50◆平和を願う
儀式を成功させ、霊峰から無事に帰還することができた。
一行は停泊してるレムクールの船で一度休み、それから明日に改めて話すことになった。
軽く食事を済ませ、アルスは船室で儀式の後に起こったことをクラウスとラザファム、ベルノルトに話す。
その間、ナハティガルはただアルスの頭の上で右に左にと揺れているだけだった。真面目な話をしているのに滑稽な絵面になるからやめてほしい。
「魔の国のイルムヒルト姫か……」
ベルノルトがつぶやく。クラウスはただただ驚いて呼吸すら忘れているように見えた。
「うん。私とアストリッドが上に向かってから、思ったよりも時間が経ってなかったんだな。もう何日も皆から離れていたみたいな気分だったんだけど」
アルスの意識だけが遠く離れた魔の国まで飛んでいたせいだ。そのせいで体感が狂っている。
「ええ。正確に測っていたわけではありませんが、精々が一刻というところでした。それにしても、あの魔族の姫とアルス様の意識が繋がるなんて、考えられないようなことが起こっていたのですね」
ラザファムも難しい顔をしてつぶやく。ここでクラウスはようやく口を開いた。
「イルムヒルト――彼女にとってダウザーが特別だとは感じていたが、そこまで強い想いだったんだな。他の候補者たちにも関心がなくて当然だった」
クラウスにも執着せず、他の候補者にも関心を見せず、ただあの姫は内に秘めた想いを殺していた。
「ノルデンと魔の国の境目に亀裂が入っていた。あの後どうなったのか、ちゃんと調べて対処しないと」
アルスがこれを言った途端、ラザファムに釘を刺される。
「アルス様はもう出向かれなくて結構ですよ。僕が行きます」
ラザファムには散々迷惑をかけたので何も言えない。
それに対し、ベルノルトは伏し目がちに、考えながらといった様子でつぶやく。
「尋常ではない状況だ。ラザファムだけに行かせるわけにも行かないし、人選は慎重に行う。もちろんアルステーデは行かせないけれど」
「ベル兄まで……」
アルスは苦い顔をしたが、そんなアルスの頭からナハティガルが落ちてきた。
「アルスはぁ、お留守番! でもってさ、ボクはアードラみたいにお昼寝するの」
「あー、はいはい」
ラザファムは向かいの席から、机の上のナハティガルに手を伸ばして自分の方を向かせた。
「昼寝もいいけど、ナハだってこれから忙しくなるんだよ」
「ほえぇ? なんでよ?」
アルスがまた危険なことをやらかすのかとナハティガルは身構えた。そんなナハティガルに、ラザファムは微笑む。
「クラウスとアルス様はこれからレクラムの国を治めるんだ。アルス様が行くんだから、ナハも一緒だろ」
ナハティガルが消えている間に状況は目まぐるしく変わってしまったのだ。どうにもついていけないらしい。首を傾げすぎてテーブルにぶつけた。
「……何それ?」
「旧レクラム王国領土はレムクール王国の属国、レクラム大公国として新たに生まれ変わる。レクラム大公としてクラウスを立てるという話になっている」
ベルノルトが言ったから、これは冗談ではないのだとナハティガルも理解したらしい。ブルブルと震えている。
「またなんか――や、やや、ややこしいことにっ」
「仕方ないだろう、誰かが霊峰を護らないと」
ナハティガルはベルノルトの手前、面倒くさいという言葉を呑み込んだように思われた。事実、一から始めなくてはならないことばかりでかなり面倒くさい。
けれど、一生をかけて挑む。やり甲斐はあるはずだ。
「でも、昼寝する時間くらいはある。それから、精霊界帰りはちゃんとした方がいい」
と、クラウスがフォローしていた。その点はアルスも反省していて、ナハティガルがいくらいいと言っても、精霊界帰りには送り出すつもりでいる。
「ふぃん。昼寝していいんだ?」
「いいよ。なんだったら今日も昼寝していいから」
クラウスはニコニコと請け負った。おかげでナハティガルの機嫌が少し直った。
ナハティガルはアルスが寝ていると寝すぎだと言って起こすくせに、自分はいいらしい。
「それにしても、アルス様がご無事だったからよいものの、何故エルミーラ様はそのような試練をお与えになったのでしょう……」
と、ラザファムが深々とため息を吐く。心配してくれたのだろう。
「多分、エルミーラ様には触れられないところだったんだろうなと思う。光に馴染んだ人の子が必要で、あの場ではそれが私だった。アストリッドでは幼いし、イルムヒルト姫に関わりもないから」
そういうことなのだろうとアルスは考えている。
きっと、エルミーラが直接語りかけたのでは、ゲオルギアは応えなかった。
「とにかく、まずはノルデンから調査しなくては。私は、この世界で戦はもう二度と起こしてはならないと思っている」
ベルノルトが言うと、皆が静かにうなずく。
戦によって多くを奪われたベルノルトだから、その言葉は重い。
――やたらと静かだと思ったら、ナハティガルが舟を漕いでいた。まさか、昼寝の許可が下りたからなのか。
起こしてやろうかと思ったが、体がまだ万全ではないのかと心配し、アルスはナハティガルを胸に抱いた。
そうしたら、ナハティガルは本格的に寝た。ぷーしゅるりー、と鼾が聞こえる。
「……精霊って鼾、かくんだ?」
クラウスが驚いていた。アルスとラザファムは笑いを噛み殺しつつうなずいた。




