11◆明暗
ヴァイゼの町に入ろうとした時、調査隊の一行は門番に止められた。
ただし、ラザファムのことを門番である彼らもすでに知っている。止めたのは不審人物としてということではなかった。
「すみません。今、町の中が、その、騒がしくて……」
番兵が歯切れの悪いことを言う。魔族ではないのなら、それは人が行ったことだ。
「何が起こっているのですか?」
ラザファムの問いかけに、番兵たちは一度顔を見合わせると神妙な面持ちで告げる。
「暴動です。領主館に人が押し寄せていて」
調査隊がヴァイゼを通過し、ノルデンへ行って戻ってくるまでの間にそれが起こったのだ。あの時から不穏なものは感じていたけれど、まだはっきりとした形にはなっていなかった。
「発端はどのようなことでしたか?」
例のピゼンデル過激派との繋がりが露見したのかと思ったが、そうではなかった。それは、起こるべくして起こったと言えるのだろうか。
「ニーダーベルガー公爵令息のジモン様が、王妹殿下の御婚約者であるクラウス・リリエンタール様に狼藉を働き、ここまで逃亡してきたのです。しかし、女王陛下より引渡しの勅命が下りました。それに対し、ニーダーベルガー公とジモン様は籠城を決め込んでしまわれて……」
クラウスの名はもうリリエンタールではなくなるのだが、そんなことまで番兵は知らないのだろう。そして、重要なのはそこではない。
「それで民が抗議していると?」
「はい……」
それは明らかにクラウスの思惑通りだ。
クラウスの方から仕掛け、ジモンは罠に嵌ったのだ。彼自身はそれとまだ気づいていないかもしれない。
狼藉と言うけれど、ジモンがクラウスに優っているのは人生の長さだけであって、かすり傷ひとつ負わせられる腕は持ち合わせていない。クラウスは今、憎たらしいくらい無事に寛いでいることだろう。
それがわかるから、特に心配などしなかった。
「ジモン様が自ら赴けば刑も軽く済むしょう」
「ですが、これまで通りというわけには参りませんので……」
ジモンは嫡男で、ニーダーベルガー公の子は他にグロリアしかいない。彼を欠くということはかなりの痛手だ。
リリエンタール公爵家に対抗するほどの体力は残らないだろう。そもそもが公爵家として存続できるかも怪しい。
そして、この問題はニーダーベルガー公爵家だけに留まらない。王家に不満を持つ貴族が炙り出される。
それがラザファムやウーヴェにも飛び火するのだ。もちろん自分は二心なく仕えているから、疚しいことはない。兄を庇うことはできない。
ただ、それでいいのかという気もする。関係ないと切り捨てればいいのかと。
それが無責任ではないと言えるのか。
「……ラザファム殿、補充のこともありますから町へ立ち寄るしかありませんが」
ウーヴェも気が重い様子だった。互いにため息をつき合う。
それでも、彼がいてくれてよかったとも思う。
「そうですね。けれど、なるべく早く立ち去りましょう。これは僕たちの任務とは別件です。今は報告を兼ねて一度城へ戻らなくては」
ラザファムが今、厄介事に巻き込まれたくないのは、グンターとループレヒトを連れているからだ。
グンターはまだしも、いつループレヒトの記憶が戻るかわからないという不安があった。戻った場合、大人しく従ってはくれないのだろう。
町の中へ入ると、買い物どころではなかった。露店の店主は店先におらず、町のあちこちで人々が声高に話し込んでいる。それが喧嘩にも発展して、ラザファムの腕に停まっていたイービスですら落ち着かない様子だった。敏感なエンテだったらもっと耐えられないだろう。
人の悪意や怒り、そうしたものは調和を好む精霊にとって居心地のよいものではない。ラザファムも頭が痛くなりそうだった。
ラザファムは一度イービスを戻した。
「クラウス様はリリエンタール公爵家の御嫡男でした。ジモン様にとっては元々気に食わない相手ではあったのでしょう」
町を歩きながらウーヴェはため息交じりにつぶやく。
「クラウスはなんでも卒なくこなせて、人当たりよく振舞えても妬みは受けていたかもしれません」
ラザファムがこれを言った時、ウーヴェは何故か苦笑した。
「だから、あなたはクラウス殿と似ておられると言ったのですよ」
「えっ?」
「もちろんこれはあなたの努力の結果ではあるのですが、最年少で精霊術師となったあなたを妬む者がいなかったと思いますか?」
そんなことは気にしてこなかった。
自分を高めることの方が余程重要だったのだから。
「あなたが精霊術師となってから、あなたの兄上はどこに顔を出してもあなたのことばかり訊ねられているそうです。優秀な弟君を持って羨ましいと。いつの間にか、あなたの兄上はあなたと比較されるようになっていたようです」
比較と言うけれど、兄は跡取りの嫡男だ。
しかし、だからこそ、だったのだろうか。
「優秀な兄弟を持つ者の苦悩は、その人にしかわからないのでしょう。だからといって、人のせいにしてはならないところですが」
クラウスの弟のダリウスは、特別な能力は持たない次男だったが、今では公爵家の跡を継ぐべく努力している。ダリウスの苦労は計り知れない。
兄の苦労はダリウスよりもずっと軽いと思ってしまうけれど。
「……弟であるあなたが後継ぎであればよかったのに、とそんなふうに言われてしまえば自身のすべてを否定されてしまうわけです」
「そんなこと――っ」
そんな馬鹿げたことを誰が言うのだ。そして、兄もそれを真に受けると言うのか。
両親のラザファムに対する評価は、確かに精霊術師になってから変わったように思う。
何も期待されていなかったラザファムが、気づけば跡取りである兄を追い詰めていると。
――本当に、前に会ったのはいつだったか。そして、その時に何を話したのか。少しも覚えていない。無関心はどちらだろう。
顔を合わせていないのは、避けられていたせいだったのだろうか。
ウーヴェはそっと、軽く首を揺らした。そこにある感情は憐みだろうか。誰に対してのものかは知らない。
「どんな理由があるにしろ、自らの行いの責めは当人にあります。それは間違いのないことです。ただ、少し、残念には思います。比較されて、そこで奮起すればまた違った結末もあったでしょうに」
道を逸れた兄。
まっすぐに歩んだダリウス。
明暗が残酷なほど浮き彫りになる。
それでも、起こったことは変わらない。
ラザファムは、これ以上目を背けていられない事態に直面するのだ。だとしても、自分を誇れるように生きる。それしかない。
この時、ウーヴェの馬のそばにいたループレヒトはぼうっと二人の話に聞き入っているように見えた。けれど、その端整な顔に感情は浮かんでいなかった。




