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Blue Bird Blazon ~アルスの旅~  作者: 五十鈴 りく
第3章 心を支えて
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2◆セイファート教団本部にて

 レムクール王国南、セイファート教団本部――。

 部屋の窓から、白く美しい霊峰が遠くに見える。あれは精霊界に通ずると信じられている聖域だ。


 セイファート教団本部は、王都メルヒオルの王城に次いで大きく荘厳な建造物である。王城は白亜の城だが、この教団本部は淡い水色で、敷地のそこかしこに造られた水路を澄んだ水が流れている。いかにも清らかな地であった。


「弟子の報告によると、ナーエ村にいた治療師が魔属性の植物の種を持っていたという話だが?」


 レムクール王国女王トルデリーゼの夫君ベルノルトは、貴賓用の椅子でふんぞり返って大司教に説明を求めている。

 淡い緑色の髪、浅黒い肌、金色を帯びた瞳、そのどれをとってもレムクール王国の民とは違った。ベルノルトはレムクール王国の者ではなく、今は亡きレクラムという国の末裔である。


 しかし、ベルノルトの金色の瞳に射竦められても、大司教は顔色ひとつ変えなかった。


 セイファート教団大司教、グントラム・ヘンデル。

 ベルノルトから見て祖父のような年齢の老人だが、髪も眉も髭にも霜が降りているというのに、未だに弱々しさは感じ取れなかった。聖職者とはいえ頂点争いの末にそこにいるのだから、ただの好々爺ではない。


「ナーエ村に派遣されておりました治療師ルスカとは連絡が途絶えております。真偽のほどはまだ確かめられておりません」

「生きてはいないのだろう。そう報告を受けている。この報告をした者は私が最も信頼する弟子だ。まず嘘はないが、そこには精霊も二体立ち会ったと言っておこう」


 ベルノルトは単身でここへ出向いたが、それは人間が一人という意味である。傍らには、前国王の守護精霊まで務めた精霊シュヴァーンが小さな白鼠の姿で服の下に潜り込んでいる。もちろん、大司教もそれくらいは承知の上だ。


 そうですか、とつぶやいて大司教は嘆息する。


「ルスカ師のこれまでの経歴をまとめておきました。しかし、彼はこれといって目立つ存在ではなかったようです」


 机の上に針でまとめられた紙束が置かれていた。それを大司教は、枯れ枝のごとき指で向かいのベルノルトに押し出す。ベルノルトはその紙束を手に取り、ざっと目を通した。

 大司教が言うように、そこに書かれている経歴はごく平凡なものだった。


 ――ヨアヒム・ルスカ。

 三十六歳。第三級治療師。ラインターラーの町で、アンディ・ルスカとその妻ダニエラの次男として生まれる。

 ルーテンフランツ宗教学校卒。セイファート教団治療師となった後、エイセル村へ配属される。三年後、ユング村へ転属。五年勤めた後、ローベ村へ転属。五年勤めた後、ナーエ村へ転属。ナーエ村滞在歴一年。


 特別優秀ということもなければ、問題もない。

 こんな人物が何故、違法植物の種を所持し、魔族らしき者と接触したというのだろうか。


「ナーエ村前村長、グンター・ニコライの罪状に関しては見直し次第減刑という処置を行う可能性がある。まったくの無罪とまではいかずとも、ノルデンから連れ戻してやれたらと考えている」


 ただし、ノルデンは魔の国から近く、魔の気配が濃い。それ故に、精霊を使いには出せないのだ。精霊ですら単身で多勢の魔族に遭遇すれば無事とは言えない。

 危険を承知で人が行き来するしかなく、少々時間がかかってしまうのは否めない。ノルデンは、終身刑の流刑地であり、罪人が戻った(ためし)などほとんどないのだ。それほどに、人々は魔を忌避する。


 特赦の報を王都から使者が携えて到着するよりも、アルステーデたちがノルデンに辿り着く方が先だろう。

 その時、アルステーデとラザファムが冷静な判断力を持っているかどうかは何とも言えない。


「一体今、世界(エーレ)では何が起こっているのだろうな?」


 思わず口から零れた。それを知るためにここへ来たつもりだけれど、そう簡単なことではない。

 大司教はさも心を痛めているといったふうにかぶりを振った。


「今まで以上にラントエンゲの魔族が力を持ち始めているのは間違いございません。二年前のあの忌まわしい出来事がそれを物語っております。……アルステーデ姫様はいかがお過ごしでしょうか?」


 ――二年前。

 王女アルステーデとその婚約者であるクラウスは、この精霊王に護られたレムクール王国の中で人型の魔族に襲われた。

 それも、セイファート教団の管理下にある別荘地でのことだった。


 アルスによると、その魔族は人に似た姿ではあったものの、強靭で冷酷だという。自分たちではまったく歯が立たなかったと。


「アルステーデならば息災だ」

「それをお聞きして安堵致しましたが、アルステーデ姫様のご婚約の発表はなされておりませんね。やはり、お心の傷は癒えないままなのでしょうか」

「まあ、クラウスとは昨日今日の付き合いではなかったからな」


 部屋に籠ってシクシクと泣いているような姫君と思うのなら見くびりすぎだろう。

 アルステーデは諦めるという選択をしない姫なのだ。婚約の発表どころか、クラウスとの婚約を破棄したつもりすらない。

 魔に染められて追放されたクラウスを追ってノルデンへ旅立つという無茶をするほどだ。


 クラウスはそんな経緯で向かわされたノルデンで人を恨まずに過ごせているだろうか。魔の属性に傾いたことで彼の心も見た目以上に変わってしまっている可能性が大きい。

 だからこそ、元通りの暮らしをさせられなかった。


 アルステーデは、そんなクラウスに会って悲しまないだろうか。それでも、傷ついたとしても彼女が前に進むためには必要な傷もあるのか。

 考え出すときりがないことだ。


 それにしても、二年前から何かが狂い出したというのだろうか。

 もしくは、ずっと以前から均衡が崩れていて、その影響が出始めたのが二年前なのか。


「――時に、次の精誕祭(せいたんさい)の支度は滞りないだろうか?」


 ベルノルトがそれを問うと、大司教は身じろぎひとつせずに微笑んだ。


「ええ、もちろんでございます。すべて滞りなく」


 治療師の一人がよからぬ企みの末に不審死したところで、教団には何の影響もないらしい。しかし、ベルノルトが言いたいのはそこではない。


 創世記念の式典である精誕祭は、国を挙げての一大行事だ。毎年春の朔日、盛大に執り行われる。

 この時、大司教と女王が精霊王へ祈りを捧げ、変わりない友愛の証として精霊界におわす精霊王から精霊の使者が遣わされる。

 そして、その使者が携えてきた精霊王の御力によってレムクール王国は一年の加護を受ける。


 ベルノルトの祖国、今は無きレクラム王国でも精誕の儀は欠かさず執り行われていた。幼い頃の記憶しかないのでうろ覚えだが、小国故にかレムクール王国ほど大々的ではなかったように思う。


 儀式はデモンストレーションに過ぎないとしても、精霊王は変わらぬものを好むと精霊たちは言う。精霊王の言葉は人が聞けるものではなく、精霊たちを介してしか伝わらない。


 シュヴァーンや女王の守護精霊ファルケ、近しい精霊たちは精霊王のことを多く語らない。それにベルノルトが気づいたのはいつ頃だっただろう。


 ナハティガルのように精霊界帰りをしていないのならば何も知らなくても仕方ないが、他の精霊たちは意図して避けているのではないかという気がした。こちらから訊ねても答えは得られないだろう。触れてはならないとばかりに。


 不穏な影が、どこまで世界(エーレ)を覆っていくのか。


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