17◆少し先の未来
会議室を出て、ラザファムは自室に戻ろうとした。
考えなくてはならないことが多い。まず、一度家に戻って両親と話すべきだろう。
これが何より苦痛なのだが、そうも言っていられない。
兄は処罰の後、家から出されることになる。特に母はショックを受けているだろうし、父もさすがに平気ではないはずだ。
それを思うと胃の腑が絞めつけられる。
思わずため息をついていたら、目の前に白い影が見えた。白い翼を大きく広げ、長い首をもたげるように、アーケードに立ち塞がる。
「……アードラ?」
守護精霊のアードラがいるということは、パウリーゼが近くにいるわけである。
「しばしお時間をば頂きたく!」
時間をくれと。
なんとなく大きな鳥に威嚇されている気分だが。
振り向く前に下から腕を取られた。パウリーゼから甘い匂いがする。
「こっちでお茶にしましょう。招待するわ」
そのまま中庭に引っ張っていかれた。力でなら抵抗もできるが、立場上は無理である。
緑の庭園で、ふわふわと広がる金の髪が日の光を受けて輝く。ラザファムは腕を引かれながらパウリーゼの背中を眺めた。
背が伸びたと思うのは気のせいだろうか。伸びたのは髪かもしれない。
「さあ、座って」
ベルノルトたちとの話が終わるのを待ち構えていたらしく、茶会の準備は万端だった。
パウリーゼの好みらしい煌びやかな菓子と華やかなティーセットが並べられている。白いテーブルクロスの上に飾られた淡い桃色の花は彼女によく似合った。
こうして彼女の茶会に呼ばれるのは初めてのことではなかった。あの頃はアルスの妹として大事に接していたつもりだったけれど、パウリーゼの方はラザファムを姉の友人として見ていたわけではなかったのか。
「……お招き頂き、ありがとう存じ上げます」
座って社交辞令を述べると、パウリーゼは呆れたように目を瞬いた。
「顔が笑っていないわ。迷惑なの?」
「いえ、そのようなことは……」
コポコポと紅茶が注がれ、気まずいながらにパウリーゼと向き合う。
けれど、楽しげな彼女に対し仏頂面で向き合うのは失礼かと、どうにか笑顔を作るが逆に噴き出すように笑われてしまった。
そんなパウリーゼを見ていて少し心が解れた。すると、ポツリと言葉が漏れる。
「グンター殿にあなたがお言葉をかけてくださって、彼だけでなく僕も救われました。あなたをまだ幼いと思っていましたが、実は僕よりもずっと大人でしたね」
未熟なラザファムより余程――と本気で思う。
パウリーゼはそんな賛辞を笑顔で受け止めた。甘いクッキーを頬張り、それを呑み込んでから答える。
「わたしは王族だもの。人がどんな言葉を欲しているのか、それを察するのが務めなの」
パウリーゼはこう言うが、アルスに関してはそれを考えて行っているのではなく、感覚や感性で動いている気はするけれど。
この年齢でそこに気づけるのはさすがと言えるだろう。
「僕では罪の意識に苦しむ彼を救うことができませんでした」
言葉を重ねるだけ余計に上滑りして、かえってグンターを傷つけてしまうようだった。それが怖くて何も言えなかった。
「そうね」
にっこり笑って肯定された。複雑ではあるが、事実なので仕方がない。
「だからよ。あなたが彼のことを気に病んでいたのなんて、見てすぐにわかったわ。だから、わたしが手を貸したの」
「えっ?」
「頭の固いあなたにはできないから、わたしが助けたの。これでよかったでしょう? 気分は晴れたかしら」
そこまで読んでいたらしい。
本当に、この姫には敵わない。
今度は作り笑いでもなんでもない笑いが込み上げてきて、ラザファムは自然と笑っていた。
「ええ、おかげさまで。ありがとうございます」
ラザファムが笑ったのに、今度はパウリーゼが笑わなかった。
じっと窺い見るような目を向けてくる。今度は何を探りたいのだろうか。
「……何か?」
こちらから訊ねてみると、パウリーゼはどこか拗ねた表情を見せた。皿に載ったカップケーキをフォークで突くけれど、ラザファムから目を離さない。
「ニーダーベルガー公爵家のこと、あなたのお兄様のこと、聞いたわ」
「……はい」
今のラザファムには、パウリーゼが何を言うのか少しも推測できない。この姫はびっくり箱のような人だから。
「大変だったと思うわ。ええ、とてもね。でも――」
そんなことを言いながら首を振る。けれど、いつになく毅然とした声で言った。
「言っておくけれど、わたしのいないところでグロリアに会っては駄目よ。あなたが気の毒な人に泣きつかれて本気で突き放せるとは思わないもの。でも、その同情は違うわ」
会うつもりはないし、同情もしないつもりだ。ただ、少しくらいは可哀想には思っているかもしれない。一連の騒動は彼女のせいではないから。
「そうですね」
それだけ答えて紅茶を口に含んだ。それでもパウリーゼは勘弁してくれなかった。
フォークから手を離し、姿勢を正してラザファムの目を直視してくる。
「ラザファム、わたしの気持ちをはぐらかしている自覚は?」
「……あります」
それはあなたがまだ子供だから。
そう言いたいけれど、それで納得する姫ではないのだろう。
「それって失礼で卑怯なの。わかっているかしら?」
「ええ、まあ」
「結論は四年後って言ったのはわたしかもしれないけれど、不安にならないわけじゃないのよ」
それはきっと、グロリアのせいではなくて。
すでに婚約者がいて、結婚してこの国からも去るというのに、まだ彼女を想い続ける気かと。
――諦めはついているつもりではある。
ラザファムはパウリーゼのまっすぐな視線を受け止め、つぶやいた。
「四年ですね?」
「えっ?」
「四年あれば、僕ももう少し大人になれているでしょうか。今のままだと、あなたの方が精神的に余程大人なので」
「それって……っ」
本当に、可憐な花が綻ぶような笑顔だった。
パウリーゼの熱量は、ラザファムには強すぎる。それでも、自分のたったひと言でこんなにも喜んでくれる人は他にいないのかもしれない。
「四年後、あなたの気が変わっていなければですね」
「その言葉を後悔させてあげる。わたしがやっぱり止めると言ってもあなたが追い縋るような大人になるから」
今ですらこんな関係だ。多分、四年後にはまったく敵わなくなっている。
それを今から感じたけれど。
不思議とラザファムは笑っていた。
この少女はただの子供ではない。ただの子供として扱うべきではなかったのだ。
どんな相手も選り取り見取りであるはずの末姫が、わざわざラザファムを選ぶという。それだけの値打ちをラザファムに見出してくれている。
その事実は、ラザファムにとって今後の自信へと繋がるのかもしれない。
その後で――。
ラザファムは自室に戻るとお守りの小箱を机の上に置いた。
これはもう必要なくて、別のものを用意しなくてはならないのだろう。
ラザファムはそっと箱を開いた。
長年の想いがそこから零れていくように、心が軽くなっていく。
【番外編 ―了―】