返るアルスを支えながら、ラザファムの腕が舟に向かって伸びた。


「ほら、つかまれ!」


 ヤソンの焦った声がする。ラザファムは声を震わせ、アルスに言った。


「彼に引き上げてもらいます。手を伸ばせますか? 僕の肩を踏んで上がってください」

「ナ、ナハ、が」


 それだけ言うのがやっとだった。アルスを支えるラザファムの腕に力が籠る。


「エンテが回収してくれました」


 それを聞き、アルスの胸にじわじわと安堵が広がった。

 体に力が湧いて、手を伸ばす。ヤソンがアルスの手を引き、引っ張り上げてくれた。


 その後、ラザファムにも手を貸し、二人とも舟に引き上げられる。水を含んだ二人は重たかったのか、驚きすぎて疲れたのか、ヤソンは肩で息をしていた。


 そして、ナハティガルの入った籠をカモメになったエンテが咥えて戻ってきた。籠から水が滴っている。


「ナハ!」


 その濡れた籠を抱き締め、アルスはぐしゃりと顔を歪めた。


 アルスが旅に出ると言い出して、嫌がるナハティガルを付き合わせた。この旅でナハティガルにまで何かあったら、アルスは後悔するばかりか立ち直れないだろう。


 ナハティガルはこんなことがあってもまだ寝ている。信じられない。

 腹が立つのとほっとしたのとで涙が零れたけれど、こんなにも濡れていたら気づかれなかっただろう。


「ありがとう、エンテ」

「いえ。ナハティガルなんて流されても溺れませんし、勝手に戻ってきたと思いますが」


 カモメの姿のまま、エンテは手厳しいことをぼやいた。精霊なのだから、溺れたりはしないのかもしれない。けれど、とっさにそこまでは考えられなかった。


 猫がカモメになったり、喋ったり、ヤソンには信じられないようなことが起こっている。舟の上で愕然としていた。


「あんたたち、一体……」


 ラザファムはふぅ、とひとつ息をついてから諦めたようだった。


「僕は精霊術師なんだ。実は猫じゃなくて精霊で、だからいろんな姿になれる」

「せ、精霊……」


 地方で普通に生活していたら、精霊に会うことはあまりないはずだ。驚いただろう。それでも、目の当たりにしたものを信じないわけにはいかない。


「すまないが、このことは他言しないでほしい。頼む」


 ラザファムが穏やかに言うと、ヤソンはうなずいた。


「あ、ああ。何か事情があるんだろうな。……それで、言いにくいんだが、今ので予定よりも流されたみたいだ」

「わかった」


 エンテは舟の舳先に立ち、ふわりと白い光を放つ。アルスが川の中で見た光だ。ラザファムはエンテの力を借りてアルスを助けてくれたらしい。


「漕いでくれ。今なら戻れるはずだ」


 ラザファムに促され、ヤソンは再びせっせと舟を漕ぎ始めた。

 白いカモメが護る舟は川の流れに逆らう。向こう岸に舟が着いた時、一番ほっとしたのはヤソンかもしれない。


「北に船着き場はないから、もし戻ろうと思ったらトーレス村に連絡を入れて迎えを頼むしかねぇんだ。やり方としては川辺から狼煙を上げるんだ。そこに休憩所があって、狼煙の道具はそろってる。ああ、そこで着替えくらいはできるかもな。あと、もう少し行くと一軒だけ宿があるぞ」

「ありがとう」


 アルスが服の裾を絞りながら礼を言うと、苦笑された。こんな客は二度と御免だろう。

 帰りはこのルートではなく、別のところを通ろう。人間が浮かないことを知った今はもう、川を渡るのはこりごりだと思ってしまった。


 その休憩所とやらはすぐそこの、見えるところにあった。


「どうぞお先に使ってください」


 ラザファムもびしょ濡れだ。昨日に引き続き今日も。

 昨日の雨はアルスのせいではないと言い張れたが、今日はとても言えない。しょんぼりと項垂れてうなずいた。


「わかった。すぐ着替える」


 ――アルスの行動に対し、ラザファムは何故だか怒らない。こういう軽率な行動はラザファムの最も嫌うところだろうに。

 ヤソンの手前だからか。あとでまとめて説教を食らうだけかもしれない。


 着替えながら覚悟を決めて、しっかり怒られよう。


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