13◆法と情と
「兄上……」
兄は、ラザファムがどういった仕事を任されているのかなど知らないのだろう。ラザファム自身が家族にも伝えていないのだからそれは仕方のないことではあるが、ラザファムがリリエンタール公爵家のクラウスと親しいのは知っていたはずだ。
それなのに、リリエンタール公爵家といがみ合うニーダーベルガー公爵家に肩入れする。ジモンの人柄に惹かれて親しくなったのならラザファムがとやかくいうことではないが、そうではない気がした。
ラザファムへの当てつけのつもりであってほしくはなかった。
久しぶりに会った兄は以前よりも痩せたように見えた。顔色も悪く、不摂生が見える。太い眉が顰められ、久々の再会を喜んでいるふうでもない。
母親に似て線の細いラザファムと、父親似で骨太な兄。
似ているのは髪の色くらいのものだ。
「君の精霊術師である弟、つまりあの王配の狗か」
そばにいた男が吐き捨てた。ベルノルトを敬わぬのは父親の影響か。
やはり、ジモン・ニーダーベルガーだ。この時にまだ、彼は自分が優位に立っているような物言いをする。
「……ジモン様がこのようなところにおいでとは。どのようにしてこの暴動を鎮められるおつもりなのでしょう?」
嫌味でもなんでもなく、ラザファムは問いかけた。
本当に、彼や兄が何を考えているのかが理解できない。もう一人いた一番背の高い男がジモンを庇うように前に出る。
彼こそがーヴェの悩みの種だと知った。
これはウーヴェの兄らしい。容姿がとても似ている。
「今、あの男の魔手に落ちるわけにはいかん。亡命する」
「亡命?」
まさかとは思うけれど、その亡命先はレプシウス帝国ではなく、ピゼンデル共和国なのか。
ようやく和平が成ったばかりの国家間だ。揉め事の種を迎え入れるはずがないと考えたが、ニーダーベルガー公には以前からのピゼンデル過激派との繋がりがある。
ピゼンデル共和国のトルナリガ大統領をよく思わない過激派を叩きはしたものの、未だ根絶やしにはできていないだろう。
その過激派と結託し、レムクール王室へ反旗を翻すつもりだとでもいうのだろうか。
馬鹿げている、とラザファムは思う。
けれど、兄はそう思わないのか。ここまで正確に判断できない人だとは知らなかった。
「ニーダーベルガー公はどのようにお考えなのでしょうか? 同じお考えですか?」
亡命が最後の手段だと、父親であるニーダーベルガー公までも考えているのだとしたら最悪だ。
しかし、彼らの苦い顔を見てすぐにそうではないのだとわかった。親子間の話し合いが決裂したから出てきたというところか。
「ここで話し込んで時を浪費してはいけません。さあ、参りましょう」
兄がラザファムからジモンを庇うようにして言った。その様子に、ラザファムは絶望的な気分になる。
「……兄上、ジモン様とご一緒するおつもりですか? 我が家を捨てて? 父上と母上はご存じではないのでしょう?」
父も母も兄に期待を寄せ、大事に扱っていたはずだ。その跡取り息子の愚行を嘆かないわけがない。きっと何も知らされていないのだと感じた。
だからか、これを言った時、兄がカッと激昂した。
「偉そうに口を挟むなっ!」
怒り、不安、怯え。
色々な感情が見える。
兄にとってジモンが、ニーダーベルガー公爵家が最大の後ろ盾であり、命綱だと感じていたのだ。
そのニーダーベルガー公爵家を追い詰めるのが、ラザファムの友人であるクラウスであることが拍車をかけた。今の兄は少しも冷静ではない。
しかし、これが向き合うべき現実だ。
「クラウスはこれからレクラム大公になります。そうなれば、ピゼンデルはクラウスの機嫌を損ねるようなことはしないでしょう。引き渡されるのが落ちです」
こんなものははったりだが、怯んでくれればいいと思った。
けれど、ラザファムが口を開くごとに兄は意固地になる。
「トルナリガ大統領が退陣した場合はその限りではない!」
退陣する予定などないはずだ。まだトルナリガ大統領の任期は残っているし、来期も続投するつもりだと聞いている。国内で絶大な人気を誇るトルナリガ大統領だから、それも可能だろうとベルノルトも考えていた。
もし、退陣することになるのだとしたらそれは不測の事態で、そこにはなんらかの犯罪が絡むのではないだろうか。そう考えてゾッとした。
――駄目だ。話し合いでは解決できそうにない。
「イービス、三人を足止めしてほしい」
精霊は人を傷つけない。それを三人がわかっていなければ、驚いて引くかもしれない。
「彼らを兵に引き渡すか?」
「それは……」
足止めすれば逃げ場を失う。そうすれば、引き渡すのと変わりない。それをラザファムの手で行うことになる。
兄を見限ると、その決意をせねばならない。
クルーガー伯爵家はどうなるのか。けれど、家を優先し法を曲げることなどラザファムには無理なのだ。
ウーヴェとも約束した。
僅かに怯んだ隙に、兄はジモンを連れて逃げようとした。そして、ウーヴェの兄がラザファムに向け、近くに転がっていたガラス瓶を投げつけてきた。
それをイービスが鋭い爪先で弾き落としてくれた。ガラス瓶は地面にぶつかって粉々に砕け散る。
「兄上を――!」
追わなくては。罵倒され、互いに傷つけ合うしかないけれど、それでも。
本音では、ここで逃がして二度と会いたくないような気すらしている。血の繋がった兄なのに、薄情なものだ。
兄弟なのに、尊敬できない。これほど不幸なことがあるだろうか。
ラザファムが踏み出した時、向うで先に逃げた二人がくぐもった声を上げて倒れた。暴徒に見つかったのだと思った。
けれど、兄たちのそばに立っていたのは、荒事とは無縁にしか思えない優美な姿だった。
「ループレヒト……っ」
ループレヒトはなんの感情も浮かべずに兄たちを見下ろしていた。




