3◆雷鳴
天高くに分厚い暗色の雲が見えた。
北から――魔の国の方から峠を越えて流れてくる。魔の国の方角はいつでも薄暗い。
ああした暗い雲は雨を連れてくる。クラウスがいるノルデンも雨が多いのだろうか。
歩きながらアルスがそんなことを考えていると、空を見上げた鼻先に雨粒が落ちた。
「あっ、降ってきた」
トーレス村まであと少しというところまで来ていたのに、にわか雨にしてやられた。最初は数滴だったものが、瞬く間に雲が連れてきたのは雨ではなくて滝なのではないかと思わせる降水量になる。
雨が激しさを増しても、アルスたちは足を止めなかった。あと少しなのだ。走り抜けてしまいたい。
「姫様、ここは私が――」
エンテは泡の中に隠れたような膜を張り、雨を避けて宙に浮かんでいた。アルスを雨から庇おうと張りきるも、村は目前である。精霊の力で雨を避けながらやってきた旅人が普通のわけがない。村人に警戒されてしまう気がした。
「いや、誰が見ているかわからない。走ればすぐだから、急いで村に行こう」
エンテは残念そうだったが、ラザファムは何も言わずアルスに従った。
ラザファムは空飛ぶ猫を抱きかかえる。途端に膜は消え、そうしているとエンテもただの濡れた白猫だ。こんな小さな村で精霊術師を名乗れば、ラザファムまで目立ってしまうので仕方がない。
アルスはポケットからハンカチを取り出し、ナハティガルに被せた。いい加減に起きろと腹立たしく思いながら。
ただ、この雨ではハンカチで凌ぐどころか、籠でなければナハティガルは雨水に浸ったことだろう。水の溜まらない籠でよかった。
「アルス様、足元に気をつけてください」
泥水が水溜まりを作る。それを言ったラザファムもすでにずぶ濡れだった。
どうにかトーレス村の木戸を潜ったけれど、雨で視界が白んで、すぐに雨宿りできるところが探せない。とりあえず進んだら、三角屋根の礼拝堂らしき建物が見えた。
そこを目指して急ぐ。軒下に辿り着くと、アルスは全身から水が滴り落ちているのを感じた。服も髪も肌に張りついて気持ちが悪い。荷物も濡れてしまったが、中は大丈夫だろうか。
ナハティガルの自慢の羽も濡れている。後で拭いてやろう。
濡れそぼってもまだ、むにゃむにゃ言っている。
――明日にはいい加減に揺さぶって起こしてやりたい。
アルスが職務怠慢とも言えるナハティガルにそんなことを思っていると、急に周囲が光った。そして、地響きを伴うようなひどい轟音が追ってくる。
「っ!」
どこかに雷が落ちたのかもしれない。驚いて、アルスはとっさに手近なものにしがみついた。
雷をこんなに身近に感じたのは初めてだった。話には聞いていたが、城の中から体感するのとはまるで違う。精霊が護ってくれるでもなく、城や丈夫な屋敷に住めない庶民にとっては恐ろしいものだなと改めて思った。
「…………」
アルスがしがみついた何かが身じろぎした。そこでようやく、何にしがみついたのかに気づいた。
アルスと同じくびしょ濡れのラザファムである。これはきっと嫌そうな顔をしているなと思ったら、ひどく困った顔をしていた。それに、顔が赤い。
「ラザファム、もしかして熱があるのか? 顔が赤いぞ」
雨に濡れてしまったから、寒かったのかもしれない。アルスも寒いし、濡れた服は冷たかった。
アルスが手を伸ばしてラザファムの額に触れようとしたら、ラザファムはサッと頭を反らしてアルスの手を躱した。
「……熱なんてありませんよ」
「でも――」
「中に入れてもらいましょう。アルス様の方が風邪をお召しになってしまいますので」
「う、うん」
旅先で寝込むほど厄介なことはない。
ラザファムの口調がどこか怒っているように聞こえて、アルスは反論するのをやめた。素直にエンテに頼めば濡れなかったのにと思ったのかもしれない。目立つといけないとか、余計なことを考えたら裏目に出たのが申し訳ない。
礼拝堂の中からは話声が聞こえた。ラザファムは礼拝堂の扉をそっと開く。
エンテにただの傘に化けてもらうのもアリなんですけど、多分プライドが許さない(笑)
わりと面倒くさい子です(*‘∀‘)