3◆因縁
調査へ向かう出立の二日前、クラウスがラザファムの部屋を訪れた。
「忙しいところへ来て済まない」
今のクラウスは城の、ベルノルトが用意した部屋で学びながら暮らしている。ずっと続く生活ではないが、大公国の下地が整うまでだ。
不自由なはずもないのだが、何か懸念でもあるのか表情は晴れない。
「どうした?」
ラザファムが迎え入れると、クラウスは苦笑した。
すぐに話し始めないところを見ると、あまりいい話ではなさそうだ。
クラウスが気にするのは魔の国である可能性が高い。
二人、部屋の中で椅子に腰を据える。そうしたら、クラウスはやっと話し始めた。
「……リリエンタールの家のことで、少し」
そちらを気にしているとは思わなかったので驚いた。クラウスは基本的にアルスのことばかり考えているのが普通で、現在の状況からそこに魔の国の事情が挟まる。そしてレクラム大公国のことも考えなくてはならなくなった。
そんな今、すでに出た実家の話題とは――。
「意外だな。もう吹っ切れたと思っていたのに」
正直に言ったら、クラウスは眉根を寄せてなんとも複雑な表情を見せた。
「気にしているつもりはなかったんだ。ただ、ダリウスが……」
クラウスのひとつ年下の弟であるダリウスがリリエンタール公爵家を継ぐことになっている。クラウスとダリウスは少しも似ておらず、優秀なクラウスに対してダリウスは凡才だった。それを努力で補うのは並大抵のことではない。
それでも、リリエンタール公はダリウスに家を継がせると決めたのだ。
とはいえ、リリエンタール公爵家は国内最高峰の家柄だ。足元をすくってやろうとする者もいることだろう。
「彼に何かあったのか?」
ラザファムが問いかけると、クラウスは口の端を軽く持ち上げた。
「婚約の話が出て、それがパウだったんだ」
「…………」
「パウは断った。自分の婚約者は自分で決めると言って」
「…………」
この話はラザファムに飛び火するのだろうか。
あの末姫はいろんなところでラザファムの名前を出しているのだとしたら困る。彼女はまだまだ幼く、ラザファムは一度も承諾していない。
「そして、次に候補に上がったのが、ニーダーベルガー公爵令嬢のグロリアだ。ラザファム、覚えているだろう?」
「…………ああ」
忘れていたい名前ではあるのだが。
ラザファムの顔がどんよりと暗いせいか、クラウスは逆に笑い出した。
「どっちもお前に夢中なのが因縁だな。色男」
「…………やめてくれ」
一番肝心な女性には見向きもされなかったことが皮肉すぎる。それを特に、目の前の男にだけは言われたくない。
ただし、クラウスもさすがにこれを言いに来ただけではないはずだ。
「まあ、グロリア嬢に関してというよりもニーダーベルガー公に問題がある。卿は父と非常に折り合いが悪かった。それが掌を返して娘を嫁がせようとしている。つまり、自らの立ち位置が怪しくなっているからだ」
「和平が成る前にピゼンデル人が国内に潜伏していた。手引きをしたのがニーダーベルガー公だと証言もある。僕とアルス様がそれを聞いている。……ただ、証拠という点では弱い。どこまで追求できるものなんだろう」
相手は大貴族だ。
そして、アルスが王族だとはいえ、あの旅はそもそもあってはならないものだ。アルスはずっと城にいたことになっている。間違っても黙って旅に出たことは秘密だ。
だから、あそこにアルスがいたという主張は正直に言ってできない。そして、ラザファムは伯爵家の次男に過ぎず、公爵家当主を相手に告発しても負けるだろう。
「もともとニーダーベルガー公は女王が年若いことを理由に政に強く介入しようとしていた。ベルノルト様との結婚に関しても反対派だったな。今の風潮は何かと面白くなかったのかもしれないが」
「そう。そこに来て君がアルス様と婚約しているから、どう考えてもリリエンタール公よりも下になる。色々と我慢ならないことが重なってのことかもしれないが、越えてはならない線引きは明確にあった」
ラザファムがそれを指摘すると、クラウスは軽く首を傾けた。
「そうだ。俺は完全に大公国へ移住する前に、必ずニーダーベルガー公の失脚を図る。この国に害虫を残したままではアルスの心配事が減らないから」
クラウスがニコリと爽やかに笑って恐ろしいことを言い出した。
こういうところは変わっていない。昔はほとんど本音を出さなかっただけだ。
クラウスは、ニーダーベルガー公にとって不利な何かを探り当てるだろう。幼い頃から目端が利く性質で、見習いのうちから騎士たちの間で賄賂や不正が行われていればそれとなく仄めかすようなこともあった。
「大公国の未来がとても明るい気がしてきた」
ラザファムが感心半分呆れ半分で言うと、クラウスは微笑し、それからほんの少し目を細めた。
「この件に関しては俺が探る。だからラザファム、魔の国のことをしっかり見てきて俺に教えてくれ」
「ああ。わかっている」
そうしなくては、クラウスはずっと心に気がかりを抱えたままレムクール王国を後にすることになる。本当はクラウス自身が赴きたい気持ちもあるはずだが、それを言ってはならないと理解している。
だからラザファムが見てくるしかない。ラザファム自身も知りたいと思う。
あの国がどうなったのかを。
「まあ、それはそれとして、ダリウスの婚約者は当分決まりそうにないかな」
クラウスはそう言って苦笑した。
それこそ、パウリーゼほど機知に富み、行動力がある娘がいてくれたらよかった。そうしたら、ダリウスのことも引っ張ってくれただろうけれど、本人が望まない以上は無理だ。
「彼に合った賢い女性がいてくれたらいいな」
「そうだな。正直に言うと俺は弟よりラザファムの方が気がかりかも」
「……僕のことはいい。気にしないでくれ」
本当に、こればかりは気にされたくない。
放っておいてほしい。




