1◆その後の話
この番外編の主役はラザファムです(^_^)/
精誕祭を終えたレムクール王国。
あれからひと月が過ぎ、春も盛りだ。美しい花が咲き、日差しも柔らかい。
精霊術師であるラザファムもまた、このひと月は穏やかに過ごしていた。
旧レクラム王国の地を王配ベルノルトが受け取り、新たにレクラム大公国を作るという発表は国内外を震撼させた。
レクラム王族の生き残り、王太子であったはずのベルノルトにこそその権利があると、レクラム王国を滅ぼしたピゼンデル共和国が認めたのだ。
しかも、レクラム大公として選ばれたのが、王妹アルステーデの婚約者であるクラウス・リリエンタールだ。彼はリリエンタール公爵家から離れ、その家名を名乗ることもなくなった。
ただしそれは、大公国の話が出る前からで、嫡男であったはずのクラウスはすでに後継ぎではなくなっていたのだ。
その詳細を民衆にわかりやすく説明するのは難しい。
結局のところ、クラウスが公爵家から出されたのはリリエンタール公とクラウスとの不和がもとであったと噂されてしまうのだが、そう思われているのが最も害がないから皮肉だ。
それで収まるのならばそれでいいと当人が考えているから、否定もしないのだろう。
結果がどうであれ、アルスが傷つかないのなら問題はないとラザファムも思う。
ただ――リリエンタール公に次ぐ大貴族、ニーダーベルガー公はこの大公国に関して完全に輪の外側にいた。
地位が高ければその分、もしかすると矜持は命よりも重たい。
そのことに我慢ならないはずである。
しかし、それでも黙っているのは、彼がピゼンデル共和国の過激派と組んでいたと睨まれているからだ。今のところ、証言の裏づけがなく、不用意に手を出せない。
それでも、王妹であるアルスが証人としている以上、まったく不問というわけにもいかない。
どうしたものかとベルノルトも頭を悩ませていた。
ほんの少し前までは、北にある魔の国という魔族の国の脅威にさらされており、他のことは後回しと言ってよかった。
その状況は終わったのだ。
アルスによって魔の国に異変が起こったと知らされ、ベルノルトはレクラム跡地から城に戻り次第、魔の国との境であるノルデンにいる人々を引かせるために迎えを送った。ノルデンは流刑地であり、あそこにいるのは囚人と看守である。
引き上げてきた囚人はそれぞれの罪状により一時的に国内に振り分けられ、投獄されている。
その時の報告によると、ノルデンは半壊していたという。死者こそ出なかったものの、負傷者が出ている。そして、迎えに行った者たちが言うには、魔の国の現状はわからないとのことである。
わからないとはどういうことかといえば、見てもわからないのだと言う。
元々、魔の国は闇に覆われていて見通せなかった。だから詳細を知る者はほとんどおらず、わかるとすればそれは、魔の国で過ごしたクラウスくらいなのだろうけれど、もう彼をあそこに近づけるのは避けたい。
ただ、魔の国の闇が見えなかったと言われた。瓦礫で奥まで進んで確かめることはできなかったと。それでも見るからに、そこに魔の国などなかったかのようにしか思えなかったらしい。
人を引き上げ、今は無人となっているはずのノルデンをもう少し詳しく調査する必要がある。
その調査へ向かうために支度を整えてきたベルノルトだが、自身も調査に向かおうとしていた計画は――白紙に戻すことになったのだ。
浅黒い肌をしたベルノルトだが、それでも対面で座ると顔色が悪いのではないかとラザファムには思えた。よく見ると、ソファーに座る膝も小刻みに震えている。こんな姿を始めて見た。疲労が溜まっているのだろうか。
「あの、ベルノルト様、お加減がよろしくないのでは?」
「……誰の?」
険しく、過敏な反応をする。これにはラザファムの方が困った。
「あ、いえ、すみません」
とっさに謝ってしまうと、ベルノルトは伏し目がちにつぶやいた。
「実は、トルデリーゼの具合がよくない。なるべく公務の負担を減らしたいので、私がそばを離れるわけには行かなくなった」
「えっ」
それは初耳だった。女王の体調が思わしくないとなると、民が不安になる。これは公にしていい問題ではないのだ。
あの嫋やかな女性が国を背負っているのだから、それは疲れもするだろう。
しかし、国や民がどうという前に、ベルノルトにとっては彼女がすべてなのだ。不安で仕方がないらしい。ラザファムに聞かせていると言うよりも、独り言のようにさえ聞こえた。
「食欲がなくて、食べてもすぐに吐き出してしまう。そのせいか、いつも以上に疲れやすい。あまり長く立っていられないようだ」
「えっ? あの、それは……」
――言いかけたが、ラザファムが言うことでもないような。
典医がついているから、多分本人はわかっているのではないだろうか。
「トルデリーゼは病ではないから心配しなくていいと言う。けれど、疲労にしては休んでも回復しない」
ベルノルトは真剣に心配していた。
彼の特殊な過去を思えば知識が偏っていても仕方がないのかもしれない。ラザファムはとりあえず苦笑しそうになるのを堪えた。
「きっと、ご本人が心配要らないと仰る以上はその通りなのでしょう。ですが、ベルノルト様がおそばを離れてはならないのは確実なことかと思われます」
――もし本当に女王が懐妊しているのだとしたら、こんなに明るい話題はない。
本来であればアルスたちも公務を支えるはずだったが、現状を思うとどこまで頼れるのかはわからない。やはりベルノルトの負担は軽くはないだろう。もしかすると、パウリーゼも。
「調査隊の人選にはなるべく希望を通す。だから、ラザファムに託したい」
「ありがとうございます」
一人の方が動きやすくはあるけれど、失敗した時のことも考えなくてはならない。人選とはいっても、ツェベライ師を始めとする精霊術師は高齢で長旅は難しい。そうでなくとも、一度に固まって抜けるのは問題だ。
そうなると、術師ではない者を選ぶことになるのだろう。
希望と言っても思い当たらなかったが、ふと一人だけ彼がいてくれたらいいのではないかという人物はいた。
これを口に出していいものか、ラザファムが少し考え込んでいると、そんなラザファムをベルノルトの金色の目が見つめていた。それに気づいて顔を上げる。
何か、と問う前に言われた。
「時に、パウリーゼがラザファムを婚約者に決めたと言い出しているのだが」
返答に困り、固まってしまったラザファムに、ベルノルトは至極真面目な顔をして続ける。
「最初は冗談かと思っていたが、それにしては具体的なことを決めようとする。ラザファムは伯爵家の次男だが実力のある精霊術師だから、自分に相応しいように領地を与えてくれと。それだけの功績はあるはずだと」
「い、いえ、そのようなことは……っ」
冷や汗がドッと噴き出す。あの姫はなんてことを言ってくれるのだろう。
そんな様子のラザファムを眺め、ベルノルトはフッと笑う。
「ラザファムの実力と功績は私としても認めるところだ。何かで報いてやりたいとは考えている。ただしそれはパウリーゼが勝手に言い出していることとは別だ。ラザファムのためになることで報いなくては意味がない」
ラザファムが本当に欲したものは手に入らない。それを今更どうこう言いたくはない。
彼女の望みが叶うことがラザファムにとっても幸せと呼んでいい。
「私は一術師として十分な待遇に満足しております。お気持ちだけで――」
「まあ、そう欲のないことを言うな。調査を終えてからまたこの話をしたい。それまでに少し考えてみてくれ」
「ありがとうございます」
深々と頭を垂れた。
目の前にいるベルノルトは、ピゼンデルとの和解によって、人としてひとつ上の段階へと登ったような印象を受ける。
そしてまた、父親になるのだとしたらさらに上へ。
クラウスもだ。
苦難の末にアルスという伴侶を得るけれど、これからレクラム大公国を立て直さなくてはならない。どれほどの成長を求められるものなのか。
ラザファムはまだ、自分がその場で足踏みしているような気がしてならなかった。
何かを手にするには、まだ自分は変われていない。
だから、何かを望む気にはなれなかった。




