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Blue Bird Blazon ~アルスの旅~  作者: 五十鈴 りく
番外編

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7◆ノルデン

 ――空は晴れていて、風は清い。

 皆が忌み嫌った土地を前にして、それでも。


 ラザファムも峠からノルデンを眺めただけで、こうして到来したのは初めてのことである。

 正直に言うなら、思い描いていたところとは違っていた。


 それは、地続きであったはずの魔の国(ラントエンゲ)()()にないからであり、そればかりでもなかった。

 遠目で見た通り、ノルデンは半倒壊していた。ノルデンの、魔の国に近かった方が崩れ、地盤が緩んだのか建物もかなりの数が崩れている。


 ノルデンをよく知るグンターが、当然ながら一番愕然としていた。踏み入る前から奥行きがないのがわかるのだ。

 闇の代わりに、青い海が見える。これはどういうことなのだろうか。


「これはひどい……」


 ウーヴェも絶句した。ノルデンの前の姿を知るわけではないが、今のこの地は罪人であろうと人が住めるようには見えない。


 ただ、これを行ったのは精霊王の(つがい)であるゲオルギアだ。ゲオルギアは人と魔族を創り出した存在である。


 ラザファムは馬になってくれているイービスを一度帰し、エンテを呼んだ。


「エンテ、ノルデンは無人だろうか? 魔の国の様子を窺うことはできるか?」


 この時のエンテはいつもの白猫の姿ではなく、白い鳥になった。エンテは精霊の中でもかなり敏感な性質だ。何かを感じてくれるだろう。


 空高く飛び上がったエンテを、皆は黙って待った。戻ってきたエンテはラザファムの腕に停まる。精霊はまるで羽根のように軽い。


「魔の国はこの大陸から分かたれ、海に流れていったのではないかと……」

「海に流れて?」

「ええ、島と言うのでしょうか。そうしたものになって」


 そんなことが可能なのかと。

 それを行ったのはゲオルギアだ。それならば、ただの人である自分たちには理解できない力が働いている。魔の国を切り離すことで弱体化した魔族を人から護ったということなのだろうか。


 双方は関わり合うべきではなかった。親愛の情が芽生えることも時にはあるかもしれないけれど、すべてがとは言えないのだ。


「それから、魔の気配は微かに。そうですね、言うなれば残り香という程度でしょうか……」


 エンテがそう答える。

 自分で訊ねておきながら、ラザファムはエンテの返答に驚いた。頭のどこかで魔の気配はもうしないのだろうと思い込んでいたのだ。


「微かでも確かにあるのか?」


 エンテが僅かと言うのなら、ナハティガル辺りには感じ取れない程度かもしれない。それを言ったら怒られそうだけれど。


「風に運ばれて漂い、残された気配かもしれません」


 はっきりとは言えなかったのか、エンテが珍しく曖昧なことを言った。


「とにかく、中に入りましょう。詳しく確かめねばなりません」


 ウーヴェの言葉に、ラザファムもうなずく。


「支援班の人たちは入り口で待っていて頂けますか。まずは僕たちが先へ行きます」


 料理番たちまで引き連れて中に踏み入ったのでは何かあった時に彼らまで護らなくてはならない。

 まずは自分の身を自分で護れる者だけで行くべきだろう。グンターだけは来てもらわねばならないが。


 それも承知の上なのだろう。グンターはラザファムの後ろに続いてノルデンへと踏み入る。

 できることならば二度とここへは戻りたくなかっただろうけれど。



     ◇



 そこは寂しい、世界(エーレ)の傷痕だ。

 そんなふうに思えた。


 ここにいた囚人たちは避難したのだから、人間は誰もいないはずだ。興味本位で誰かが立ち入らない限りは。


 草木もあまり生えていない。

 剥き出しの乾いた土。今となってはひび割れて鱗のようだ。


「こちらに私が寝泊まりしていた小屋があります。でも、とても通れそうにありません」


 グンターが指した方角には岩石が転がっている。ノルデンはもとから岩肌に挟まれるような土地であるから、崩れた際にこうなってしまったのだろう。死傷者がいないというのはやはりゲオルギアの慈悲なのか。


 風だけが冷たくラザファムたちの周囲を抜けていく。

 もともと、道というほどの道はない。奥へ進めば魔の国へ続く道があっただけの場所だ。

 何もない。誰もいない。


「あの家屋は無事のようですが、看守が使っていたのでしょうか?」


 ウーヴェが目を向ける先にも建物がある。そちらは柵や鎧戸がしっかりと設置されていて丈夫そうに見える。


「ええ、そうです。私たちが中へ入ることはありませんでした」


 どこか苦いものを噛み締めるようにグンターが言う。ラザファムはそちらに向けて歩んだ。


 そう遠くはない距離だが、風が冷たいせいもあり、ノルデンへ来ただけですでに疲労感がある。これは、この地がずっとレムクール人によって忌避されていたからこそ、体が拒絶してしまうということなのかもしれない。


 看守小屋に近づくと、目視できるところにあった扉のノブが壊れていた。

 あの地震によるところではなく、何か硬いものでひたすら殴り続けて壊したように見える。

 明らかに人の手によるものだ。囚人たちが保護される前に恐慌状態で行ったことなのかと考える。


 それしか考えつかなかった。

 けれど、ウーヴェは何かを警戒するようにラザファムの前に立った。


「誰かが入り込んでいる可能性もあります。まずは私が行きましょう」


 そう申し出てくれた。危険があるとは思わないが、ラザファムは素直に引いてうなずいた。


「ではお願いします」


 グンターは黙って、それでも何か心配そうに見守っていた。

 ウーヴェが歩幅を広げ、足早に小屋へと辿り着く。そして、壊れた扉にグッと力を込めて開いた。


 扉の軋む音は、強く吹いた風の音にかき消された。

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― 新着の感想 ―
本編であれだけ「ノルデン、ノルデン」と言っていたのに、結局行かなかったな。と、ここに来て気付きました。 いよいよノルデンですね。
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