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Blue Bird Blazon ~アルスの旅~  作者: 五十鈴 りく
第3章 心を支えて
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4◆創世記

 礼拝堂の中で、初老の男性が数人の子供たちを相手に読み聞かせを行っているようだった。

 大声を出しているわけではないのに、雨の音に掻き消されずに声がはっきりと聞こえてくる。


 誰もがよく知る創世記だ。

 アルスも子供の頃からことあるごとに聞かされ、諳んじることができる。


 ――この世界は無から始まった。


   無から精霊王がお生まれになった。

   精霊王のひとひらの鱗片から、大陸が創られた。

   精霊王のひと雫の涙から海が創られた。

   精霊王の血から(つがい)が生まれた。


   精霊王の番は精霊を生んだ。

   精霊王の番は人を創った。

   精霊王の番は数多の生き物を創った。


   いにしえの国は、原初の人が興した国。

   精霊は、原初の人を友とせん。


   精霊王は天におわす。

   精霊王の番は地に眠る。


 これを伝えたのは誰なのか、歴史家たちは議論を続けている。

 諸説あるが、いずれかの精霊であるとされている。その個体の特定には至っていない。

 現存する精霊たちに訊ねても、そんな昔のことは知らないのだと言う。


 言葉の通りに受け取るのなら、精霊王の番が創ったとされる人もまた精霊の子供であって、精霊たちと人とは兄弟のようなものということになる。それにしては性質がまるで違うのだが。

 創世記はものの例えであって、本質は違うということだ。とても曖昧に言い表されている。


 精霊と人を創った精霊王の番は地に眠るというが、これは人に例えるのなら埋葬された状態で、つまりが精霊王の番はすでに消滅していると受け取れる。

 事実、精霊たちも精霊王の番は精霊界にはいないと言うのだから。


 精霊王は、自らの番が創った精霊と人とを慈しんでくれている。

 レムクール王国がいにしえの国、王族が原初の人でアルスの祖先でもある。だから、精霊たちにとってレムクール王族は特別なのだ。


 ラザファムの腕から降りたエンテは、パシン、パシン、と床に尻尾を叩きつけていた。雨に濡れた水切りだろうか。飛沫が飛び散る。


「ファティ様、〈つがい〉ってなぁに?」


 小さな女の子が訊ねる。まだ四つか五つといったところだ。

 ファティと呼ばれた教師は優しくうなずく。


「伴侶のことだよ。人で言うと、結婚した二人が番だ」

「精霊王さまとおきさきさまの子供が精霊たちで、えっと、人間も? でも、人間は人間から生まれるのに」

「そうだね。でも、一番最初の人にお父さんとお母さんはいなかったんだよ」

「???」


 女の子はまだ理解できないようだった。無理もない。

 昔のアルスも同じような質問をかなりしつこくして、周囲を困らせていた。教師が一番困ったのは、精霊の番が創らなくなったのなら、人間の子供がどうやってできるのかという質問かもしれないが。


 懐かしいような微笑ましいような気分でアルスは眺めていたけれど、不意にくしゃみが出た。そうしたら、エンテが足元でオロオロしていた。

 この時、創世記の読み聞かせは中断され、ファティと呼ばれた教師はアルスたちに目を向けた。それにつられて子供たちも。


「旅の方ですか? 随分濡れてしまったようですね。火のそばへどうぞ」


 ファティは柔和な笑みを浮かべる。白衣を纏っているが、治療師ではなく教師――人々に精霊王の有難さを説き、教化して正しい道徳性へと導く存在だ。


 ナーエ村での一件のせいでセイファート教団関係者がすべて腹黒いような気になってしまうが、そんなわけではない。子供たちに向ける眼差しの優しさに嘘はなかった。


「ありがとう。助かる」


 ファティは年長の子供に頼み、濡れた二人のために体を拭く綿布を持ってきてくれた。暖炉のそばに二人を座らせてくれる。

 この時、中でもまだ幼い子供たちが目ざとくエンテを見つけて嬉しそうに声を上げた。


「あー! 猫ちゃん!」


 エンテはびっくりして固まったが、子供たちは無遠慮にエンテに構い出した。


「拭いてあげる!」

「あたしがやるー!」

「ぼくもっ!」


 頼むからただの猫のフリをしていてくれとエンテに願った。

 ラザファムは、それを横目にファティに問いかける。


「雨がひどいので子供たちだけ避難してきたのですか?」

「いえ、この子たちはもともとセイファート教団の保護を受けているのです」

「そうでしたか……」


 ラザファムはそれ以上何も言えないようだった。

 つまり、この子たちは孤児なのだ。護ってくれる親がいない。だから、代わって教団がこの子たちを育てている。

 それでも、子供たちの表情は明るかった。健やかに育っているのは、ファティが大事にしてくれているからだろう。


「あなた方はどちらへ向かわれるところですか?」


 その問いかけに、アルスはすかさず答える。


「北へ」


 そうしたら、ファティは軽く首を揺らした。子供たちがエンテを囲んで騒ぎ立てる中、優しい声で言う。


「北ですか……。この雨ではペイフェール川が増水してしまいます。少し待たないと渡れないかもしれません」

「えっ! それは困る」


 アルスが困ったところで川の水は減らないのだが、思わず言ってしまった。


「お急ぎですか?」

「そうなんだ」


 散々寄り道をしておいて、とラザファムは思っているかもしれないが、そちらは向かない。あれは必要な寄り道だったのだから。


「しかし、こればかりは。ペイフェール川には以前橋が架かっていたのですが、今は舟での行き来だけになっているのです」

「どうして橋はなくなったんだ?」

「魔族が増えたせいです。北から獣型の魔族が橋を渡ってきたことがあって、ずっと架けたままでいると被害に遭うのはこのトーレス村ですから」

「……橋を外したことで魔族は減ったか?」

「空を飛べる魔族に関してはそう言いきれませんが、四つ足の魔族は減ったのではないかと」

「そうか」


 そんなにも魔族が増えているのだ。少し前ならば考えられなかった。

 そうすると、ノルデンだけではなく、北寄りの町村はどうなっているのだろう。ルートがトーレス村を通る方だけではないから、別の道を選んでいるとも考えられるが。


 橋を外してしまうほど深刻なら、国がもう少し対策をしないと民が困ってしまう。どうにも後手に回っている感じが否めない。

 ファティは陰鬱な雨の音に気分が引きずられるのか、ひとつ息を吐いた。


「とにかく雨がやむのを待つしかありません。今日の宿はお決まりですか?」

「いや、雨が降ってきてここに飛び込んだくらいだから、まだ何も」


 そこで子供たちの声が割り込んだ。


「もっと猫ちゃんと一緒にいたい! ねえ、いいでしょ?」


 その発言に一番うんざりしたのは当の猫ちゃんだっただろう。無気力に子供の腕に抱かれている。蛇にでもなっておけばよかったと、エンテはひどく後悔している気がした。


「この猫ちゃん、なんて名前?」

「エンテだ」


 ラザファムが苦笑しながら答えた。本当は猫じゃないけど、というセリフは呑み込んで。


「次はぼくがエンテをだっこする!」

「えー! 次はあたし!」


 大人気だ。とても嫌な顔をしているけれど。

 神経質なエンテには子供たちの声は甲高いのかもしれない。

 ファティは子供たちがはしゃいでいて嬉しかったのか、にこやかに言った。


「食事は簡単なものしか出せませんが、それでよろしければお部屋をお貸ししましょうか?」


 アルスとラザファムは顔を見合わせた。この雨の中、宿を探しに行かなくて済むのはありがたい。泊めてくれるというのなら助かる。

 ――ここはエンテに犠牲になってもらおう。


「ありがとうございます、助かります」


 ラザファムはそう答えた後、目でエンテに詫びたように見えた。


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