17◆活躍
治療師は息をしているのだが、意識は曖昧なようだった。
「詳しくはわかりませんが、トラウゴット草の毒素か何かを吸い過ぎたのかもしれません」
「身から出た錆だしな。後回しだ」
ひどいようだが、どちらかを取るしかないなら赤ん坊とその母親の方を優先したい。あちらにはなんの罪もないはずだ。
「ナハ、赤ん坊はどんな感じだった?」
「生きてるけど、あんまよくない」
陽の下では生きられないと言われた。そんなことがあるものだろうか。
ナハティガルはふぅふぅと荒く息をしている。やはり疲れさせてしまったらしい。
ラザファムの手の甲がポゥッと光った。どうやら精霊と交信している。
「――ヴィルトをこちらに呼びました。コルトを置いては来れませんので、一緒に来てもらいます。具合はずいぶんよくなったそうなので」
「うん、でもな……」
コルトにとってこの館に来るのはつらいことのようにも思われた。
しかし、ラザファムはほんの少し、口元だけで微笑んだ。
「大丈夫です。コルトは強くて、それから優しい子ですから」
「う、うん」
アルスたちは部屋に戻った。ハインと老婆の声が聞こえてくる。
「ゼルマ、私の声が聞こえるかっ?」
「奥様、気を確かに!」
生あたたかい気が部屋に立ち込めている。
母親の意識が戻らないようだ。赤ん坊は母親の枕元にいる。
「ナハ、あれはどういう状態なんだ?」
いつも通り肩に停まれずにずり落ちてきたナハティガルを、アルスはぬいぐるみのようにして抱えた。
「魔性の気に当たりすぎたんだね。あのヒトがさ、多分変なもの飲ませてたんだと思う」
コルトの父親と同じように、彼女も治療師から滋養がある薬だと言われれば疑わなかったはずだ。
あの治療師は赤ん坊を連れ去ろうとした。魔性の気を受けた赤ん坊を欲しがっていたと考えるべきだろうか。
一体そこになんの意味があるのかはわからないが、ひどくおぞましいことに思える。こんなことは二度とあってはならない。
「ナハ、赤ん坊もよくないって言ったな?」
「うん。魔性の気配がまるで魔族――とまでは言わないけど、結構強いの。どう育つのかわかんない」
「さっきみたいに浄化できるか?」
アルスが簡単に言うから、ナハティガルは怒ったのかもしれない。それでも、いつものように騒がしくないのはやはり疲れているからだろう。
「そー簡単なコトじゃないんだけど?」
「だとしても……」
産声も上げなかった。置物のように静かな赤ん坊だ。
アルスは歩み寄り、そっと赤ん坊を覗き込もうとした。
しかしその時、母親がハッと目を覚ましてアルスを見据えたのだ。明るい茶色の瞳が懇願する。
「こ、この子を助けて……っ」
この時、アルスは息が止まりそうになった。
母と同じ色の瞳をした女性だった。妹のパウリーゼを産み、そして亡くなってしまったけれど、姉によく似て嫋やかな優しい母だった。その母と目の前の女性が僅かに重なる。
「ナハ、頼む」
声が震えた。
そんなアルスの心を、ナハティガルは誰よりも敏感に感じたはずだ。
よっこいしょぉ、と精霊らしくない掛け声と共に体を起こす。
「まったく、アルスは精霊使いが荒いんだからぁ」
ぼやきながらも、青白い肌をした赤ん坊の上を飛び、光を撒く。
アルスは手を組み、精霊王に祈ることしかできなかった。どうかナハティガルに力を貸してください、と。
ナハティガルは、ふぅふぅと息を切らし、アルスのところへ飛んでくると墜落した。それを慌ててキャッチする。
「づがれだ」
疲れたのは本当だろう。今日はたっぷり労ってやりたい。
「ありがとう、ナハ」
よしよし、と羽を撫でたが、ナハティガルはいつものようにうるさく騒がなかった。
けれど、ナハティガルの頑張りの甲斐あって、赤ん坊が泣き声を上げた。
まだ弱々しい声でも、そこには生命力が感じ取れる。
「ああ、赤ちゃんはご無事なんですね!」
老婆が赤ん坊を抱き、涙を流しながらあやす。
ふぎゃふぎゃと赤ん坊らしく泣く声に、アルスもほっとした。
けれど――。
「ゼルマ?」
ハインが妻の名を呼ぶ。
返事はなかった。
ハインはベッドに片膝をつくと、妻の薄い肩を強請った。
「ゼルマ? おい、寝ているのか?」
我が子の無事を見届け、永遠の眠りについた。
アルスたちは呆然と立ち尽くすばかりだった――。