51◆昼寝の時間
「アルステーデも疲れただろう? そろそろ休むといい」
「うん、ありがとうベル兄様」
ナハティガルを胸に抱き、アルスは席を立つ。続いてベルノルトが立つと、残る二人も立ち上がった。
アルスがナハティガルをぬいぐるみのように抱えて廊下を行くと、クラウスがついてくる。
ナハティガルの鼾が面白いからかもしれない。何やら笑っている。
「ナハは寝ていても結構うるさいんだ」
思わず笑って言うと、クラウスも楽しげに見えた。
「うん。うるさいな」
ナハティガルが聞いたら怒るかもしれないが、そう答えたクラウスはとても上機嫌だった。
本当にナハティガルが復活したことで心が軽くなったのだろう。
それから、魔の国のこともまだ気がかりではあるのだろうけれど、ゲオルギアが護ってくれるという希望が見えたのもあるかもしれない。
アルスの使っている船室に到着すると、クラウスが扉を開けてくれて、ついでに中まで入ってきた。
二人で話がしたいようだ。それはイルムヒルトのことだろうか。
ただ――クラウスは、パタンと扉を閉めたのだ。
ん? とアルスは首を傾げる。これまでは閉めると嫌がったくせに。
不思議そうに自分を見上げるアルスに、クラウスは手を伸ばした。
アルスの銀髪を長い指で梳いたかと思うと、剣胼胝のある硬い掌が滑るように頬に移動した。
そのまま上を向かされたのとほぼ同時に、クラウスが屈んでアルスに被さる。額にクラウスの髪がかかり、柔らかな唇が触れ合た。
アルスが目を瞬いて呆然としている中、ナハティガルの鼾が続いている。
至近距離で見たクラウスの目が笑っていた。
「ナハも戻ったし、もう我慢しなくていいかなって。ちょっとうるさいのが残念だけど。これからもナハには毎日少しは昼寝してもらわないと」
「……このため?」
「うん」
悪びれもせずにクラウスは微笑んだ。
昼寝してもいいと請け負ってくれたのは、ちっとも善意ではなかった。それが可笑しい。
「昼寝って時間でもないか。もう遅いし」
アルスが笑ったら、クラウスはまたアルスの口を塞いだ。
一度では気が済まないとばかりに、二年分の想いを込めるように。
クラウスが気が遠くなるほど長い口づけをするから、アルスはナハティガルを落とさないようにするのがやっとだった。
けれど、これでもうクラウスと離れ離れになることはないのだと実感できる。
ナハティガルが今は起きませんように、とアルスも密かに思った。
クラウスはまだ名残惜しそうに、赤い顔をしたアルスに囁く。
「早く結婚したいな。請け負ったからには大公国のことも全力で取り組むけど、正直そっちよりもアルスとの結婚が俺にとっては重要なことだから」
「う、うん」
「本当の俺は、昔からとても嫉妬深くて、アルスを独占したくて仕方なかった。それを言ったら嫌われるかもしれないと思って我慢していただけで」
クラウスは、ちょっとくらいならナハティガルが潰れてもいいかと思ったのか、アルスを抱き締めた。
二年前の事件が起こった日もこうしてくれていた。あの日よりも二人は大人になって変わっている。それでも、気持ちに変化はなかった。
互いのことが大事で、愛しい。
「いつだって俺は、アルスの心変わりを恐れてた。それは婚約者に収まってからもずっと。今更だけど、俺を選んでくれてありがとう」
「クラウスも、私を選んでくれてありがとう」
クラウスの肩に頭を預け、アルスもつぶやく。
その間も、ナハティガルの鼾がうるさかったけれど。きっとそれもいい思い出だ。




