4◆親子
旅に出るに当たり、グンターは一時的に牢から出されたが、両手にはまだ枷が嵌められている。その枷に鎖が通されていないだけだ。
ただし、彼が完全に解き放たれるまでに残り一年と少し。ノルデンまで送られたことを思えば極端に短くなったと言えよう。
これからこの城へ戻るまでの間、グンターの身柄に対する責任はラザファムが持つことになる。簡素な外套を羽織ったグンターは複雑な面持ちでラザファムの前に現れた。
看守はグンターを残し、一礼して去る。けれどどこか彼のことを心配しているようにも見えた。
ウーヴェも無言で成り行きを見守っている。
「クルーガー様、私でお役に立てるかはわかりませんが、力を尽くしお力になる所存です」
グンターは、自分よりも二十近く若いラザファムにも丁寧に接してくれる。ラザファムもうなずいた。
「ありがとうございます。では、参りましょう」
騎士たちは騎乗し、ラザファムはイービスを呼び、いつかのように馬になったイービスの背に乗せてもらう。
グンターは治療師や料理人たちと共に馬車で運ばれている。輸送車もあり、なかなかの大所帯になっていた。
とにかく寄り道はせず、調査という目的を最優先に進むのだ。ただ、アルスとの旅を道すがら思い出してしまうのは仕方のないことだろうか。
未練のつもりはないけれど、懐かしむことすら未練と呼ぶのだろうか。
日が暮れていく中で馬を降りた。
夜道には無理をせず休む。怪我人が出ては順調に進めない。
初日の今日は食料の貯えも十分にあるので、町に立ち寄らずに野宿になる。
料理が配られるまでラザファムが木陰で休んでいると、ウーヴェが声をかけてくれた。
「お疲れではございませんか?」
「ええ。僕が乗っているのは馬ではなく高い知能を持つ精霊ですから、常に乗り手を気遣ってくれています」
「それは素晴らしいことですね」
そこでグンターの姿が見えた。彼は大人しく別の木のそばに座っている。
自分は他の人と同じではないと線を引いて下がっているのがわかる姿だった。
ラザファムは彼と話がしたくてグンターの方へ移動する。ウーヴェはついてきてほしくないと感じたのか、その場に留まった。
「グンター殿」
声をかけると、グンターは恐縮して頭を下げた。
「あなたと少しお話したいのですが、構いませんか?」
「ノルデンのことでしょうか?」
グンターは困惑気味に答えた。
「いえ、コルトのことです」
その名を出すと、グンターの表情に変化が見えた。
そこには深い愛情しかなかったのだ。コルトがまっすぐに育ったわけだと、ラザファムはその苦悶に歪んだ面持ちを前にして思う。
「コルトを……息子をご存じなのですか?」
彼が王都に護送された際、アルスと共に一度だけ対面したのだが、アルスの後ろにいたラザファムなど覚えていないのだろう。
「はい。以前、旅の途中にナーエ村に立ち寄りました」
「ああ、私が減刑に至った出来事に直面した精霊術師様というのがあなたなのですね?」
「そうです。コルトは――いずれ精霊術師になりたいと僕に言いました」
これを聞くなりグンターは、えっ、と声を漏らした。そんな話は初耳なのだろう。
コルト自身でさえそんなつもりはなかったはずだから。
「たくさん勉強しなくてはいけませんが、向いているのではないかと思いますよ」
グンターは燃え尽きたような、ぼうっとした様子を見せた。理解が追いつかなかったのかもしれない。
「あの子が、精霊術師に……」
彼が知る、父親に護られていた息子は、まだ将来のことなどはっきりと見据えることもないただの子供だったのだろう。
けれど、コルトは単身で戦い、それでも折れなかった。立派な心を持っている。
「元気に、しているのですね?」
グンターは、コルトが病気だという嘘を信じ、違法植物の栽培に手を出した。もうその嘘は暴かれているけれど、こうしてコルトと話したラザファムから様子を聞くと、目には涙が浮いていた。
「ハインさんの生まれたばかりのお子さんの面倒を見るんだと意気込んでいました」
グンターの喉元でヒュッと風が抜けるような音がした。
返事を返せないほどむせび泣く彼の背を、ラザファムはそっと摩った。
この親子の再会が早く果たせればいいのに、と。
そして、ラザファム自身はこのような愛情を受けて育った覚えもなく、世の中にはいろいろな親子がいるのだと感じた。
◇
クラウスにも魔の国をしっかりと見てきてほしいと言われた。
アルスによると、あの国はゲオルギアが護ったという。
何からというのなら、人からなのか。
あの繊細なイルムヒルトは人と関わって、環境を変えて生きていくのは難しかった。
これが、皆が生きられる方法だった。精霊王もそれでいいと思し召しなのだろう。
旅が進む中、ウーヴェはことあるごとにラザファムを気にしてくれていた。そう思っていた。
けれど、それはラザファムの心身を気遣っているというのとは違った。ラザファムに何か言いたいことがあったのだ。
それを知ったのは、旅が四日目に差しかかった頃だった。
「ラザファム殿、あなたはご実家には随分お戻りではないようですが、それはお仕事がお忙しかったからでしょうか?」
指摘された通り、最後に帰ったのはいつだったか記憶がおぼろげだ。二年くらいは経っているだろう。
「ええ、そうですね。元々無精者で、便りすら滅多に書かない性分で」
そして、向こうからも特に来ない。そういう家なのだ。
昔ながらの、跡取りである長男を大切にする家で、次男は家の恥にさえならなければよいと考えている。それには慣れたもので、気楽だと今は思う。ただし、そう思えるまでは自分に値打ちを見出せなかったけれど。
「……兄上とお会いになることは?」
ウーヴェは兄を知るから、こんなことを訊ねてくるのだろう。
けれど、本当にもっと深く兄を知っているのならば逆に訊ねないことでもある。
――兄、ルーカス・クルーガーは、弟に興味がない。
四歳の年の差は、幼い頃ともなれば大人と子供ほどの隔たりを感じさせた。内気な弟に兄は関心を持たなかった。
似たところのない兄弟で顔もあまり似ていない。性質もまるで違う。
兄は友人を多く作り、常に彼らと楽しそうに談笑していた。構ってほしいと思えたのはいくつまでだっただろうか。それは多分、クラウスと出会うまでのことだ。
そのうちにラザファムも兄への、家への関心を失っていたのだから。
「……ほとんどありません。兄も多忙でしょう」
これを言うとウーヴェはどこか寂しそうに、けれどその感情を微笑で隠したように見えた。
「あなたはクラウス様とご友人同士だというだけあり、やはり似ておいでですね」
そんなことは初めて言われた。思わず目を瞬いたラザファムだったが、それだけでは彼の言う真意は読めなかった。
「どうでしょう? 似ていないと思いますが……」
驚いたラザファムに、ウーヴェは説明してくれるわけでもなかった。やはりどこか寂しそうにするばかりだ。
寂しそう――そう感じることすら誤りで、本当はラザファムに向けた憐みであったのかもしれない。




